世紀末アシュケナージの様相をもう少し細かく言うと、ロシア帝国内で土地の所有を禁止された多くのユダヤ人達は都市の労働者となる。
1905年革命においてペトログラードやオデッサなど、大都市で中心になったのはユダヤ系労働者。ここでトロツキーは頭角を現す。「自由の赤旗が翻る!」で終る『戦艦ポチョモキン』の監督エイゼイシュタインもユダヤ系。
ただし、この時点ではまだ第二インターの終焉のロシア社会民主労働党。そのボルシヴィキ(多数派)の指導者がレーニン、カーメネフ、ジノヴィエフ。メンシェビキの指導者がマルトフ、アクセルロート、トロツキーも当初こちら。ここに挙げた名前の内、レーニン以外は全員ユダヤ人。
メンシェビキは都市労働者を基盤とし、近代的立憲政治を経て、社会主義革命。であるから、事実上の武装クーデターである10月革命には反対。
この後、「ブルジョア革命」と「プロレタリア革命」についての不毛な論争が日本で行われるが、これは要するに「2月革命で与えられた条件を10月革命に転化する」というテーゼを世界中に輸出したため。
日本でも明治維新はブルジョア革命か絶対主義かという不毛な論争が繰り広げられた。
ただし、重要な仕事がそこから生まれたことも事実。講座派・労農派などの分析がそれにあたる。
戦艦ポチョモキン(誤)
戦艦ポチョムキン(正)
黒海艦隊旗艦の「ポチョムキン」号とは、エカテリーナ2世の愛人(密かに結婚していた)、参謀のポチョムキン公爵にちなんだ名。
この日露戦争時の黒海艦隊の叛乱とペトログラードを中心とする都市の「革命」によって、ロシアは戦争続行不可能となり、ポーツマスで講和となります。
勿論、日本側もユダヤ系からのものをはじめとした借款を底をつき、戦争続行は不可能だったのですけれども。