以前とある研究者から聞いた話ですが、
瑛九において「デモクラシー」という言葉は今日私たちが使うときとは若干異なるニュアンスで用いられていたらしい──彼において、それはまず戦前(とりわけ昭和10年代)の時期におけるアートシーンに対する批判というモーメントが多く含まれていた。この時期、多くの美術団体が結成されていたのですが、そのような動きは同時進行していた総力戦体制の構築に対する抵抗ではなくそれと表裏一体となるような現象であったと瑛九は喝破していたのだという。だからこそデモクラート美術協会においては審査や賞レースは排除され、会員が外部の団体に出展することは禁じられていたのですが、それはかような(近)過去への反省というモティーフを強く含んでいたというわけですね。言うまでもなく「デモクラート」とは「デモクラシー」と「アート」の合体語ですが、ここにおける「デモクラシー」のニュアンスを現在の私たちが正確につかみ取るのは、不可能とは言わないにしてもなかなか難しいのかもしれない。少なくともそれはできあいの党派性を自明視することではあるまい。
【レビュー】「瑛九 ―まなざしのその先に―」横須賀美術館で11月4日まで 一人の作家とは思えない変化する美の軌跡
https://artexhibition.jp/topics/news/20241029-AEJ2465530/
横須賀美術館での瑛九展、今日までだったんですね。記事を読むに、かなり網羅的に作品を集めて紹介していたようで。これはこっちにも巡回してほしかった。
とはいえ、関西で瑛九の作品に接する機会が絶無なのかというとそういうことはなくて、特に和歌山県立近代美術館がよく頑張っているのですが、彼が結成し、泉茂(1922〜95)や池田満寿夫(1934〜97)などが所属していたデモクラート美術協会の回顧展という形で紹介される機会が数年ごとにありまして。今回の「瑛九 ―まなざしのその先に―」展においてデモクラート美術協会についていかなる形で言及されていたかは知りませんが、関西においては──その主要メンバーであり、同会解散のきっかけともなった泉茂が、後に関西のアートシーンに重きをなしていったこともあって──研究の蓄積があるわけで、それと突き合わせていくことが重要でしょう。
かかるローカル/トランスローカル/グローバルな実践の総体としての現代美術史への直接的な参照&介入に加え、ディアスポラや、LGBTQIA+としての自分自身をめぐるアイデンティティ・ポリティクスも前面に押し出されているようですが、そのような展覧会全体の傾向性の中で声優の村瀬歩氏とコラボしているの、なかなか理にかなってて驚。かつて何かのアニメで氏と共演していた種田梨沙嬢(通称:ヲ種さん)が某アニラジで「村瀬くんは性別:村瀬歩だから」と力説していたものですが、そのことを荒川ナッシュ氏は知ってたのか知らなかったのか。ともかくヲ種さんの超発言が時を経てかかる超展開を招いたことになったのは
「荒川ナッシュ医 ペインティングス・アー・ポップスターズ」(国立新美術館)レポート。ユーミン、千葉雅也、村瀬歩、キム・ゴードンら多彩な顔ぶれとコラボする“生きた”美術館 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/eiarakawanash-nact-report-202410
開催中〜12.16。荒川ナッシュ医氏、当方は荒川医名義時代の2012年に大同倉庫(京都市中京区)で開催された「アブストラと12人の芸術家」展で映像作品に接したことがあり──吉原治良や村上三郎、白髪一雄のアクション・ペインティング作品にキャスターをつけ、コンテンポラリーダンサーたちと舞台上で共演させるというものでした(つまりaction paintingならぬpainting with actionを企図していたわけですか?)──ますが、その頃のような「具体」弄りもありつつ、記事を読むとさらに自由にやってはるようですね。しかしそれにしても入場無料ってェ…… 昨年の大巻伸嗣展でもそうでしたが、国立新美術館どないしたん!?
11月ですね
武満 徹:ノヴェンバー・ステップス https://www.youtube.com/watch?si=qr7PT7W_g2uTCHtJ&v=T7xVI-0bf_A&feature=youtu.be
館内は撮影禁止だったのでアレですが
(画像はフライヤー)、糊を布の上にぶちまけてスキージで伸ばしていく、その軌跡や力技をそのまま染色に反映させる加賀城氏、ろうけつ染によって複数の色による渋いグラデーションを繊細に染めていく舘氏、キャラクターが溶けたり崩れたりしていく様を指でワイルドに描いて染めていく波多野氏、シルクスクリーンと鉄錆染という両極端な手法を用いる山中氏、染色した布に端切れで作ったリボンを編みこんでモザイク状の画面を作り出す皆川氏。個人的には山中氏と皆川氏の作品には初めて接したのですが、今回は過去二回と較べても出展作家のインパクトの強さが際立っていたように思います。
と同時に、これは確かに「染色」という方法/ディシプリンでなければ成立しえない表現なのかもしれないと強く観者に思わせる作品揃いともなっていたと言わなければならないでしょう。支持体自体を色で染めることで、同じ平面であっても染色は絵画とその理念的なありようという位相において若干かつ決定的に違うと考えられるのですが──例えば絵画においてしばしば決定的な概念として語られる〈絵画空間〉は、染色においては(以上のような特性ゆえに)あまり強固には成立しないのではないか──、今回の五人の出展作家はそれぞれのやり方で〈絵画空間〉という、平面表現において割と自明視されがちな概念を積極的に問い直していた。見やすいところで言うと、それは加賀城氏においては布=支持体自体の伸縮可能性をテコに、平面上に力の軌跡をムリヤリ描き出していくことでなされていたし、舘氏においては複数の色が交わらない(つまり、空間性が成立しない)形でグラデーションが染められることでなされていた。あるいは薄い絹布(シルクスクリーン)に薄く風景写真などが染められることでcombine painting((C)ラウシェンバーグ)の潜在的射程を染色の文脈において再演&換骨奪胎してみせた山中氏にも、〈絵画空間〉に対する批評は見出されるだろう。
いずれにしましても、染色独自の可能性について、きちんと実践している若手作家もいることが説得力を持って提示されていたことは間違いないでしょう。11.17まで。
錦小路室町にある染・清流館で開催中の「行為と現象III」展。
日本でも数少ない(というか、唯一の?)現代染色専門の美術館である染・清流館ですが、現代染色作家の個展や全国各地の染色/染織/テキスタイル専攻の美大生の新人展、隔年開催の大規模展「染・清流展」を開催するなど、旺盛な活動を展開している。そんな活動の一環として、今のところ三年に一回のペースで「行為と現象」展と題した展覧会も開催しておりまして、今回は2018年、2021年に続いて、3回目となります。
この「行為と現象」展、大阪芸大准教授の舘正明(1972〜)氏と金沢美術工芸大教授の加賀城健(1974〜)氏の仕事を軸にした上で、両氏と数人の出展作家による相対的に小規模な企画展として開催されています。今回は舘氏と加賀城氏のほか、波多野小桃、皆川百合、山中彩各氏が出展作家として選定されていました──それにしても、ここで波多野氏の作品に接することになるとは思わなかった。アトリエ三月やSUNABA GALLERY(いずれも大阪市北区)といった、いわゆるキャラクターアートをなかば専門に扱うギャラリーでよく見かける方なだけに、そこからいきなり染・清流館にというのは、関西のアート事情に通じている者的にはなかなかな超展開に見えるわけでして。
──まぁ昨日の発表の本番は、来年の大阪・関西万博にカラヴァッジョ《キリストの埋葬》を出展することなのですが
https://x.com/catholictv/status/1850904912026079742?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA
バチカンがマスコット発表 「聖年」で、万博にも活用 | 2024/10/29 - 共同通信 https://nordot.app/1223749355877826796
昨日発表されるや速攻で全世界的ネットミームと化したルーチェきゅんですが、見れば見るほどキャラクターデザインとしてよく研究されてるなぁと感心してしまうわけで、やはり端倪すべからざる存在ではありますゎな<ヴァティカン #きゅんとか言うな
寺田倉庫、京都市立芸術大学キャンパス内に関西初のレンタルアトリエをオープン https://www.fashionsnap.com/article/2024-10-27/terrada-art-studio-kyoto/
あさって営業開始。そういう施設ができるらしいとは以前仄聞したことがありますが、(最も京都駅寄りの)A号棟内にできるんですね。倉庫だけに、塩小路通を挟んだ反対側に広がる更地に新築するんかと思ってました
(画像はそんな更地で今春開催されてた高橋悟「ミチガイイイチガイキキチガイ 〜still moving: 崇仁地区でゴドーを待ちながら〜」展のひとコマ)
台風情報 https://tenki.jp/bousai/typhoon/
11月に…… 台風……? #解せぬ
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪