「AとBは抽象化したら一緒」と「AとBをまとめて一緒くたにするな」が常に両方可能だから何のためにどちらを使うかを選択するメカニズムというかセンスのようなものを磨くことが求められるんだよなというようなことを感じている
interpretation と interpretor ははっきり区別できてかつはっきり区別しているだけに interpret (解釈する/通訳する)に対して「あれ一緒??」という現象が発生した
ジェンダーアイデンティティーよりも政治思想のほうがはるかに“アウティング”したく/されたくない感じがあるな
「からだであそぼ」という番組があったが、どういう方向にせよ子供にはは刺激がつよい危ない響きすぎる、まだえいごであそんでたほうがいい
重大なネタバレを含む「未解決事件は終わらせないといけないから」の話
失踪した子は原作だと 서원 (en: Seowon) ちゃんで、同音の子がいると気づくまでが一種の叙述トリックだが、少し引いた視点でいえば日本語版だと犀華(せいか)ちゃんという名前が漢字までかぶるというのはかなり厳しいものの、プレイヤーは「同名他人がいるという叙述トリック」ということのほうを認めることにいそがしいから、意外にそこは気にならないものだ。日本語で文字による叙述をやる場合、漢字表記しないという選択はそれこそ不自然でまずありえない。
서원/Seowon に込められた「犀」の意味も、韓国語/英語版等では名前の音がかぶっているほうの子には本来あまり関係のない話なのだろう。
ついでに、最初に出てくる「お父さん」(つまり宮城姓)は최/Choi だが、韓国語/英語版等では「祖母」(松田貴子)も Choi Gwi-Ja 최귀자 で同姓なので(韓国の姓はあまり多様ではないからこれは不自然ではない)、さらに若干ややこしい。日本語版ではここはさすがに同じにしなかったらしい。もっとも、文化的に夫も妻も改姓しないものと思ってプレイできていれば、祖母の姓が何であろうと父親・娘のそれと同じかもしれないし違うかもしれないのは最初からわかっていることではある。
Go(lang) に手を出しているが、いままででいちばん馴染むかもしれない
ずいぶんながいこと、あおいひらたいまるをやっています。
he/him or they/them