ネトウヨとかで言えば「素晴らしい自分や国のセルフイメージの毀損」に耐えられない。または「世界(この世というくらいの意味での)」が実は自分が思っていたような素晴らしく感動させてくれるものではなくて、実はかなりのガラクタの山だということに耐えられないとか。神様がいないことに耐えられないとか。
耐えられない自分がいるのに、なのに(だから)自分の苦しみと世界を分離できないから、胸を掻きむしるほど苦しい、力のない、世界に負けてしまった「ルーザーとしての自分」を体験できない。認知できない。
それが出来ることを精神分析では「エディプス期を通過する」というのですが。
そしてそれはとても残念で悲しいことなので涙を流す。その涙を流せる力が人を一段強くする。その強さはネトウヨなどのイキリとは逆の強さです。
私自身、ある時期まで(今もまだそういうところは多分にあるとは思うけど)本当に「ごめんなさい」と「ありがとう」が心から言えなかった。言えないことに自分で気がついていなかった(言えるという状態がどういう状態か知らないのでわからない。現実には言葉としては発していたから。“心から“ではなかっただけで)。
「ごめんなさい」と「ありがとう」は、自分の瑕疵と無力を認める言葉。それは相手を救うのではなく自らを赦し楽にする言葉。
@zpitschi
あなた結局謝る気ないんですね。いつまでもそうやって被害者ポジション維持してればいいですよバカカウンセラーは。
@zpitschi
小難しいこと言ってないで知らない人に対して「ビョーキ」だの「治療の失敗」だの「ネトウヨ」だのと言ったことに対してはちゃんと「ごめんなさい」してくださいね。そうじゃないと私の中であなたはいつまでも迫害者のままですから。「さようなら」できませんから。