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「AとBは抽象化したら一緒」と「AとBをまとめて一緒くたにするな」が常に両方可能だから何のためにどちらを使うかを選択するメカニズムというかセンスのようなものを磨くことが求められるんだよなというようなことを感じている

ある種の知的能力が高いと抽象化やパターンへの当てはめそれ自体がうまいのだけれども、その能力がそういうメカニズムやセンスに接続されていない場合は無目的的にというか一つ覚え的に抽象化をしがちで(そうしているとあらゆることが「結局簡単な話で要するにこうなんですよ」という態度になるかもしれない)、それをいま使うべきや否やの判断をするという判断は別に求められるのだけども、悪いことに抽象化する思考過程自体は嗜癖的になりうるので、ある種の頭のよさが浪費されたり乱用されたりする場合がある

「頭使うのが苦手、考えるのが苦手」という自覚がある人には信じられない話に聞こえると思うけど、「頭を使ってると気持ちいい」という現象があって、そしてそれが引き起こす問題もあるんですよね

でも抽象化っていわゆるロジック関係や数字関係ばかりでもなくて、人間に対する抽象化というのもあり、「属性」「キャラ」「関係性」「カップリング」というような抽象化過程が嗜癖的に愛好されているのはめずらしい光景ではないし、適切なスコープからはずれると当然問題が出てくる

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