ナレッジベースアプリとして Obsidian を以前使っていてまあまあよかったのだが使う習慣が途切れてしまい、いま改めて別のものを探したところ logseq (log-seek) がかなりよい感じ。
ウェザーニュースの天気痛予報、取得した後でもう一度読み込んだりすると過去分の情報がしばらくおかしく(絶対「安心」表示に)なるなあ
Chants of Sennaar、大変よいゲームでした。未知の言語を解くというシステムを大きく据えていながら、「言語学的なことがやりたい」に傾倒しないで(作者らがそういう分野の出身でないことが功を奏している)、「ゲームを作る」というのが最大限優先されているのがわかるというか……グラフィックスや音楽やプロットと同じく(それらも全部よかったし)、ゲームを成立させるひとつの要素として取り入れるそのやり方が抜群でした。
Steam https://store.steampowered.com/app/1931770/Chants_of_Sennaar/?l=japanese
Switch https://store-jp.nintendo.com/list/software/70010000060399.html
最近ニコ動がランサムウェア被害にあった件で、不使用状態だった X (twitter) のアカウントのアプリ連携を見直しておこうとログインしたら凍結されており、アプリの連携解除もできない。どうしようかな
フォントのメトリクスに「重心」みたいな概念ってないのかなあ
じゃあなんすか、Noto Sans JP使うんならボタンにアイコン入れるなって事すか|chot Inc. デザイナーユニット https://note.com/chot_designer/n/n85ef47a2ec69
デジタル庁もこれやってるのか
朝からの雨で浸水大打撃モチベ畑のモチベ全滅 #短歌
雑感。
ものの実体を知らないまま名だけ知っているのは時として有害性がありうるように思う。
かくかくの有名なものがあり、しかじかの価値が大いに評価されている、と名前だけ聞かされつづけて実体に触れられる機会をもてないと、何かしらの疎外感の効用か、どんどんその対象の偶像だけが悪い形にふくれあがる。そうして触れることへの障壁が上がりつづける。相当のものでなければ承知しないなどという心理になる。
いっぽう、偶然に見つけたもの、あるいは不本意に接触したものでも、実体を経験していると、こういうふうに虚像を嫌うということが起きない。たとい嫌いでも虚像を嫌う嫌い方よりもはるかに健康的で毒気の少ない嫌い方をするように思う。
事物との出会いは偶然的なほうがよい。さしたる期待がないほうがよい。
ずいぶんながいこと、あおいひらたいまるをやっています。
he/him or they/them