第2弾として、石川県の伝統工芸『加賀友禅』とのコラボが決定いたしました!
日程:2024年1月20日(土)~3月31日(日)
詳細は公式Xにて年明けから発信いたしますのでお見逃しなく✨✨
国立工芸館で振り返る「東京国際版画ビエンナーレ展」。版画とグラフィックデザインの断層(ズレ)とは? https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28222
「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」展|開催中〜2024.3.3|国立工芸館(金沢市)
印刷による技芸という共通点がありつつも違うジャンルということになっている版画とグラフィックデザインをめぐって、かつて開催されていた東京国際版画ビエンナーレの出展作を中心に振り返るという展覧会だそうで。関西だと井田照一(1941〜2006)が70年代以降いわゆる「版画」の枠を大きく飛び越えた超版画に向かっていったことの残響が版画/現代美術の双方にわたって未だに残っているから、かような展覧会において「(版画&グラフィックデザインにおける)物質性」がキュレーションの軸のひとつをなしている様子なので必見度高いんですが、冬場に関西から金沢に行くの、かなりかったるいからなぁ……
──と思っていたら、2024.5.30〜8.24の日程で京都国立近代美術館に巡回するそうで、それは超朗報。
みんぱく創設50周年記念企画展「水俣病を伝える」 – 国立民族学博物館 https://www.minpaku.ac.jp/ai1ec_event/47870
2024.3.14〜6.18。来年開館50周年を迎える国立民族学博物館ですが、その50周年記念企画展でものすごいのをぶちこんできたなぁと震撼しきり。まだ会期と関連イベントの案内しか公開されていないものの、これは何がどうなっても見に行かないといけない(←勝手な使命感)。今年の「ラテンアメリカの民衆芸術」展に続き、またも100点満点中1億点の企画展になるんでしょうか。
京都駅すぐ!気軽に立ち寄れる芸術大学~京都市立芸術大学学長インタビュー~ - 京都観光Naviぷらす https://plus.kyoto.travel/entry/kcua
《忘れてはいけないのは敷地内にある『柳原銀行記念資料館』です。展示もされていますのでぜひ見学していってください》と言いつつ、なぜそこが「忘れてはいけない」のか説明しないのはなぁぜなぁぜ?──と半畳を入れたくなるところですが、まぁ記事中でうかつに詳説したらアウティングだぁ〜と人権どもが喚きそうですからねェ…… まぁ資料館となってひさしく、旧崇仁小学校区の人権啓発施設として活発に活動しているのにアウティングもへったくれもないやろと思うところなのですが……
ぼっち にちょうどいいBGM
Alfred Schnittke - Stille Nacht (Silent Night) for Violin and Piano (1978) https://www.youtube.com/watch?si=W6UDgpfAEag7OwII&v=oJhs0dS61tI&feature=youtu.be
ちょっと寄り道。昨年兵庫県立美術館で開催された「関西の80年代」展で山部氏の1980年代の絵画に接する機会がありました。当時は大画面いっぱいに花を描いた《咲く力》シリーズを手がけていましたが、タイトルからも一見即解なように、そこでは「力」に、つまり花という形態/形式に現働化する潜在性にフォーカスが当てられている。山部氏がいかにしてかかる潜在性に目を向けることになったのかは寡聞にして知りませんが──当時の氏は画家として以上に(関西現代美術史に画期をなしている)「フジヤマゲイシャ」展の企画者として多忙だったそうなので、その経験も生きているのかもしれない──、現在に至る山水画においてもかような潜在性への関心は依然として続いていると言えるかもしれません。
ところで山部氏は今年華鴒大塚美術館(岡山県井原市)で個展「花と金:ふたつの異なる時間」展を開催したらしく、その図録が販売されていたので、購入しました。先述した《咲く力》シリーズと、氏がゼロ年代(現在の山水画の直前)に多くものしていた《ゴールドペインティング》シリーズを軸にした構成だったようで、これは現地で接してみたかったなぁと思わされることしきり。
LADS Galleryで今日まで開催の山部泰司「旅の途中」展。1980年代にいわゆる「関西ニューウェーブ」の一員としてデビューし、作風の変遷を重ねながら現在に至るまで絵画を描き続けている山部泰司(1958〜)氏。近年、京都ではギャラリーモーニングで、大阪ではこのLADS Galleryで新作を発表することが多いですが、同ギャラリーの移転後は初となります。
先述したように山部氏は40年近く絵画を描き続けていますが、近年は中世の中国や日本の山水画を模範にしたモノクロームの油絵を描き続けています。今回も大小様々なサイズの新作が出ていましたが、全てかかる山水画(風油絵)でした。管見の限りながら、山部氏がこのテーマに絞ってから10年以上は経っており、よっぽど気に入ったんだろうかと思うところですが、しかしその一方で、氏の絵画をある程度瞥見してきた者からすると、そこには絵画をめぐる一貫した態度が垣間見える。
当方がかかる山部氏の山水画に初めて接した当初は、複数の先行する中国や日本のそれを切り貼りしてひとつの画面に収めたメタ山水画といった様相を呈していたものですが、近年の作品にはもはやかような先行例は存在しなくなり、木々の生い茂り方、水の流れ方がときに過度に強調されて描かれるようになっています。今回の出展作でもその傾向はさらに強まり、ほとんど抽象的に描かれるようにもなっている。メタ山水画という本質は変わっていないのですが、メタの方向性が変わってきているわけですね──山水画という形式から、山・水・画にそれぞれ結実する流動的な力へ。顕在したものから潜在するものへの視線の変化/深化をそこに見出すことができるでしょう。
万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/296493
1903年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会で起こった「人類館事件」についての記事。アイヌや沖縄県人、台湾や東南アジアの諸民族を「展示」したという人類館事件については、現在の価値基準ではもちろんアウトですが、1903年当時でもけっこうな批判があったらしい。この件と、(内国勧業博覧会がモデルとした)万博における非西欧の文化や人々の扱いについては、インディペンデント・キュレーターの小原真史氏が個人で集めた資料・史料を駆使して2021年に京都と東京で展覧会を開催し、その成果は後に『帝国の祭典──博覧会と〈人間の展示〉』(水声社、2022)にまとめられています。当方は同書のもとになった京都での展覧会(「It’s A Small World 帝国の祭典と人間の展示」展、2021.2.6〜28、京都伝統産業ミュージアム)に接したことがありますが、そこでは万博を植民地主義・帝国主義のツールとして大いに活用したのはむしろフランスであり、自由・平等・博愛や人権の理念がそのまま植民地主義の正当化に使われていたことが強調されていて、そこにだいぶ踏みこんで来ましたか〜と唸るところ。小原氏が批判の射程に入れているのは、この記事におけるような、人権概念の濫用にほかならない。
沖縄にルーツをもつ金城さんが特にこだわるのは当時の琉球の訴えだ。展示そのものを問題視せず、「アイヌと同列視されるのは侮辱だ」と展開した。「琉球は日本人になりたくて、差別の下にさらなる差別を作った。差別から逃れるために強い者に迎合し、同化する。沖縄の分岐点だった。では日本人はどうか」と投げかける。この一文を東京新聞が書くというのは珍しい。沖縄の地元紙が《展示そのものを問題視せず、「アイヌと同列視されるのは侮辱だ」》と論陣を張ったのは、沖縄タイムズや琉球新報といったパヨク仲間の黒歴史でもあるから触れないと思ってたんですが
「不気味なもの」としての昭和、その終わらない回帰。東恩納裕一の芸術https://icakyoto.art/realkyoto/reviews/88005/
The Third Gallery Aya(大阪市西区)で本日まで開催の東恩納裕一「Behind the Drapes」展についての、清水穣氏による展評。会期中の12月9日には清水氏と東恩納氏とのトークイベントが開催されており、そのときの知見も反映されているんでしょうか(聴講できなかったのでアレですが)。
今回の「Behind the Drapes」展では、いつもの蛍光灯(LEDライト)の作品とともに、布で乱雑に覆ってみたり、カーテンを描いた平面が出たりと、布という新たな素材が主題となっていたのが印象的でしたが、光/空間とともに布/皮膚感覚も射程に収まってきていることの意味は、もう少し立ち止まって考える必要がありそうです。それは「抑圧されたものの回帰」という図式を(部分的に)破るものとしてあるのかもしれず……
京都市中京区の名物画廊が閉店へ「魅力的な作家は放っておけない」オーナーのこだわりと美術への思い | 京都新聞 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1165311
サムネで(京都市役所向かいの)蔵丘洞と分かり、ぇあそこ先年の本能寺会館の改築にともなってリニューアルしてたやん!? となるわけでェ…… しかしそれにしても、ニデック(旧日本電産)の永守会長が大コレクターなこともさりげなく書かれており、これはそのうち永守美術館(仮)が(ry
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪