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「犬が吠えても歴史は進む」、これは父親が共産主義者であったので、1969生の私には幼少の頃から延々と聞かされて来た言葉である。

 私自身は、中学の時から明らかに「共産主義」とは違う主張をするようになり、叔父に「トロちゃんぽいね(新左翼ぽっい)」とよくからかわれていた。

 結局私は一度も共産主義者にもマルクス主義者にもならなかった。理論的にも「歴史の必然」は無意味な命題、という立場。

 変数がほぼ無限とも言える「歴史」に関しては、数理論理学の中でのみ使える「必然」はナンセンス。
 物理学でさえ、カントは「必然性」の基礎付けを考えていたが、19世紀の熱力学の発展によって「統計的相関性」に置き換えられた。

 ところで、父は共産主義者であり続けたが、母は途中で例の「民主集中制」の問題で緑+精神分析に移行。しかし、4,5歳の時に母が感情を爆発させていた映像と「民主集中制」という言葉が結びついたのは、中学に入ってから。

 しかし、共産主義は身体の管理を必ずしも「悪い」と考えておらず、母の子に対する管理・管理教育が重畳したので、私は極端に管理に対してナーバスになり、ついにトックリ・セーターが着れない体質になってしまった。
 これは冬には大変不便で咽喉を痛めやすい。年々悪化するがどうしたものか・・

   

 私のことを「トロちゃんぽい」とからかっていた叔父は、同時に「よしお君はおりこうさんだから」と、なにやら含みのあるコメントを、中学くらいから折に触れするようになり、これが「嫌味」だと気が付いたのは高校に入ってからである。

 ちなみに「正統派」共産主義者からすると、新左翼諸派は全て「トロちゃん」なのである。

 この叔父は、娘(いとこ)に「誰と結婚してもいいが、オウムとトロちゃんだけはだめ」と娘(いとこ)にとっては意味不明な申し渡しをしていた。このイトコは、結局IT起業家という「怪しい」職業のユダヤ系カナダ人と結婚して北米に渡ったけれども。

 叔父は68年の際、とある国立大学で自治会委員長をしていて、新左翼諸派のみなさんから、標的になり、しばしば「暴力」を振るわれていたので、個人的には「憎しみ」を持つのは致し方ない。

 しかし甥のことを「トロちゃん」と呼ぶのはどうかとは思っていた。 
 ちなみにフランスを中心としてトロツキーが設立した第四インター、欧州・ラテンアメリカではそれなりに影響力があったがー有名人ではドイッチャーやK.ローチ、シュルレアリスト達などー日本では影が薄い。

 ところで、「管理教育」というのは母ではなく、学校のこと。神戸はその頃愛知と並んで異常な管理教育で有名だった。

こん!三宅芳夫さん✨✨
私も子供の頃からトックリセーターは着れない体質です☆☆

@yoshiomiyake おはようございます。締めつけの弱いネックウォーマーをおすすめします。


私はごりごりの右翼と言っていいと思われる環境で育ちました。身内に自民党の議員もいました。昭和天皇の大きな写真が仏間にあってそこではみんな正座をして深く頭を下げる習慣が物心付いた頃からしないといけないルールが出来上がっていました。ほんとうに右翼の一族でした。テレビで昭和天皇の番組があるとみんな正座をして見続けるのも普通のことでした。
マルクスに出会ったのは20歳の頃。夫に出会って初めにプレゼントされたのがマスクスとエンゲルスの共産党宣言だったのです。読んで感動しました。その後夫と結婚して実家とは半分縁を切る形で北海道に移住しました。北海道を選んだのは夫が北大だったからです。
夫はマルクス主義者と言っていましたが。長男が生まれてからはマルクスの本は全部物置に片付けて生活の為に生きていました。会社役員をしていたのでほんとに経営者側の仕事でした。
夫が60歳になったとき仕事を辞めて物置のマルクスの本を復活させて毎日読み続けていました。私もマルクスが好きで一緒に語り合って読んでいました。
今は立憲民主党系のマルクスや経済学について議論をする会に夫は参加してます。

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