いつまでも助けてはもらえない
こいびとに知り合う2年くらい前から、前ほどの熱量で動物園にのめり込めない、2017年に多摩動物公園でオランウータンにかけられた魔法が解けつつある、と感じた。動物園をテーマにした執筆や創作には心を燃やせていたけど、肝心の動物園訪問については、ひとりで味わうわびしさを感じるようになっていた。遠征で遠出した時はなおさらである。
今年の盛岡への旅で違和感は決定的となった。もう僕は「おひとりさま動物園」に惓んでいる。誰かと生きるための努力をしなくてはならない、と考えるようになった。
趣味は救ってくれる。でもいつまでも助けてくれるわけじゃない
20代後半にこころを動かしてくれた本。
新卒1〜4年目はリアリティショックに耐えるのに精一杯でフィクションを楽しめなくなっていた。エッセイ、詩歌を媒介して、ようやく小説を味わうこころの隙間ができた。北海道旅行で札幌から釧路までの鉄路での長い旅路に『細雪』を読んだのもとても良い思い出。
①海の仙人/絲山秋子
②死ぬまでに行きたい海/岸本佐知子
③まじめな会社員/冬野梅子
④重力と恩寵/シモーヌ・ヴェイユ
⑤えーえんとくちから/笹井宏之
⑥細雪/谷崎潤一郎
⑦悲しくてかっこいい人/イ・ラン
⑧躁鬱大学/坂口恭平
⑨ 百年後 嵐のように恋がしたいとあなたは言い 実際嵐になった すべてがこわれわたしたちはそれを見た/野村日魚子
⑩苦界浄土/石牟礼道子
20代後半、ハンバートハンバート、カネコアヤノ、柴田聡子、折坂悠太、羊文学、銀杏BOYZを聴いていたら暮れゆくな
恋とか愛とか
振り返ってみたら、こいびとと知り合う前も、20代で、あー、この人のこと(恋愛面で)めちゃくちゃ好きだなって思った異性は何人かいたなって気付いた。みな、「付き合えなかったけど、よいおともだちになってくれた」ひとだった。
同じ時間を生きていてそれぞれの道を進んでいる演劇のおねーさんやペンフレンド先輩に対しては、けじめをつけることができるけれど(ペンフレンド先輩には伝えたし、演劇のおねーさんにも伝えるつもりだ)。
みずからいのちを放り投げてしまったうみのひとに対しては何を言えるだろうか。あのひとと最後に会った2021年7月、緊急事態宣言直前の国府津海岸で渡してもらったタカラガイやシーグラスをまだ捨てられずにいる。うみのひとのことをこいびとにまだ話したことはない。話す必要はないのかも知れない。けれど。
わたしにゆるされた特別な時間の終り
20代後半(2019〜2023)
【印象的な出来事】
①動物園きっかけでの詩人、うみのひととの交遊と、死の報せ。たぶんずっとこの喪失体験は忘れないだろう(2019-2021)
②コロナ禍での通話アプリmocriを通じた交友。今も縁が続いている人もいる(2020-2022)
③霊長類フリーマガジンを発刊(2020-2021)
④動物園繋がりで作家・絲山秋子さんに桐生を案内してもらう。その時話した内容は「黒蟹県」シリーズの挿話に登場するようだ(2022)
⑤これも動物園繋がりで元アイドルグループ「虹のコンキスタドール」の奥村野乃花さんからインタビューを受ける(2022)
⑥ライフステージの変化に焦りを感じ始めマッチングアプリ地獄に落ちる(2021-2022)
⑦コロナ禍で何気なく連絡をとった大学時代の先輩(学芸員)との文通。このひとにもかつて振られているけれど手紙を通じ「よいおともだち」になれた(2020-2022)
⑦「まじめな会社員」読書会。自分のしんどさを言語化するいい機会だった(2022-)
⑧祖父の死。旅先の広島で知らされた。「色々許される最後の季節」が終わった気がした(2022)
⑩こいびとと逢えたこと。いろいろあったけどいまは前を向く(2022-)
わたしにゆるされた特別な時間の終り
20代前半(2013〜2018)
【印象的な出来事】
①軽井沢スキーバス事故の1日前に、事故を起こしたバス運行会社のツアーで野沢温泉村に行く。生きていることが当たり前でないことを知る(2016)
②キツい部署に当たってしまった新卒2年目、
動物園を心の支えとするようになる(2017〜)
③単身ベトナム旅行。ひとりでどこにでも行ける自信がついた(2015)
④演劇のおねーさんにガチ恋。当時の僕の姿は「厄介なファン」そのものだったかも知れない。すみませんでした。(2013-2014)
⑤「人生の文脈を交わす会」への参加と主催者、iminoyamai君のネット炎上。(2015)
⑥初めて長期間女の子と付き合う。上述の「人生の文脈を〜」で知り合った。いい子だったけど、お互いに覚悟がなかった。遠距離の末気持ちが離れ自然消滅。あっけなかった(2015-2018)
⑦富山県赴任。第3の土地での生活は新鮮だった(2018-2019)
⑧社会学に熱を入れて取り組む。他大学にも積極的に顔を出した(2013-2016)
⑨三田祭出店。4年次の2015年は筧美和子さんの前で紙飛行機を飛ばすパフォーマンス等をしていた(2013-2015)
⑩新卒1年目。ギャップにとにかく苦しんだね(2016)
わたしにゆるされた特別な時間の終り
29歳の最後の季節はこいびととの2人暮らしを前に進めるための活動と、相変わらず苛烈な仕事との中で簡単に過ぎていってしまいそうである。
そんなふうに全て忘れ去っていきたくはないから、今夜は20代を振り返る気分になっている。大きく前半後半で分かれる。
人生という名の舞台
あした、大学2年生、19歳の春に知り合った7つ上の役者さんーー演劇のおねーさんの芝居を見に行く。KAAT。久々に連絡があり、誘われたのだった。
五反田のゲンロンカフェでスタッフをしていた演劇のおねーさんと知り合った2013年の僕は、初めての東京での暮らし、大学生活に打ちのめされて鬱状態になり、やっと回復し始めた頃だった。
東京の歩きこなし方はおねーさんが教えてくれた。五反田に始まり、阿佐ヶ谷、北品川、渋谷、砧の世田谷美術館.......素敵な場所をたくさん教わった。当然のように猛烈に恋をした。おねーさんは誰とも恋をするつもりはないのだと言って断った。それでもこうして、時々連絡が来る。
自分が東京を舞台に、10年後も生きているとは想像だにしなかった。おねーさんはまだ小劇場演劇の最前線で戦い続けていた。
僕自身も、不本意なこともあるし、心理的肉体的な不調を経験することもあるけど、どうにかやっている。19歳の不安なあの頃より、いくぶんか頑丈にもなった。忘れられない悲しいお別れもあったけど、素敵なパートナーにも巡り会えた。
でも、だからこそ、けじめはつけなくてはならないと思う。演劇のおねーさんの芝居を観に行くのは、少なくともひとりでは、明日が最後になるだろう。
暑すぎる。おれはムルソーの気持ちがわかる
希死念慮、だいぶよくなる。あした気が重い交渉ごとがあるけど、まぁ死ぬわけじゃないしな
縮減