司法に権力を付託しているのは、最終的には主権者である市民なんだけど、それがわからなくなっちやっているんだろうな。

その市民自体がその時の勢いや感情で間違った判断をすることだってあるから、司法の独立性とかも保障されているわけだけど、

でもそれはすべて最終的には市民のためだし、何が一番大事で、自分は何に権力を与えられて、何に縛られて、その縛っているものはなんのためにあって、市民ではなく自分たちに縛りを与えているのだという

…何つーんですかね、関係性?階層性?そういう自分や自分の属する集団も含めた全体を俯瞰的に眺める視点みたいなのがない…もしくは足りないんじゃないのかな。

で、最終的には専門家だって、その人自身が市民の1人なんだから、…多分、やっぱり専門家である以前に自分が1人の市民なんだってのが分かんなくなっちゃうみたいな問題なんじゃないのかなぁ。

「肩書きは貴方じゃないよ」みたいな。

最終的な目的は主権者である市民の生活を守ることで、そのために市民自身にも枷をはめてもいるし、互いに力の拮抗する立場の違う機関を設置して、その互いの力動のバランスで柔軟性がありながら、適度な秩序と安定が保たれた社会を維持する…専門家はその仕組みの歯車のひとつなんだよってのが、法律関係者は法律を戴いて仕事をしろってことなんだよな。

そういう全体をメタ視点で見て、自分の立ち位置を理解してないと、大きな勘違いをしてしまったりするんだろうな。

そのメタ視点を与えてくれるのが、逆説的だけど、自分もまたひとりの市民だという、地面に両足踏ん張って、ひとりで立つ個人であるというアイデンティティなんだと思うのよ。

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あ、アレだ。

この国で一番偉いのは主権者である国民…ってか、要は市民で、ってことは私もあなたも一番偉いんだけど、それは私やあなただけでなくて、なんと一億何千万人だかいて、逆言えば、私もあなたもその中の1人でしかなくて…みたいな…。

一番偉いけど、one of them。

で、国から大きな権力を与えられている人は、それは皆んなのために奉仕するために与えられている機能、歯車としての機能なんだよ、って話で…。

で、国から大きな権力を与えられている人は、それは皆んなのために奉仕するために与えられている機能、歯車としての機能なんだよ、って話で…。

でもその歯車は「あくまで国から与えられた力を行使する自分が歯車であることを忘れずに(自分がなんか特別に偉くなったとか勘違いせずに)与えられた使命を果たすことに尽くしなさい」という部分がまずは大事なんだけど、

同時にただ機械的に命令に従う機械的な歯車ではなく一市民として、または与えられた力を行使する責任を担う者として、元々のその力を与えられた理念に忠実であることも忘れるなよ、みたいな?

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