良いんですよ。そのような欲があるのは自然な感情でしょう。というか多分とても大切な欲望です。
ただ、肝心なのは、それは自分の欲、望みであって、相手は自分の思い描いた相手ではないということを受け入れ、悲しむ能力。自分の願望も認め、なのにその通りにならない世界の存在も、認める…それはとても苦しいこと。
求められたいと思っても、子はいつか親を捨てるし、国民はそれぞれの望みを満たすために生きているのであって、政府の愛され称賛されたい願望を満たすために存在しているわけではない。SNSの自分以外のアカウントも、各人がそれぞれの欲のために生きている個人であって、自分の注目されたい、人気者になりたい欲を満たしてくれる駒ではない。
そこがゴチャゴチャになっている人が(要するに幼い人が)今の社会には多すぎる。願望と現実(にいる目の前の相手)の区別がつかない。
だから、逆に他者に振り回されちゃうんですよね。相手の歓心を買うことが主要な目的化した人生は主体性を奪われた人生にならざるを得ない。
精神分析って「満たさない」営みなので、それがすごく可視化されていく。皆が何に苦しんでいるのかが。
もちろん、だから「他人に親切にするのは偽善だ」とか「自己愛を満たしたいだけだ」とか、言うつもりはサラサラない。
偽善でもなんでも相手にとって利益になるならそれでいいと思うし。
ただ、その時の、自分の願望(願望自体はあっても全然良い。相手に押し付けなければ何の害もない)と、現実の相手との区別さえできていれば、何の問題もない。