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昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は柵の前にカラーコーンと立ち入り禁止のバーが設置されていて、何ごとかと思いました。どうやら柵のペンキ塗りだったそうです。びっくりした。
昨日に引き続き、東京から来た参加者や、ハイバー能「投石」を今年の8月6日に上演した桜井真樹子さん、それにICANの方々が参加してくださいました。
色んな人が足を止めてくださると、連鎖反応のように人だかりができる感じで、なんだかんだと忙しい夜でした。
終わってからはオンライン会議がありました。
現在、ガザで一番使われているのは150ミリ榴弾で、ウクライナでも使用されているのだそうです。これはファナックの武器製造ロボットがボイコットされれば、150ミリ榴弾の製造がストップするので、ファナックへの圧力は大事だという話を聞く。各地で行われているBDS運動の署名も、もっと積極的にやっていこうと思いました。
たまに無関心な人たちに疲れると、人間相手に何かを期待するよりも、宇宙人に期待するほうがマシなんちゃうかと思うこともありますが笑、やれることをやろう。

昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
準備をしているとスペインから来たという観光客2人が興味深そうにプラカードを眺めてくれた。メッセージのファイルも見てくれて、ご自身のメッセージも残してくれました。
東京から来たというかたがジョインしてくださいました。毎日やっているというのを噂に聞いていたそうです。本当にやってて良かったとおっしゃっていました。ご自身が参加されているスタンディングのお話などを、聞かせてくださいました。ありがとうございます。
昨日は大声で怒鳴って通り過ぎていった外国人旅行者がいて、遠ざかってからもしばらくこちらをうかがっていたので警戒していました。怒鳴ったときはじゅんさんが端っこにいたので、ぼくが端に立っていました。一度引き返して来たんですがそのまま公園の外へ。
昨日はぼくも含めて4人だったので(1人は写真が苦手とのことで写していません)、ちょっと緊迫感がありましたね。
そういう人も来ましたが、友好的な観光客が多く、何度も写真を撮ってくださったり、声をかけてくださったりしました。
広島に住んでいるらしいかたも足を止めてくださり、毎日やっているなんて知らなかったとおっしゃっていて、もっと周知しないとな、と感じましたね。

昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は原爆ドームに向かっている途中、信号待ちで止まっていると、声をかけられました。クーフィーヤを巻いてるから思わず声をかけたというマツウラさん、短歌をやっているかたで、ぼくのツイッターも見てくださっていたとのことで、びっくりでした。『ガザ日記』も買いましたとおっしゃってくださり、読書会をやりますのでとお誘いしました。こういう輪が広がるといいなー。
原爆ドーム前では、何人かの人たちが、サムズアップしてくれたり、写真を撮ってくださいました。あとは、ちさとさんが小説良かったと感想をくれたので、お礼に『みんなの美術館』をお貸しすることに。読んでもらえるのは本当にありがたいです。
本読デモってどうやるのかなという話になって、おれは立ち読みでいいかなと思っていたんだけど、一昨日のさるじゅんさんも、ちさとさんも椅子があるイメージだったのでやはり必要か。
色々と気の滅入るニュースも多いし、こういうときこそティーチインが必要な気がする。本読みデモで読書会のお知らせなどもやれるといいなと思っています。

昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
フランスからのツアーでいらした観光客が次々と好意的な反応をくださり、話をしたり(主に湯浅先生とじゅんさんが対応)、写真を撮影してくれたり、一緒にコールしてくれたりしました。
湯浅先生による旧東ドイツが統一後、いかに貧困に悩まされ、見下されたのかという話を聞きました。若い人は急激な変化にもついていけたけど、年配の人々は無理だったとか、開発によって土地が買い叩かれ、高層ビルや高級ホテルが建っていったか、図書館などが閉鎖され、それまで無料で受けていた公共サービスが金持ちしか享受できなくなった、などなど、多岐にわたる講義でした。たまにこういう突発的なティーチインが始まるのが面白いです。
あと昨日は東京から来たお二人がジョインしてくれました。旧ツイッターで「毎日立っていると知って」来てくださったそうです。嬉しい。アゼルバイジャンやトルコの大使館前のプロテストについて話したりしました。「虐殺に燃料を与えるなって確かにそうだなと思いました」というお話を一緒にできて良かったです。 [添付: 8 枚の画像]

具体例としてナミビアの虐殺へのドイツ政府の対応を挙げてくださいました。

慰安婦合意を想起させるドイツとナミビアの関係とは<記憶の戦争 3> | オアシスのとんぼ | 澤田克己 | 毎日新聞「政治プレミア」 mainichi.jp/premier/politics/a

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一昨日、スタンディングのときにドイツの話になった。今のドイツはヤバい、でもこうなる前には素晴らしい国だと思っていた、きちんと反省しているし、と話すと、「それは比較の対象が何も反省しない日本だからですよ」と田浪先生。確かに。

ドイツはユダヤ人差別などは反省しているが、人種差別そのものを反省していたわけではなく、また植民地主義を否定したわけでもなかったという話を聞きました。確かに。

とりわけ印象的だったのは「ドイツは反省したという身ぶりだけを行っていた」という言葉でした。もちろん、日本の状況の批判は必要だけど、批判するときの他国の状況をきちんと理解せずに持ち上げてしまうのも問題だよなと思いました。
雨の中でしたがお話が聞けて良かった。

昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日はアラスカからの外国人観光客が笑顔で近づいてきて写真を撮ってくれたので、メッセージを書いてもらいました。
「アラスカ州アンカレッジから。パレスチナを解放し、今すぐ停戦し、イスラエルと戦争を支持する企業をボイコットし、米国に関係を断つよう圧力をかけよう」
こういう力強いメッセージを、すぱっと書けるの、いいなあ。
湯浅先生がいらっしゃったので、他界した上関さんの追悼会を行うことを話しました。上関さん、湯浅先生の話にとても感銘を受けていたそうです。反戦平和の活動を色々とやられていて、カクワカにも最初のころから注目していて、ずいぶん周囲の人に勧めていたそうです。原爆ドーム前のスタンディングについてもとても評価してくださり、特に色んな人が集まっているところが素晴らしいとおっしゃってくれていたそうです。
追悼会、たくさんの人が集まるといいな。

ブンゲイファイトクラブの抱負が載りました。
note.com/p_and_w_books/n/n707f

400字という縛りだったので、自分のところにロングバージョンを書きました。
note.com/shunicirou/n/n93227e8

あと、いい話としてブンゲイファイトクラブの本戦に出場したことを話すと2人におめでとうと言ってもらえました。仲間はありがたいなと思う。ブンゲイファイトクラブのジャッジシステムについて話すと、面白そうと目を輝かせてくれたのも嬉しかったです。

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昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
もう夜の寒さは完全に冬ですね。
昨日はエジプトから来たという若い女性が写真を撮ってくださり、メッセージを書いてくださいました。更に一度去っていったのに、温かいお茶とアルフォートを差し入れてくれました。やさしい……。
他にも大勢の海外からの旅行者が足を止めたり、写真を撮ってくれたり、サムズアップをしてくれたりしました。日本人のかたもそれを見て足を止める場面もけっこうありましたね。
終わってから、しばらく、じゅんさんと、さるじゅんさんの3人で話しました。
トランプ再選でいいことなさすごる、悪い未来しか思い浮かばない、という話に。
ぼくがエリカ・チェノウェス『市民的抵抗』は読むと元気になるよというと、さるじゅんさんはレベッカ・ソルニットの本を読みたいという。面白そうな本があったら教えてというと、さるじゅんさん、最近は買っても積んでるままなんですと嘆くので、だったら本持ってきて、本読みデモしたいねと提案する。安藤さんもやりたいといってたし、12月になったらやってもいいかもという話をする。 [添付: 5 枚の画像]

昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は寒かったですね。
海外からの観光客が沢山足を止めてくださり、メッセージも書いてくださいました。
アメリカ大統領選挙の結果について、田浪先生やドットと話しました。信じられない、クレイジーな話だ、マジで。
あと、民医連や反核医師の会などに所属なさっている稲原真一さんもジョインしてくださいました。稲原さん、めちゃめちゃ話しやすいかたで、医療現場の人手不足についてや、国立病院の多くが赤字であることなどを話してくれました。ぼくが身近に見ていて不安を感じる医療の未来について、やはり稲原さんも不安視されていて、なかなか厳しいなと思ったり。コロナのことなど、もっとお聞きしてみたかったです。
暗い時代がすぐそこに迫っているときこそ、志が同じだと思える人との会話が大事なんだと思う。
絶望に抗うためにも。 [添付: 8 枚の画像]

核兵器禁止条約の広島開催については、それをやって日本にプレッシャーを与えたいこと、若い人たちに運動の担い手になって欲しいことなどを、熱のこもった口調で話されていました。
最後にお会いしたときには、上関さんのほうから「また話しましょう。核禁条約の締約国会議についても」とおっしゃっていました。もちろんです、とお答えしたのですが、次に上関さんがスタンディングに参加なさったときは、ぼくが休んでいました。

その後、岡崎さんから体調が悪化し、もう原爆ドーム前には来れないだろうという話をうかがいました。
お見舞いに行きたいなと思っていて、「カクワカの核兵器禁止条約オブザーバー参加の調べ学習」を見てから行こうかなと思っていた矢先でした。
上関さん、亡くなる前にも、まだ原爆ドーム前に行きたいと話していたそうです。
残念です。
ご冥福をお祈りします。

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昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は郵政ユニオンの岡崎さんがいらっしゃったので、上関さんのことを話しました。
車椅子ユーザーの上関さんは、11月1日未明に他界されました。
以外は岡崎さんからいただいていたメッセージです。

〈おはようございます。車椅子でドーム前に行っていた上関英穂さんが昨日の11月1日未明に亡くなりました。65才でした。若くして日本郵政の労組の役員を歴任し、全逓から離脱し少数組合の郵政ユニオンを立ち上げた後10年間東京本部の中央執行委員を務めました。退任してからは仕事をしながら広島の様々な活動に参画し、そして最後に力を入れていたのがドーム前でした。核兵器禁止条約の締約国会議の広島開催を目指す運動をしないかという呼びかけが最後のことばとなりました。〉

上関さん、原爆ドーム前のスタンディングについてとても評価してくださっていました。
この場所で毎日やっているということにインパクトがあるとおっしゃって、ご自身が核兵器の実験に反対して座りこみをしていたときに朝日新聞に撮影してもらい、紙面に載ったときのことなどを話してくれました。

昨日は最初少し蒸し暑かったんですが、だんだん冷えてきて、最後のころはクーフィーヤを巻いても少し肌寒いくらいでした。夜は急速に冷えるので、そろそろ注意が必要ですね。

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昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日はゆたかさんから自分のことは「マッセ」と呼んでほしいと言われました。と書いたところで平仮名表記がいいのか、カタカナ表記がいいのか聞いてなかったな……とりあえずカタカナ表記でマッセさんと書きます。
で、マッセさんが「吉美さん、小説を書くんですね。びっくりしました。本にはなってないんですか」と質問されたので、アンソロジーに収録されていますと答えると、購入したいとのこと。ありがたいです。

サルマさんが来たので、この間のハロウィンアクションについて話しました。サルマさん、ずっと先頭で歩いていたんですよ。あれは本当に勇気が必要だったと思う。後ろから見ていて、少しも臆することなく進んでいる姿は本当に素晴らしかったです。
で、サルマさん、途中でご友人たちと会って話していたんですが、あれがすごく不思議で。なぜ黒い布を頭から被っていて顔が見えないのに、友だちはサルマさんだとわかったんだろう、何が判別のヒントになったんだろうと気になっていたんです。だから質問してみました。すると、サルマさんが笑いながら、コスチュームを被っている姿を写真に撮って、LINEで友だちに伝えていたとのこと。
なぜそのことに、まったく思いいたらなかったのか、自分でも不思議ですね、マジで笑

「しかし、今は上映ができなくなった。10時7日以降、パレスチナの子どもに共感する回路はシャットダウンされてしまった」

「7年間の制作期間、何度も何度も映画の尋問シーンを見た。しかし、仕事が終わって家に向かうと通りではカフェで人々が口に楽しそうに談笑している。すぐ近くで虐殺が行われている今も、私の周囲では静かな生活が営まれている。状況を変えたくない、知りたくない、という考えが政府をサポートしてしまっているんです。だから現実を見るのが、厳しい、苦しい、辛いと思っても、虐殺や民族浄化をサポートしないため、風穴をあけるために、映画を作る。レフトだけでなく、極右にも観てほしい。そして裂け目を作りたい」

会場の雰囲気も含め、本当に素晴らしいイベントでした。

その後、原爆ドーム前に移動し、監督とプロデューサーもスタンディングの場に来てくれました。

ツイッターで今日来るとおっしやっていた女性も参加してくださいました。その女性は専門学校の先生で、生徒さんたちにガザのことを伝えたそうです。3回の連続講義で、きちんと興味を持ってくれた若い人もいたそうです。そういう試みは、本当に素晴らしいなと思いました。

終わってからは食事会をしました。これから何をやっていきたいのかを話せたのもよかったです。濃い1日でした。

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昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は色んなことがあって書ききれない。とにかく書いてみます。

昨日は『トゥ・キッズ・ア・デイ』という映画を観ました。
映画の後の講演会で、製作者のお二人に話を聞きました。印象的だった話がいくつかあります。

「シオニストの中にもリベラルな人々もいる。しかし、それはあくまでもシオニストの体制の中でのリベラルだ。彼らはイスラエルでデモをするけれど、その目的は、ガザの人々の命を奪うな、ではなく、人質が返すように行動せよ、というもの。リベラルな人々が口にする、リターン・トゥ・ガザというスローガンがある。これは、人質を返してもらってガザに帰ろう、それで終わりにしようという意味だ。これが〈リベラルで善良な人々〉の考え」

「昨年の10月までこの作品はイスラエル国内でも公開されていた。毎週3回上映していたけど、文化スポーツ大臣が公開中止を言ってきた。イスラエル軍に対するネガティブな印象を与えるから、という理由だった。大臣の意見に同調する反対運動もあったが、これが逆に評判になり、多くの人々が見に来た。知らなかった、という人たちもいた。もっと知らなければ、という人もいた。」

「遅かれ早かれ」という作品で、本戦に進みました。よろしくお願いします🇵🇸note.com/p_and_w_books/n/n1912

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