ファシズムの再来を危惧する丸山眞男を
加藤尚武(当時、千葉大学文学部教授)という人が「狼少年」呼ばわりしたのが1986年。
バブル経済のなかで、中曽根政権が新自由主義的で復古的な政策を推し進めていた1980年代。
臨教審設置(1984年)、国鉄民営化(1987年)など、「公」を解体する動きが加速するなか、
それを批判するようなまともな「批評」を、加藤のようなアカデミズムのなかにいる人が、内側から壊し、世間の雰囲気に迎合するものに作り替えていく、権力のアシスト的な働きをしていた・・・。
いろんなことが、いろんな場所で、数十年かけて行われてきたのだなぁと、つくづく思います。
(そして、この加藤という人はいま現在も、雑誌などに出つづけているのです)。
そう言えば、加藤尚武、去年の「現代思想」にも駄文をよせているのだった。
それはそれとして、1983-86というのは中曽根政権下で国鉄解体が推し住められていた。
後に中曽根自身が、「社会党を解体するために総評を解体する、総評を解体するために国労を解体する」という戦略を語った政治プロセスが作動していた時期である。
この中曽根の国労解体が総評解体、連合結成、そして社会党の解体へと繋がっていく。それは同時に小選挙区制を導入することでもあった。
この時期の山口二郎や佐々木毅などの東大政治学者は「小選挙区制」=「政治改革」として旗を振っていたのである。これに対し、加藤周一は「守旧派」としてそれを批判する、という構図にされていた。
それはともかく「ニューアカ」の連中はドゥルーズ・ガタリにはやしゃぐのはいいが、彼らの口から「国労解体」が意味するものを聞いたことがない。
それで「ドゥルーズ=ガタリの政治哲学」などという本を書いてしまうのだがら、臍で茶が湧く、とはこのことである。 [参照]