お休みだー!ってんで早速これから読み始めてるんだけど、序(正しくは「声のはじまり――序に代えて」)の時点で面白すぎてワクワクしている
https://www.akashi.co.jp/book/b587062.html
読んだ 「残余の声を聴く 沖縄・韓国・パレスチナ」 めちゃくちゃ面白いし、言い方選ばず言うと最っ高にクールでテンション上がりましたね 個人的な興味分野にかなり近かったのもあり 結構手元に置いておきたい方の本かも
https://www.akashi.co.jp/book/b587062.html
QT: https://fedibird.com/@yayoi_3/112341526629978451 [参照]
p.217「イスラエルによるパレスチナの迫害が、世界のアフリカ系(黒人)への差別とともに、在日朝鮮人や沖縄やアイヌへの差別へと接続していることを見いだしつつ、そのすべてを連関させて批判する視点を持つこと。」後の「〈見失われた植民地主義に抵抗するリンク〉」のお話もそうだけど、個々の問題にフィーチャーするだけでなく、植民地主義や、国民主義、レイシズムそのものへの批判的視点が必要なんだよな…それこそ開いていく取り組みというか なんか、先日の横浜トリエンナーレを思い出したな あれは世界の色々な場所、時代の中に共通するものを見出すような構成で 私としてはそれぞれの個別性が見過ごされるリスクもあるんじゃないか、とも思ったんですが、通底するものそのものへの批判をすることが、繰り返される問題の最終的な解決に繋がるのかもしれないなと改めて思うなど
オタクとしてはあとがきのp.275「想像力は個々人のものだが、しかし、互いに持ち寄ることもできるもののはずだ。互いに持ち寄り、そして観測地点を三点から四点、五点と増やしていくことで、個々人の想像力の限界は早々に突破されるかもしれない。多様なつながりを持つ豊かな「私たち」が、この突破の先に見つかることを期待したい。」で「皆違うから前も後ろも右も左も上も下も斜めも全部全部見渡すことができる」…では!?!?になってた 魔法使いの約束……
「声を聞く」……なんだよな………「ガザに地下鉄が走る日」で紹介されてたカナファーニーの「太陽の男たち」の映画版で改変されたラストを思い出した なぜ世界に向けて声を上げなかったのか、という結末は、なぜ世界はこの声を聞かなかったのか、になった、と それは映画化までに起きたパレスチナを取り巻く状況の変化を反映している、と(原作、映画共に未読未視聴ですが…)この本にもカナファーニーの名前は登場してましたね