パフィシコ横浜で開催の東京現代(ドンギョンヒョンデ)
https://tokyogendai.com/ja/?gad_source=1&gclid=EAIaIQobChMI-KfF7aqNhwMV2tMWBR12ZwU9EAAYASAAEgL2sfD_BwE
ところで昔大阪で川村元紀氏が展覧会を開催したとき、終了後の飲み会の場で、展覧会に出展されていたインスタレーションの中に仮設されていた棚の部分を指して「棚は作品じゃない」と言い出し、ちょっと待てそれはどういうことだと総ツッコミ大会になったものですが 、一般論としてインスタレーションや舞台芸術において任意の要素を「あの要素は作品に含まれない」と言うことができるのかというのは、その性質上なかなか難しい問題ではありまして。
あのときの棚にせよ今回の椅子にせよ、その「極端なあり方、逸脱したあり方」を問うなら、あの立体やインスタレーションにおける棚や椅子の部分は作品じゃないと、よりによって(?)アーティストが口走る超展開こそ〈absolute chairs〉にふさわしい事態なのではないかと思われ #などと意味不明な供述をしており
アブソリュート・チェアーズ 現代美術のなかの椅子なるもの | デザイン情報サイト[JDN] https://www.japandesign.ne.jp/event/absolute-chairs-aac/
2024.7.18〜9.23、愛知県美術館。《現代美術における椅子は、日常で使う椅子にはない極端なあり方、逸脱したあり方によって、私たちの思考に揺さぶりをかけます》という視点から〈absolute chairs〉という理念的存在を仮構し、そこから美術に限らず諸表現──舞台芸術(ダンス)にまで越境しているところが、本気度高い──を射程に収めているようですね。ちょっと気になる
[BBプラザ美術館](https://bbpmuseum.jp/)が今年開館15周年ということで、
「明日への出発」展というコレクション展を開催しています。現在開催中なのは前期「関西の作家たちの交差点」。関西で活躍した近現代美術家たちのコレクションが出展されていました。
もともと神戸の鉄鋼会社シマブンコーポレーションによる泰西名画コレクション──8月から始まる後期展「フランスの作家たちの物語」で紹介されるようです──を紹介するための美術館としてオープンしたこのBBプラザ美術館ですが、伊丹市立美術館の館長を務めていた坂上義太郎氏を館長に迎えてからは、その当初の目的を光の速さで脇に置いて、(再)評価が超早急になされるべき関西の近現代美術家たちの展覧会を連発して、好事家たちの注目を地味ながらも集めてきたもの。当方も様々な企画展で上前智祐や泉茂、長谷川三郎、辰野登恵子、榎忠氏、植松奎二氏らの作品に接して勉強させてもらいました。
で、今回は絵画を中心としつつ版画や立体・陶芸も出展されており、小規模ながらもピリっと効いたラインナップとなっていました。佐伯祐三や小磯良平、梅原龍三郎といったTHE 西洋画もさることながら、やはり──このBBプラザ美術館が再評価の先鞭をつけたと言ってもあながち揚言ではない──泉茂の版画やタブローに目が向くことしきり。特に制作年不詳の絵画には、ぇまだこんな良き作品を隠し持ってたん!? と驚くばかり。作風的には(大阪芸大の教授だった頃の)プライマリーな形態をエアブラシで描くといった趣なのですが、版画的な要素もあわせ持っており、小品ながら唸らされるものとなっています。
あと、吉田利次(1916〜98)の版画作品に接することができたのも、ポイント高。泉や池田満寿夫らとともに、瑛九(1911〜60)が結成したデモクラート美術協会のメンバーとして活動し、同会解散後九州に渡って三池炭鉱闘争の記録画を描くなど、デモクラートのデモクラシー的側面を最もベタに追求していった吉田の作品に現在において接することは十分に意義深いし、再評価が超早急に求められる画家の一人であることは疑いないでしょう。かように未来へのヒントも散りばめられていることにも要注目。前期は7月15日まで。後期は2024.8.27〜10.6
プレスリリース:Study:大阪関西国際芸術祭、日韓国交正常化60周年を記念して日韓合同のアート&クリエイティブ・フェア「Study × PLAS : Asia Arts Fair」を2025年7月に大阪で開催(PR TIMES) | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240702/pr2/00m/020/086000c
2025.7.21〜23、大阪府立国際会議場。一昨年から大阪市内各所でいろいろ仕掛けていたStudy: 大阪関西国際芸術祭ですが、それらを受けて来年迎える本番は4月〜10月に天保山一帯で開催されるらしい。で、その期間中に、韓国最大級のアートフェアPLASとNFTアート専門業者NOX Galleryとの共同開催でのアートフェアが予定されているそうで。何かと好調らしいことが漏れ伝わってくることがある韓国の現代アートマーケットですが、そのプラットフォームの一端が直輸入されてくるのは、あの運営会社の割には悪くないチョイスではあるなぁと思うところ。NFT云々をはじめとするほかのサブ企画については以前同様あんまり期待できませんが まぁ今後の発表待ちですね
「村上隆 もののけ 京都」(京都市京セラ美術館)特別鑑賞会レポート https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/29075
6月8日夜に館内を貸し切って美術手帖プレミアム会員限定の特別鑑賞会が行われたとのことですが、我々(我々?)が読みたいのは、某月某日に
今年上半期に見に行った展覧会の数は180でした #2024年自分が選ぶ今年上半期の4枚
・「シュルレアリスムと日本」展|2023.12.16〜2024.2.4|京都文化博物館
・「没後30年 木下佳通代」展|2024.5.25〜8.18|大阪中之島美術館
・「水俣病を伝える」展|2024.3.14〜6.18|国立民族学博物館
・「群衆|不在 アンリ・カルティエ=ブレッソン──揺れ動く世界へのまなざし」展|2024.5.30〜6.13|大阪芸術大学博物館
この「70年代再考」展では、
というか展覧会に際して刊行された坂上女史の著作『70年代再考』では、木村秀樹氏が大きな位置を占めていることに注目する必要があるでしょう。実際、今回のトークイベントでも、本日開催の「現代美術における写真」(パネリスト:木村秀樹氏、木村浩氏、石原友明氏)でもパネリストに名を連ねており、つまり木村氏だけが二日間連続して登壇しているわけでして、そのことからも坂上女史のキュレーションにおける木村氏の、もしくは木村氏が長年制作し続けていた版画というジャンルの重要性があからさまになっているわけですが、さておき昨夜のトークにおける木村氏は、市芸に入った途端に自身を襲ったアイデンティティクライシスを「68年革命」前後の日本の近現代美術全体のそれとパラレルに語るという態度に終始していました。木村氏いわく在学中は学生運動が急速に終息していったのを横目に見ながらコラージュばかり作っていたそうですが、それは前時代の日本近現代美術における「反芸術」ムーブメントとその主導者(針生一郎、中原佑介、東野芳明という、いわゆる御三家)への失望──千円札裁判で彼らが揃って「芸術」をタテに被告の赤瀬川原平に対する無罪を訴えたことが決め手となったという──と、もの派によって顕著となった制作における〈物質〉と〈概念〉の乖離/解離への抵抗として語られることになる、といった具合に。で、そんな状態から版画教室で吉原英雄(1931〜2007)と井田照一(1941〜2006)に師事するようになり、1974年《えんぴつ》で第9回東京国際版画ビエンナーレで受賞、以後は版画家として地歩を築いていく。
──木村氏の70年代は以上のような具合に推移していくのですが、かような推移を版画と結びつけて語っていたところに、氏の特異性があると言えるかもしれません。「版画は(その時代)芸術でも反芸術でもなかった」とは井田照一の言ですが、かような「芸術でも反芸術でもなかった」ものの両義性に70年第美術の可能性を見出すという木村氏の態度は、70年代を単純に「つくらないこと」の時代とみなす従前の史観に対する一定の修正を促すものとしてあると言えるでしょう。一方、中島氏の場合は市芸卒業後いったん美術から離れ、造園業者で働くという経験を経て再び絵画に帰っていくわけですが、かような遍歴を経ることで絵画を「思考と身体(性)とを一致させる行為」とみなし、必然的に時間がかかる行為であるとすることで、やはりここでも「つくらないこと」の時代という70年代観に修正を迫っていることに注目する必要があるでしょう。やはり作品は「つくられていた」のである。
galerie 16では「70年代再考 版画・写真表現の波紋」展が開催中ですが、
その関連企画として、トークイベント「70年代という時代」が昨夜開催されました。ファシリテーターは展覧会の企画者でもある坂上しのぶ女史、パネリストは中島一平(1948〜)、木村秀樹(1948〜)、長野五郎(1950〜)の各氏。
1970年代の美術については、それ以前に自明化されていた〈制作〉自体が全面的な懐疑にさらされ、「つくらないこと」が新しく大きな潮流となっていった時代であるとされることが多い──で、かかる転換点に位置するのが「20世紀唯一の世界革命」((C)ウォーラーステイン)としての「68年革命」という出来事である、と目されることになる──ものですが、この「70年代再考」展や昨夜のトークショーにおいては、そのような史観によって往々にして埋もれがちな個々のアーティストの個々のリアリティから、改めてかかる史観を考え直すことが目指されていたと言えるでしょう。ことにここでは、パネリスト各氏の母校である京都市立芸術大学との関係から改めて各氏のリアリティを紡ぎ直すことが、トークの端々に見え隠れしていたのでした。
もう少し細かく見てみましょう。中島氏は1967年に入学し、木村氏は一浪して1968年に入学、長野氏は1969年に入学しており、ちょうど一年違いで市芸の門をくぐった形になるわけですが、そのことが各氏の回顧談に与えた影響はことのほか大きいことが、聴講していても伝わることしきり。他の大学同様、市芸でも学生運動が大きなうねりとなり、中島氏はそんな中で学生運動を率いてキャンパスの封鎖を敢行するなどの大立ち回りを演じていましたが、市芸が特異なのは、中島氏ら学生運動側の意見をそれなりに受け入れる形でカリキュラム改革が実施されたこと。この「改革」によって、洋画科に構想設計教室が新設(のちに構想設計専攻に格上げされて現存)されたり、(学生たちが自主的に定めた)テーマが学習の中心になったりするなど、〈制作〉をメディウムやディシプリンに従属させないカリキュラムが新たに組まれることになったそうで。してみると、「改革」を領導した中島氏、「改革」によって学業の前半と後半でエラい変容を被った木村氏、「改革」によって〈制作〉をメディウムやディシプリンに従属させない地平から思考/試行することが前世代に較べて比較的容易にできた長野氏という具合に、各氏の大学における個々のリアリティ形成には大きな開きがあるわけで、それが各氏の「70年代美術」にも色濃い影響を残していることが見えてきます。
終わりました。時間が大きく押したので、今日は大人しく帰る……
QT: https://fedibird.com/@wakalicht/112693386307525930 [参照]
美術家・三島喜美代さん死去 91歳 「ゴミ」モチーフの作品多数 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240626/k00/00m/040/142000c
三島喜美代(1932〜2024)。練馬区立美術館で個展が開催中でしたが…… 個人的には以前(京都最大級の骨董街な)縄手通を歩いてたら、いかにも敷居や意識が高そうな古美術商のショーウィンドウに、古伊万里と並んで彼女の空き缶をモティーフとした陶作品が並んでるのを見て、ぁそういう感じに受け入れられてるんやと驚かされたもの。あと艸居での個展で赤札をモティーフとした作品や、初期のコラージュ作品に接することができたのも、良き思い出。慎んでご冥福をお祈りいたします
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪