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何も持てない人たち、貧者の唯一の獲得物のアイデンティティ
という強いアイデンティティ批判(例に挙げられる画像はプライド・パレードの連帯)を含む作品を見て聴いて、やー先行した人を見てて薄々予期していても名乗らざる得ない局面があったつもりでして…失敗だったかな?とはいつも考えてますよ。とか何とかぶつぶつと。さて家に帰らなくては

書簡で使われている「modern blood libel」でググってちょうやば

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昨日で終わったストローブ=ユイレの軌跡1962-2020、最後は『アーノルト・シェーンベルクの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』と『モーゼとアロン』の2本でヨーロッパとアラブの民族問題もりもりだったでしょ。

ところでこの2本、音楽の「調」がぜんぜんわからないピアノの先生に怒られて怖かった人が見ました。どうでしょう

『関心領域 The Zone of Interest』目立ってポスト・ホロコーストの映画かなと捉えて、初報の段階でジャンルへの警戒感と期待が混ざって題材のセンセーショナルと製作A24の今感を人と共有する気がなかったのですけど。監督のオスカースピーチへ『サウルの息子』ネメシュ・ラースローの短いコメント、業界人の公開書簡で露わになっている「ユダヤ人の脆弱性への危機感」には、ランズマンのパレスチナへの姿勢を知っててもなお、いつまでも慣れないな

横浜トリエンナーレ、ジェレミー・デラー《オーグリーヴの戦い》(2001)展示あるじゃないですか~

嘴と爪のケアに爬虫類専門病院を予約し病院から出てあまりに天気が良く、我々(人間と袋の中の亀)は食べ歩きを決行した。当然我々と言うのは誤魔化しで亀は同意していない。しかし亀は置かれた状況に耐え適応し回復する動物なので、人で賑わう北の丸公園で現地調達の菜の花を食べ、四谷の土手でたんぽぽを食べ、松葉の散らばる地面に穴を掘って寝始めたので亀を掘り返し袋に詰め戻し電車に乗って帰宅した

夜、信号待ちの間にうぐいすが盛んに鳴いて幾人か顔を巡らせて音の出どころを探して居ましたが、その中のわたしも。音は人間の頭の高さで一定に、また低速で移動していることからホーホケキョと鳴くのは自転車をゆっくり漕ぐ人間のおじさんです

国立西洋美術館では、小企画展「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」
会期:2024年2月27日(火)〜5月26日(日)、開催チュー。。

人体の破壊へのあいまいな言及 

西洋美術館の内覧会の抗議アクションに対する意見のうち、①ダイインのようなアクションはかえって死のリアリティから遠ざかってしまう。②(これは沢山ある)全てがアートの中に回収され消費されるゆえに行為の価値は下がる。少し前に提起されていた、③ガザから発信される暴力が行使された人体の凄惨な画像の拡散の是非。①②③を合わせて10年ほど前の「なぜ今日では破壊された人体の画像を見ることは重要なのですか?」テキストを機械翻訳で楽してぼんやり読む過去へのずり下がりを起こしています。

何年かぶりにテキストと共に実践された作品をそろそろとのぞき見て、当然めちゃくちゃ怯むのでうわっとかぐわっとかなりつつ、この作品化された一連の凄惨な画像は、フェティッシュでもなくエログロなどのサブカルチャーの装いもなくまたそこに写っているものの聖性もないのでとても「見やすい」です…

中間のパートで朗読される、アンドレ・マルローの『アルテンブルクのくるみの木』、“島々の住民は性交と生殖を結びつけない(…)子どもの保護者は母親の兄弟が指定され父は居ない(…)宣教師はお手上げだ(…)父性のない社会の性道徳を想像することができるか”(←とってもうろ覚え)の一節に「くたばれ父なる神」と気持ちが盛り上がる

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ストローブ=ユイレ『水槽と国民』
冒頭、画面全体が金魚が複数泳ぐ水槽の水を通した黄色がかった光、画面右よりに画面を縦に分割する水槽内の表面の藻を金魚がつつく木、水槽のガラス面にぼんやりと輪郭が確認できるデジタルカメラ、水槽の向こうガラス越しにぼんやりと見える人と車が行きかう通り。中間の朗読のパートを挟み最後に他の映画の引用とマルセイエーズ。ここまでのかっちりの構成でも見ている最中と見た直後には「水槽の魚は自分の水槽を見ることはできない」の台詞がポイントだよなあ…金魚ふわふわかわいー。ぐらいのぼんやり感。突然鳴りだす音楽で私をいつもたたき起こしてください

おおっと。たった今、この上なく好きなインターネット上のはかない二次創作がカラヴァッジョの聖トマスの不信をモチーフにしている事に2年越しで気が付きました。

裏サーの頃、カーラ×スマイリーは通常の意味での接触が排除され、かつ絶対的な距離がロマンチックである。よって原作準拠の王道CPと主張し概ねドン引きされてました

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スマイリー3部作を読んだくらいでもシリーズが続くというのはうれしくて、亡くなった時のWEB本の雑誌の書評「ジョン・ル・カレの遺作『シルバービュー荘にて』を味わう」の最後の引用が好き~。という心持を反芻しました

関連記事で表示される「遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮」レビュー、性器をテーマにBLや二次創作のカルチャーが色濃く(未来永劫延々と争点となる受けと攻めの問題ですよ…)面白いな。。

bijutsutecho.com/magazine/revi

出来事の時系列が断片化してやってくるのに疲れている…(がんばれよ)
旗があった(ない)事を踏まえてから再度見る手をつなぐパフォーマンスの画像はより美しい

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SNSではついアートの内か外か現実的な実効性はあるのか。の議論にワーッと注意が行ってしまいますが、国立西洋美術館のパフォーマンス、アクションに警察(公安とみられる。と書くメディアも)がアクションへ事後的ではなく“自主的に”介入した様子が各種報道から伝わりひんやりする

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フォレンジック・アーキテクチャーと協働してイスラエルのスパイウェア「Pegasus」の調査を映像作品にしたローラ・ポイトラスの、アートと資本、アーティストの個人史の『美と殺戮のすべて』の公開が3/29ですね…

カール・ドライヤー『吸血鬼』
暗く沈む屋敷内、草木が揺れる明るい戸外、主人公が収まる棺の中、全てが白い薄明に沈みその中で生者と死者が境なく動き回り、吸血鬼ものというジャンルが成立する初期の揺らぎがそのまま画面の震えになり得ている。

…みたいなどこをどう取ってもゴスの私感涙の吸血鬼映画で悪夢に飲まれてすやすや寝てしまう2回も!どうして!!

ニュースで第9芸術の文字を見るとは思わなかった

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