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レベッカ・ソルニットが選挙結果について何か言っているかな。と思ったがその検索先はイーロンマスク所有twitterX なのだった。

ケ・ブランリ美術館(ジャン・ヌーヴェルの建築、ジル・クレマンの植栽)所蔵の“美術品”返還、と書けない違和感をなんとか保存

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アテネで見た『オルフェア』、「夫を冥府から連れ戻すのは手始めに過ぎない。すべての人類の生命を救うのだ」と宣言する若い女性の革命家オルフェアが歌って飛んだり跳ねたり支離滅裂に踊ったりに、無数のイメージやテクストが脈絡なく挿入される錯綜を極めて前進する映画で…監督が言うに挿入物らはアビ・ヴァールブルクのムネモシュネ・アトラスなのだ。という説明で、、おっしゃる事は理解したいが全体が巨大過ぎて分かるかー!不死のロシア宇宙主義を読めばなにがしか近づけるだろうか?なのだが、作中ヨーロッパに流れ込む移民の死を象徴して多用された、シリアから渡りトルコの海岸に打ち上げられた報道写真で広く知られたAlan Kurdi(~2015)のイメージの再配置は今もSNSで子どもの死の画像に接するたび強力に作用するのだった

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12月末にアレクサンダー・クルーゲ特集「ニュージャーマンシネマは終わらない~…」があり、なんてこったクリスマスイブは『ハッピー・ラメント』だ。『昨日からの別れ』は女性がひとりでさまよう映画で普通に冬の旅やWandaのようにおすすめできますが、、
shimotakaidocinema.com/schedul

今の処理容量は、ダホメ王国の彫像や副葬品を変換する『ダホメ』を見て、落ちたものを拾うためにしゃがんだら出てきたリンダ・ノックリン「虚構のオリエント」を読んで丸まっているぐらいです。『アトランティックス』と同じ、夜に大西洋と霊の声が押し寄せる。サイディヤ・ハートマン読まないと…

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祭りが終わってからぶつくさいう『ダイレクト・アクション』無理くり予定に詰めなかったのは失敗で、アルベール・セラ『孤独の午後』も見たかったなあ

黒いロングコートを着ると落ち着く(ゴスのうめき声)

「MAMプロジェクト032」バディ・ダルルの、ある時代の日本文化で育った人間を捕獲する装置としか思えない(アリババと40人の盗賊の絵本!ふかふかの座布団が置かれたブラウン管テレビ!)設置物の中で《日本人、アハマッド》のビデオ作品を見ている方が楽しい

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当然そんな事は忘れて、ゲラン、シャリマーの香りを嗅ぎながら、ルイーズ・ブルジョワが「目つきのおかしいネズミ」「あのバカ女」など記憶をぽんぽん語るインタビュー映像を見ては長大な年表を眺めている方が楽しいし、

森美のルイーズ・ブルジョワ展の 《カップル》連作あたりで、笙野頼子の「本当は男」「私の男」「男の私」が脳裏にフラッシュバックしてのち、その3つを念頭に置き反ジェンダーにもう“成っていた”だろう『ウラミズモ奴隷選挙』を読み返すという虚しい事をやっている。鳥影社のnote新作も読んだ。

で、ポリシングと言ったら読んでいる途中で寝落ち継続中(ランシエール!?ぐうすかぴーですよ)の以文社の掲載のこれでしょう…。

> パレスチナをめぐる感性的=美的取り締まり[ポリシング]は、イスラエルの植民地的支配(archē)とその階層的秩序の確立を手助けすべく機能している。そこにおいて、生は割り当てられた分け前、割り当てられた居場所を守ることを強いられる。
ibunsha.co.jp/contents/ianalan

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取り締まりと法が個人へどう作動するかの再現ドラマパート、『魔法が私に流れ込んでくる』と同じく個人史に結び付く、監督の母(植物の世話やヨガをしたり)と父(スイミングプールへいったり)が車に乗って植物採集をして調理し食卓に並べる様子の描写パートあり、建物が崩れ去ったかつての村に住む男性が王のように愛する犬たちを連れて緑の草原を歩く感情に作用するショット、パトランプの光が不穏に夜の草原を浮かばせる美的なショットあり、やっぱりバランスがいい。これからも「本庄からパレスチナへの会」の方の努力で上映が続きますように

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『採集する人々/Foragers』
野草採取するアラブ人が監視・取り締まりの対象になる一方、イスラエル人が手厚い“天候保険”に守られキブツで農業生産を占有する2つの食用植物「ザアダル(za’atar) 」は葉の形からしてタイムのたぐいで、恵比寿の世界のパン パダリアで食べたレバノンのパン、マヌーシェの上に塗ってあったザーターという爽やかな合わせ調味料のメインハーブではないだろうか、「アックーブ(akkoub)」はアザミであり食べ方を見るにアーティチョークっぽい味なのだろう…と、味覚の記憶を動員し口をもぐもぐしながら見ました。

トークショーのスライドで言及された、対抗的記念碑/カウンター・モニュメントはこの2点。

ヨハン・ゲルツ&エスター・ゲルツ『THE MONUMENT AGAINST FASCISM』
shalev-gerz.net/portfolio/monu

ハンス・ハーケの、作品タイトルはゲッペルスの発言「‎Und Ihr habt doch gesiegt!」で、オーストリアのグラーツにアンシュルスした当時のオーストリア・ナチスの歓待ぶりを忠実に再現(1988)してネオナチが燃やしたアレです。
360.grazmuseum.at/en/objects/u
foundation.generali.at/en/coll

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最初の映画はリュミエール兄弟『工場の出口』(1895)、ハールン・ファロッキのは『労働者は工場を去って行く』(1995)

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Cinema started with workers leaving the factory. Harun Farocki wrote about this: cinema is about what happens outside the factory, it’s about entertainment and about making the audience be ready to get back to its position inside the factory without protest. In my film you might be waiting to see workers coming out, but they won’t. These bodies are disappeared.

mubi.com/en/notebook/posts/jon

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『コーポレート・アカウンタビリティ』 、アルゼンチンの「汚い戦争」消えた「失踪者」の不在を映し、国家と企業の共謀を糾弾するさらにその先へ踏み込み、ロゴを顔とした企業を犯罪の行為主体として激しく告発する抑制された映画で、抑制された形式の中に「車の中から手持ちカメラの監視映像」に監督の手振れする身体を通した現在形の恐怖と、演出された監視のコミカルさ(イランの映画監督ジャファール・パナヒのカメラを載せた車の使い方を想起)と、監督の主観を排した報告書のテキストの朗読…。と、印象は書き連ねられるけれど、引用のこれに尽きる

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土日は完全に床に潰れて、IFFプログラムのジョナサン・ペレルの『Corporate Accountability』の反芻と、マーダーボットダイアリーズの最新刊で、なんとなんとあのメディアに耽溺する弊機が仲間の人間&機械知性と協働し悪徳企業へのカウンター・ドキュメンタリー映画を制作&公開する驚き&爽快感(そうだ!時に映画(オタク)は人にポジティブな変化をもたらすんだ!)の展開…。をわーおとか言って読んでました。全体としては資本/企業/監視/拷問/殺害/恐怖/戦慄/エンターテインメントの悪夢めいた怠惰です

塗れてエロティックなクロースアップの連続でこれは英雄成分含むビキニカーウォッシュでは?な『ブレスド・ブレスド・オブリビオン』は作家のサイト(Vimeo)でフル視聴できました。英語テキストを動画に合わせて読むのが苦にならない方はどうぞ~。
jumanamanna.com/Blessed-Blesse

(こういうお行儀のわるい方向のは貴重。イメージフォーラムの上映、冒頭とラストに配置されたエロ詩/小咄の字幕翻訳素晴らしかったです)

で、、
「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー—山形in東京」で『採集する人々/Foragers』が(監督名:ジュマーナ・マンナーア)表記で11/1(金)にバスマ・アルシャリフとセットで上映されますね。キャプションを翻訳機能で読むと、食用植物の採取を通して“何を死なせ何を生きさせるか決める”政治について…、ということでこれはかなり見たいんですけどドドド平日午前
jumanamanna.com/Foragers

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