『採集する人々/Foragers』
野草採取するアラブ人が監視・取り締まりの対象になる一方、イスラエル人が手厚い“天候保険”に守られキブツで農業生産を占有する2つの食用植物「ザアダル(za’atar) 」は葉の形からしてタイムのたぐいで、恵比寿の世界のパン パダリアで食べたレバノンのパン、マヌーシェの上に塗ってあったザーターという爽やかな合わせ調味料のメインハーブではないだろうか、「アックーブ(akkoub)」はアザミであり食べ方を見るにアーティチョークっぽい味なのだろう…と、味覚の記憶を動員し口をもぐもぐしながら見ました。
で、ポリシングと言ったら読んでいる途中で寝落ち継続中(ランシエール!?ぐうすかぴーですよ)の以文社の掲載のこれでしょう…。
> パレスチナをめぐる感性的=美的取り締まり[ポリシング]は、イスラエルの植民地的支配(archē)とその階層的秩序の確立を手助けすべく機能している。そこにおいて、生は割り当てられた分け前、割り当てられた居場所を守ることを強いられる。
https://www.ibunsha.co.jp/contents/ianalanpaul02/
取り締まりと法が個人へどう作動するかの再現ドラマパート、『魔法が私に流れ込んでくる』と同じく個人史に結び付く、監督の母(植物の世話やヨガをしたり)と父(スイミングプールへいったり)が車に乗って植物採集をして調理し食卓に並べる様子の描写パートあり、建物が崩れ去ったかつての村に住む男性が王のように愛する犬たちを連れて緑の草原を歩く感情に作用するショット、パトランプの光が不穏に夜の草原を浮かばせる美的なショットあり、やっぱりバランスがいい。これからも「本庄からパレスチナへの会」の方の努力で上映が続きますように