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私自身の教育実習は、母校の高校と地元の小学校の二つの学校を経験した。高校の研究授業では何をしているのかわからなくなり生徒に助けてもらった。

小学校では体育の跳び箱の授業で、なかなか跳べない子が最後に奇跡のように跳べて、思わず涙を流してしまった。どちらも忘れられない思い出。

小学校勤務の時は、子どもたちの笑顔から毎日のように元気がもらえた。大学生とは、一週間に一度の講義でしか会えないので元気をもらう関係になるのは難しい。

そんな中、授業前、授業後に、名前をまだ覚えていない学生の方から話しかけてくれることが増えてきた。もちろん元気をもらっている。

どの分野でもコンプライアンスが厳しくなっている。教育現場も同様で「その言葉は使っちゃいけない」「子どもの身体には触れてはいけない」等々を意識しながら子どもたちと接しなければならない時代。

言葉狩りにならないようにしたい。その言葉を使わなければ良い……、という問題ではないのだから。

左目のまわりをおおっていた青あざがようやく薄くなってきた。黄色い部分も広がってきたのでこのまま治るのだと思う。大学での講義は7年目。初めて講義を休講にした。

今回のことは私にどんなメッセージを残したんだろう。「生活動作」がコントロールできなくなってきたことの注意喚起?

服装に無頓着だ。制服とスポーツウェアーでずっと過ごしてきたせいかもしれない。私には「私服」という概念がない。

そんな私が珍しく帽子を買った。髪の毛は全体的に少なくなってきたのに暴れるように伸びる。それを帽子で押さえようという魂胆。帽子としては不本意かもしれない。

左目のまわりにできた大きな青あざ。かなり小さくなってきて、まわりが黄色くなってきた。私の場合、二週間で治った…、ということになる。

色々なことを知った。
①青あざは下に移動する。
➁青あざは最後は黄色くなって消える。
③青あざは、できた事情によって違うが、ほとんどは、2,3週間で治る。

「老害」って具体的にどんなことだろう。思いつくままに書き出してみると……、

①口うるさい
➁話が長くて自慢話が多い
③すぐに教えたがる
④空気を読まずに自分の話をメインに置きたがる
⑤ダジャレが多い

私も気づかぬうちに「老害」を発信していることがありそうなので注意しなければ…。

最近、TikTokの「おしらせ」でドラマ「ごくせん」が出てくる。現実の学校現場とは、かけ離れたストーリーなのだけど、やんくみ先生は、どうしてあんなに生徒たちに慕われるのかを考えながら観ていると興味深い。

生徒ファーストなスタンス、人生で大切なことを熱く語れる力量…、そんなところかな?

今週は、教育実習生を受け入れてくれている小学校を、巡回する一校目だ。現場の空気を吸うことができるので、楽しみにしている。

私の場合、実習生と子どもとの関係性がどこまで良好になっているかを評価する。ゆえに、授業が始まる前の休み時間から教室に行かせてもらっている。

電車の「優先席」に座るのに抵抗がなくなってきた。高齢者だし腰も悪い。「座っていいんだよね」と自分に問いかけながら座っている。

ただ、席はできるだけ譲るつもりだし、今でも何度か譲っている。逆に譲られたことはまだない。

今も、優先席に座っている。座っていいんだよね、と問いながら。

講義で一つの実践を紹介したら必ずマイクを回して質問を受けている。60人を超える教室でも「質問がなかったらマイクを後ろにまわしてください」と言ってマイクを移動させる。

しかし中々質問はでない。質問が出ない時は、紹介した実践に興味がないか、私の紹介の仕方が悪いかのどちらかだ、と考える。

自分で型をつくってそれにはまろうとしている。ゆえにその「型」を作ることに時間がかかっている。

その場のひらめきを大切にして、アドリブ的な生き方が楽しそうだが、型をつくらないと行動できない性分はなおりそうにない。

SNSも無理をせず、自然に風に吹かれるままに運用したいと思い始めた。

チャレンジしたい新しい事がたくさんある。ところが現状をまわしていくのに精一杯だ。身体のコントロールや記憶力、そして頭の回転......、こんなはずではなかった、ということが多い。

あと30歳でいいから若返るドラえもんの道具が欲しい。30代をもっと自覚的に過ごしていれば....と後悔するばかり。

定期健診の血液検査で、「貧血」の数値が、異常に低くなっていたので、本日再検査。

幸いに数値は戻っていて正常値。先日頭を打って目のまわりに大きな内出血をしてしまったことが原因かもしれないと若いお医者さんから言われました。

なぜ健診当日に異常がわからなかったのか……、言いたいことがいくつかありましたが、とりあえずお礼を述べて帰宅。

国会議員や地方議員の高齢化を批判する意見が多い。高齢議員は上から発言だし居眠りも多いと言う。

私も高齢者だが、居眠りの習慣がない。若い時からコンタクトレンズをしていて、当時のハードコンタクトは、眠ってしまうと眼球を痛めることもあったので、居眠りしないように注意していたこともある。

カバンを軽くしたい。心配性の私は、念の為に…と、色々なものを入れてしまう。

PCも持ち歩く。メインのWin機は重すぎるので、持ち歩くのはMacbookAir。しかし、PCは、本体が重いのではなく、充電コードが重いことを、みんな思っているのにあまり口に出さない。

持ち歩く物を再考しなければ。

高齢になると上げたつもりになっている足が上がっていなくて、小さな段差で転ぶことが増える。そして転倒がきっかけで急に身体全体が衰えてしまうこともよくある。

昨年亡くなった母は、転倒して左のろっ骨を骨折。そのことがきっかけで、もの忘れが急に進んだり、ペンで文字が書けなくなったりした。

目のまわりにできた内出血は薄くなってきたがまだとれない。最近は眼帯もやめてしまった。私の顔など誰も見ていないと開き直った。

今年で67歳になる。高齢者になって注意しなければならないのは転倒。テニスでは転ばないのに、普通に歩いている時に、足が上がっていなくて、小さな段差でもつまづく。

運動会の玉入れの起源は、遠方の敵に的確に手榴弾を投げることの訓練だそうです。

最近の玉入れは、チェッコリ玉入れが多いようです。踊りながら玉入れをします。

チェッコリ玉入れは、40年ほど前にCMソングで流れたのをきかっけに小学校の先生が創作ダンスに用いるようになったのが起源です。

イギリスから伝わった運動会は、軍事訓練の要素が強かったのですが、同時期に始まった札幌農学校の運動会は、学校を地域にひらく…、という意味がありました。

教育・子育ては、学校だけではできない…、してはいけない…、と考えていました。学校と地域は対立構図ではなかったのですね。

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