孫が、猫アレルギーだったので(体が痒くなる)、ほとんど私の家には来なくなっていましたが、黒猫ヨシムネとお別れしたので、もう大丈夫かと思うのだけれど、部屋の隅に、ヨシムネの毛が落ちているんじゃないかと思い、孫に、遊びに来るように、と誘うことに、まだ少し躊躇している。

最初に目が合った「品物」を選ぶことにしている。たとえばコンビニのおにぎりで、何を買おうか迷った時など、最初に目が合ったおにぎりを選ぶ。もちろんおにぎりには、意志も目もないのだけれど、時々メッセージを感じることがあるから不思議。目が合った品物を選んで、失敗したことは今のところない。

野球やサッカー……、スポーツを見ることが好きだ。ただサッカーは、「ずるい行為」も含めて実力、みたいなところが苦手。大げさなポーズ、スローイングのいいかげんな場所とり、反則を受けたという演技……、それも含めて実力だ、というのが苦手だ。サッカー少年は、そんなことまで真似をしているし。

春に運動会を行う学校現場では連休明けから練習・準備に追われます。練習で子どもたちが思うように動いてくれない時など、ついつい一方的に子どもたちを叱ってしまいがち。こんな時期こそ、子ども目線に立った指導を心がけたいですね。子どもたちとのコミュニケーションを指導の真ん中に置いてみよう。

戸籍上は男性でも女性だと自認しているトランスジェンダー学生に関して、全国の4年制女子大のうち少なくとも5校が入学資格を認めているようだ。また今後入学を認める方針を固めた女子大が3校に上ることも判明。在学生や保護者の理解……、「なりすまし」の見極めの難しさ、という課題もあるようだ。

自民党が補選で全敗、などと報道されていますが、気になるのは相変わらずの投票率の低さです。

東京15区……40・70%(過去最低)
島根1区……54・62%(過去最低)
長崎3区……35・45%(過去最低)

実は、今の生きづらい生活は政治に強く関わっていることを知って、投票に行ってほしいと思っています。

「まわりといっしょじゃないこと」「自分軸の発信があること」が子どもたちや若者たちの「推し」になることの基本的な条件のようだ。「Ado」と「Ano」は、才能もあるが、今までとは違った見せ方をしていて、すごいな……、と思う。同調主義でなく、独自の世界観をみせるエンタメの時代になったのかも。

連休の途中に平日がある時、学校を休む子が出てきたのは2000年になる頃からでしょうか。2001年の学習指導要領で、学校五日制が完全実施され、その忙しさが平日にどっと詰め込まれる形になった時代に、バブルの時代に公立学校への不信感が芽生え、学校は絶対ではない、家族関係の大切さが叫ばれた時代。

4月が終わる。早い早いと思いながら、一方で「まだ4月だった……」と思う感じもある。それだけ色々なことがあった月だった。黒猫ヨシムネとのお別れ、新しい学生たちとの出会い……、紹介できないほどの大切な出来事があったのが今年度の4月だ。どの出来事も大切に受け止めて、5月につなげていきたい。

学生の質問を大切にしたいので、質問が無かったら次にマイクを回す……、という方法で質問を受けつける時間をつくっている。しかし,60人の授業で2,3個出ればいい状況。質問が出ない時は話が面白くなかった、わからなかったのだと反省する。もっと質問を発生させられる素材と話し方をしなければ……。

学校が早く始まってほしい……。長い休み中によく聞かれる愚痴だ。それだけ子育てが厳しいということ。子どものことを愛していないということではない。国は何が厳しいのか、もっときちんと分析して、支援するべきだろう。お金の問題だけではないはず。例えば子どもが安心して遊べる場所の問題もある。

連休明けから運動会の練習が始まる学校が多い。新型コロナの影響で一時的に秋の運動会が増えたのだが、ここにきて再び春に行う学校が増えてきた。

また、最近は、ほとんどがお弁当無しの半日運動会だ。学校によっては午後から授業を行う学校もある。半日か一日かについては学生は意見が分かれる。

5月の連休明けは、教室が……、子どもたちが、落ち着かなくなっていると感じるかもしれません。学級の危機だ、このまま学級崩壊してしまうのではないか……、と心配になる人もいると思います。これは子どもたちが「荒れてきた」のではありません。「慣れてきた」のです。学級の前身のチャンスです。

子どもたちが言うことを聞いてくれない、保護者からは理不尽な批判が届く、同僚から「仕事ができない奴」と評価されているように感じる、自分は教師にむいていたのか……、と自分を責めることも多い。社会人+教師でいることの厳しさを感じる時期だ。この時期の自分への評価は甘くてよいのではないか。

子どもや若者たちには、どう生きるのかの提案していきたい。最新書籍「第2の進路指導」では、教師としてどう生きてきたのかを14人の「先生」に取材をして紹介。どの教師も自由と権利を大切にして生きている。未来を生きる子どもや若者たちに教えなければならないのは、自由と権利だということになる。

祖父が亡くなった時に父親が「こういうのは順番だから仕方がない…」とつぶやいていた。そしてその父親が亡くなり、その次になんと私の妹に先立たれた。順番を守れなかった妹。その次に、きちんと順番を守って亡くなった母。順番では、その次は私の番だけど、まだまだ私は長生きさせてもらうつもりだ。

本日、母親の一周忌。母が亡くなってから。もう一年がたつのか……。最後は私が一人で看取ることかできた。90歳を超えて、ひ孫に会わせることができたのが、一番の親孝行になったと思う。むこうでは、父親と、私の妹に出会えたのだろうか。私は、まだまだこちらでがんばるつもり。見守っていてほしい。

学校の「お酒の出る食事会」に参加するのは苦手。上の世代(団塊の世代)の自慢話を聞くのが特に嫌いだった。さらには、管理職のセクハラが許せず途中で帰ったこともあった。

最近は、こういった食事会は出ない人が増えている。気の合った人と会を開く人が増えている。それでいいのかもしれない。

「時代が私の価値観をつくっている」と、しみじみ思う。昭和の時代に生きて、昭和・平成に小学校教師をしていた。昭和・平成で通用していたのに今の時代には通用しない価値観が身体にしみついている。だから「女の子らしく」とか、「がんばればできる」とか、当たり前の表現として口にだしてしまう。

高齢者疑似体験グッズを使って子どもたちに指導したことがある。視覚障害ゴーグル、イヤーマフ、ゼッケン、重り付けベスト、前かがみ姿勢体験ベルト、ひじ・ひざサポーター、重りバンド、アルミ折りたたみ式ステッキ。正直に言うと、本当にこんなに動けなくなるのかなぁ…、と疑問に思っていた。反省。

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