ART OSAKA 2024 Expanded、各ギャラリーとも「Galleries」セクションのスペース的に展示不可能な大作がここぞとばかりに投入されてましたが、中でも白眉だったのはYoshimi Artsによる西山美なコ《♡あこがれのシンデレラステージ♡》の再展示。1996年に制作され、翌年の西宮市立大谷記念美術館での個展で初めて展示されたこの作品、その後ゼロ年代初頭に北海道立近代美術館でも展示され、今回はそれ以来20年ぶりとなるそうです。当方は今回初めて接しましたが、スケール感が(事前に出回ってた)画像と全然違ってて、ぇこれこんな大きかったん!?!? と呆然しきり。
西山女史といいますと、少女マンガや宝塚歌劇、女性アイドルとその周りのカルチュアなどにまま見られる諸意匠や、果てはピンクチラシに至るまでを縦横無尽に渉猟して、女性性や少女性をポップでキッチュに、かつかなりの露悪趣味をともないながら表現するオブジェやインスタレーション作品を1990年代からずっと作り続けていることで知られていますが、この《♡あこがれのシンデレラステージ♡》はその中でも最大級のものであり、西山女史の作品の魅力が最も先鋭的に表現されている作品であると言えるでしょう。一見して即解できるように、いにしえのアイドルのステージをよりキッチュにシミュレーションした趣があるこの作品ですが、しかしそこに立つべきアイドル(?)はいないし、全体がダンボールで作られていることもあって、ステージそのものというより、ステージがもともとハリボテであることが強調されていると言った方がより適切である。
西山女史の作品を特徴づけているのは、女性性を身体やアイデンティティといった自己に内在的なものではなく、自己に外在的な意匠の問題として受け取り、表現しているところにありますが──バラの花やティアラ、ラメ、エフェクト、少女マンガ特有の漫符、などが様々な作品において繰り返し擦られることになるだろう──、過剰に装飾的であることによって、逆に空疎さが際立つという逆説が彼女の作品には広く存在し、しかもそれが他ならぬ女性性・femininityに対して最もヴィヴィッドに立ち現われていることに注目しなければならないでしょう。そういうところに、西山女史の、単純なフェミニズムに収まらない射程が存在する。そのような作品に今接することの意義は、きわめて大きいと言わなければなりません。あと、1996〜97年という「アイドル冬の時代」に制作-初出展された作品を、アイドルが地上/地下問わずアホほど存在している現在において見ることも、アイドル周りのカルチャーの歴史と現在について考える上でも、示唆的でしょう
しかしそれにしても、今回の会場は広さも天井の高さも十分あることで、大型作品なのに窮屈感なく接することができたのが、個人的にはとても良かったです。さらに会場内に元から備えつけられていたミラーボールによって、「ステージ」の側面がより強烈に前面化していたわけで(なんで造船所跡にミラーボールが備えつけられていたのかは謎ですが)、初展示から30年近く経って、ようやく理想的な空間と環境のもとでこの作品を展示することができたのではないでしょうか。眼福 [参照]
「ART OSAKA 2024」が開幕。「Expanded」セクションがもたらす効果とは? https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/29272
老舗アートフェアなART OSAKAが新機軸として一昨年から始めた「Expanded」セクションについての記事。当方は昨日見てきましたが、各ギャラリーとも平面/立体関係なしに超大作をバカスカ投入することで意地と見栄をかけた殴り合いとなっており、見ている側としては大満足。ですので、中之島公会堂で本日まで開催の「Galleries」はスルーしました(そういう鑑賞者&コレクター、今年はなかなか多かったようです)。知り合いのギャラリストがExpandedにのみ出展しており、少し歓談しましたが、これギャラリストやアーティストにとってのメンタルヘルス的にも良企画だと思いますよと言ってて、それはかなりホンネに近いかもしれません。明日まで
Oギャラリーeyesで開催中の林真衣展。
(昭和30〜40年代の典型的な住宅にけっこう見られた)型板ガラスを通して見た向こう側&写りこんだこちら側の光を一枚のタブローの上に同時に描きこんだ油絵をここ数年描き続けている林真衣(1984〜)女史、平面上に油絵具で型板ガラスのテクスチュアを作ったり、普通の洋画家なら忌避するであろう絵具の気泡が画面に残っていたりと、単純に窓を通した/窓に反射した光を描くのとは違った様相を最近は呈しており、なかなか興味深い展開を見せているなぁと思うところでしたが、迎えた今回の個展では以上のような諸様相がほとんどバラバラにかつ同時多発的に生起しているように描かれており、窓を通した/窓に反射した光を描くという設定から完全ではないにしてもほとんど解放されていました。このような描き方だとえてして画面が崩壊してしまうものですが、林女史の場合、油絵具の物質性を一方でこれ見よがしにしていることもあいまって、しっかりとした──若干大げさに言うと、これがあることで絵画が絵画として了解されるような──基礎・基盤が作られた上に描かれていたわけで、そこに感心しきり。
油彩画の発生は、古代地中海世界で異なる素材により描かれた先行作品群によって予言されていたが、油彩画は更にその先の領域を切り拓いた。“描く”のではなく、絵の具を使い、二次元空間に対象そのものを“創造する”のである。かつて+Y GALLERYで開催された「13人の油絵」展のステイトメントにおいて、出展作家のひとりだった橋本倫(1963〜)氏はこのように述べていました。絵の具を使い、二次元空間に対象そのものを“創造する”というところに橋本氏の油絵論の核心があるわけですが、それは林女史の作品について見る上でも、きわめて示唆的であると言えるでしょう。彼女がここでいささかトリッキーな方法を用いつつ見せているのは絵の具を使い、二次元空間に対象そのものを“創造する”ということにほかならない。そしてそうして創造された絵画世界が、物質のみならず、光や記号、さらには気泡といったバグをも含みこんであるということを端的に見せているところに林女史の作品の魅力があり、今回もそのことを再確認する良き機会となりました。明日まで
北陸新幹線の「京都新駅」、候補3か所提示へ…年内にも詳細ルート決定の見通し(読売新聞オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/a5bd5e18c3f616fbae8f4ce5dd0e17383a89c818?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240718&ctg=dom&bt=tw_up
これは桂川駅一択じゃないでしょうか。洛中における地下水問題とかを鑑みると、京都駅の直下に北陸新幹線の駅を作るなんて正気ですか?(CV:ケンドーコバヤシ)と言いたくなるところですし。桂川駅なら在来線で京都や大阪にもスッと出られますから、ここを終点にしても別にいいだけに、妙案ではありますね
今道由教展|2024.7.29〜8.3|Oギャラリーeyes(大阪市北区)
DMが届いてました。ここ十数年ほど、天神祭の時期に合わせてこのOギャラリーeyesで個展を開催している今道由教(1967〜)氏ですが、今年も開催されるんですね。十年ほど前に初めて作品に接して以来、毎年楽しみにしておりまして、今年も期待しきり。
今道氏、表面と裏面に違う色を塗った紙を切ったり折ったりして作品を作っておりまして、近年はトレーシングペーパーでそれを行なうことが増えています。表/裏、前/後、表層/奥行、シュポール/シュルファスといった平面における二分法に、ミニマリズムよりもさらに少ない手数で介入してみせるという手法が、今回はどう炸裂するんでしょうか
https://x.com/tjk07370425/status/1812664548954177811?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA
《石丸にさえ負けた理由は「無党派と女性と若者に嫌われてるから」という、深刻極まる理由である事は数字が明らかにしてる》──なんという事実陳列罪
それにしても、都知事選以後、自民党や小池都知事支持者の間で(同じ立憲民主党所属の)辻元清美議員の評価が上がりまくってる様子なのは、なかなかオモロいですな。その多くは「端倪すべからざる敵」としての評価なんですが、まぁ確かに落選からこっち小物っぷりを嫌というほど見せつけている蓮舫と比べると、議員力・人間力は確かにレベチではありますね。長年辻元議員を衆院選で選び続けてきた選挙区に住んでる者としては、特に支持者というわけではないにしても、コケにできない存在であることはよく分かる(けど、どうも次の総選挙では選挙区から出ないっぽいんですよねぇ)
https://x.com/pupurucom/status/1812303378372018640?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA
先だって、ここ国立西洋美術館で開催されてた「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展の内覧会で行なわれた飯山由貴女史や百瀬文女史のパフォーマンスに賛同した人で、昨日の常設展をタダで見た人なんていねぇよなぁ!!?
──という某東京リベンジャーズ風味な半畳はともかく 、かような具合に川崎重工本体の名前でクレジットされること自体、国立西洋美術館がもともと川崎造船の総帥だった松方幸次郎(1866〜1950)のコレクションをもとにしているから当然ではあるんでしょうけど、くだんのパフォーマンス以後、どうしても名指しされたことに対する意趣返し感が出てくることになったわけで、それは
この大下氏に限らず、おそらく氏と同年代っぽい(?)鈴木寛和氏が市立伊丹ミュージアムで「泉茂1950s 陽はまた昇る」(開催中〜2024.7.28)展を企画していることにも言えることですが、若い学芸員が(自身とまったく面識がない)モダンアートのマイスター的存在を俎上に乗せ、きちんと彼/彼女の仕事と向き合った展覧会が関西では続いておりまして、頼もしい限り(←誰目線やねん)。
鈴木氏の泉茂展も、氏が同ミュージアムの学芸員となって初めて企画した展覧会だそうで、初手から極渋なところを攻めてきたなぁと、展覧会に接した者としては驚くばかりでした。1950年代の──瑛九や靉嘔、池田満寿夫etcとともに「デモクラート美術協会」のメンバーとして版画作品を多くものしていた時期の──泉の仕事を集中的に取り上げるとは、歴史に対する知覚の鋭さが感じられて、やりますねえ。
「かっこよかった」と関西アートシーンで憧れられた作家、木下佳通代とは。「没後30年 木下佳通代」(大阪中之島美術館)担当学芸員インタビュー
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/kazuyo-kinoshita-interview-202407
現在大阪中之島美術館で開催中(〜2024.8.18)の「没後30年 木下佳通代」展ですが、担当学芸員の大下裕司氏のインタビュー記事がうpされてるんですね。今知った(爆)。大下氏、中之島美術館の学芸員になる前から個人的にそこはかとなく面識があるだけに、大阪中之島美術館の学芸員になったことも、同美術館で初めてとなるキュレーション展に木下佳通代(1939〜94)を選んだことにも驚かされましたが、手堅い中にも現時点において彼女の仕事を通覧することの意味・アクチュアリティを鋭く問うており、一鑑賞者的にも大いに勉強になりました。
……とか言うてたら、原作小説におけるロシア語監修の人が(モルドヴァからの独立&ロシアへの編入運動が今なお盛んな)沿ドニエストル出身でガチガチのZ脳らしく、しかも先日来ロシアのクラッカー集団にヤラレているKADOKAWAが製作しているそうで、別の意味で政治的アニメになっている件
第2話まで見ましたが、かような作品外のキナ臭さなどどこ吹く風なスチャラカラブコメでした
QT: https://fedibird.com/@wakalicht/112732303897185814 [参照]
【プレビュー】「生誕130年 没後60年を越えて 須田国太郎の芸術――三つのまなざし」世田谷美術館で7月13日から
https://artexhibition.jp/topics/news/20240627-AEJ2153812/
「須田国太郎の芸術」展、明日から世田谷美術館に巡回するんですね。2024.7.13〜9.8。
同展、当方は今春に西宮市大谷記念美術館に巡回したときに見ました。須田国太郎の息子(で、JR東海元会長な)須田寛氏が創設した公益財団法人きょうと視覚文化振興財団が全面協力していることもあって、最新の研究も反映された現時点での決定版というべき展示となっております。
須田国太郎(1891〜1961)といいますと、京都帝大で西洋美術史を修め、研究者としてスペインに留学し、「東西絵画の融合」を掲げて画家となり、実作を通じて終生模索していったことで知られていますが、この展覧会では、代表作に加えて、(これまであまり紹介されてこなかった)滞欧時に撮影した写真や、(幼少時からの趣味だった)能楽鑑賞時に描いたクロッキーといった資料群も多く紹介されており、彼の画業をより立体的に紹介していると言えるでしょう。須田が掲げた「東西絵画の融合」という巨大テーマが彼の絵画において十全に実現しえているかというと正直「???」となるところですし、現在の視点からするとそのようなテーマ設定自体が前時代的で、そもそも(あとから近代化を図った国々特有の)夜郎自大な問題設定であることは否定できないのですが、しかし「東西絵画の融合」=「「東洋」と「西洋」という二分法の(日本/アジア側からの)超克」を掲げることで、前時代〜同時代(〜現代)の多くの洋画家が無意識に陥ってきた/いるエセコスモポリタニズムを撃つ強度を獲得しえたのもまた、事実といえば事実でしょう。
先ほど述べたように須田は(ブルボン朝末期の)スペインに留学していますが、他の多くの洋画家のようにパリを選ばなかった時点で、実はかなり慧眼なのかもしれない。そのあたりに、須田の学者としての確かな眼力が存在するのかもしれません。「西洋画」という、それ自体日本でしかありえないジャンルと実践──欧米の画家たちは自分たちを「西洋」という地理的限定性を負ったネーミングでアイデンティファイすることはないから──がそのアクチュアリティをまだまだ持っていた時代から「現代アート」という名のもとに消滅した(ように表層的には見えている)時代へ移行したように見える中、私たちはあの頃の須田の眼力にどこまで追いつけているかというと、実はけっこう心もとないんじゃないだろうか。
須田によるエル・グレコの模写や、アトリエでは常にスーツ&ネクタイ姿で絵を描いていた──彼のポートレート写真を撮ろうとした土門拳がドン引きしたという──というエピソードに接するにつけ、ついつい背を正してしまうのでした。
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪