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雑感。
ものの実体を知らないまま名だけ知っているのは時として有害性がありうるように思う。
かくかくの有名なものがあり、しかじかの価値が大いに評価されている、と名前だけ聞かされつづけて実体に触れられる機会をもてないと、何かしらの疎外感の効用か、どんどんその対象の偶像だけが悪い形にふくれあがる。そうして触れることへの障壁が上がりつづける。相当のものでなければ承知しないなどという心理になる。
いっぽう、偶然に見つけたもの、あるいは不本意に接触したものでも、実体を経験していると、こういうふうに虚像を嫌うということが起きない。たとい嫌いでも虚像を嫌う嫌い方よりもはるかに健康的で毒気の少ない嫌い方をするように思う。
事物との出会いは偶然的なほうがよい。さしたる期待がないほうがよい。

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