これ、体感でよくわかる。
いずれ、きっちり言語化する必要がありそう(SNSでは分量的に厳しいかも、だが)。
「早稲田の文芸のセクハラ事件」って渡辺直己だなー。
この時、確かに、「早稲田文学」系の助教か誰かが、「事件のもみ消し」に奔走した、ということだった。
渡辺直己の「盟友」スガ秀美は、「恋愛無罪」と寝言を発信したけれども。あれ、「恋愛」じゃないでしょ。
指導教官が「俺の女になれ」の発言、どこが「恋愛」なの?
この時、SNSで渡辺直己を擁護していた連中も、ほぼ男の蓮実崇拝者(文体で簡単にわかる)だった。
そもそも渡辺直己、スガ秀美が蓮実教信者だった。
渡辺一夫、加藤周一の系譜、阿部良雄、清水徹、鈴木道彦、野沢協(1930生)、大江健三郎(1935生)で完全に切れた。
次が渡辺守章(1933生)、蓮実重彦(1936生)からの世代。
この二人、留学中フランスはアルジェリア独立戦争から直後だったが、その痕跡がまったくない。
守章さんの「パリ感覚」、これ全く「名誉白人」のエッセイ。パリに溢れていた筈の植民地問題には一切言及なし。
アルジェリア独立戦争側にささやかな「協力」をして、フランス警察にリストを作られていた鈴木道彦との違いは、あまりにも大きい。
QT: https://fedibird.com/@chaton14/109824057968020948 [参照]
@sarutora さん、
なるほど。まあ、ご本人もいろいろ都合もあるでしょうから、「あの場」にいない、ということが即、「ダメ」を意味するわけでもないでしょうけれども。
ただ、大江健三郎が書いていたように、デモに行って警官隊の警棒で「頭を割られた」という清水徹(1931生、当時助手)さんとのコントラストははっきりしてますね。
まあ、「あの場」にいた「らしい」吉本隆明のその後の展開を見ると、やはりその後の人生で何を積み重ねていったか、ということが重要な気がします。
しかし、吉本隆明の「転向」、広告産業との相性の良さ、糸井重里などの「追随者」の軌跡、などなど考えると、埴谷雄高は、やっぱり偉かったな、と。
実際、「死霊」、どう見ても世界レベルの作品です。
それに比べて、吉本隆明、江藤淳、はては石原慎太郎まで、あの際、岸に「安保採決強行」に反対していた筈の「文芸批評家」・「作家」のその後はときたら・・・