ところで野中女史は
今回の個展の少し前に引っ越し、古民家に住むようになったそうです。で、新居の土間に差し込んでくる光を朝昼晩それぞれ絵画として描き出していたのですが、ひさしぶりになかなかな大きさの彼女の作品に接する形となり、見ごたえが大いにありました。2022年に(なかなかな規模の京町家を改装したスペースの)The Terminal Kyotoで個展を開催した際、先述したような絵画作品に町家の中で接する形となり、日本家屋の陰翳と描かれた茫洋な光の様相とがマッチしていて面白かったものですが、そんな場で個展を行なったという経験が、もしかしたら引越し→土間に差し込む光をモティーフとした新展開につながったのかもしれない──というのはいささか牽強付会ではあるのですが、しかし光の移ろいが陰翳の移ろいでもあることを、古民家=日本家屋の陰翳に即して描き出そうという志向(陰翳礼讃?)が、これまでの画業において一定の達成を見せたまぶさびぶりと合わさる/対決することで、今後いかにさらなる超展開を見せることになるのか、ますます目が離せない。明日まで
Oギャラリーeyesで開催中の野中梓展。
関西を中心に活動し、2021年には群馬青年ビエンナーレに入選するなど着実に地歩を築いている野中梓(1991〜)女史ですが、近年は毎年だいたいこの時期に同所で個展を開催しています。
今回は大画面のと極小の画面のが三点ずつ、計六点の絵画が出展されていました。ここ数年、野中女史の絵画は、自宅内にある冷蔵庫の表面や何も映っていないテレビ画面といった、つるりとした表面に当たった自然光ないし照明の光が主題となっています。そこでは、光と、光に当てられた部分の時間的な経過をも含む表層的な揺らぎが描き出されることになるわけですが、その結果として画面はきわめて茫洋とした様相を見せることになり、そこに絵を描いた彼女本人や観者の知覚・感覚の移ろい、さらには筆跡を可能な限り消し去ることで一見すると後景に退いているように見える絵具の物質性が渾然として現われてくるのでした。詩人であり、ベルクソンやドゥルーズの紹介者・研究者としても知られる(そして村上隆(1962〜)氏の博士号取得の立役者のひとりでもある)篠原資明(1950〜)氏は、「眩しい」と「侘び寂び」とを混ぜた「まぶさび」なる概念によって、特に1990年代以降の現在における美術のひとつの傾向性を明るみに出していますが、野中女史の絵画はつるりとした表面をモティーフとしているという点において「まぶさび」の現在を端的に示していると言えるでしょう。
マンガ・アニメ・ゲームの“アーカイブ”について考える企画展が11月から京都で https://natalie.mu/comic/news/596152
「のこす! いかす!! マンガ・アニメ・ゲーム」展、2024.11.23〜2025.3.31、京都国際マンガミュージアム。
特に2010年代後半くらいから、アーカイビングについて個人〜コレクティブレベルで(そのレベルの身の丈に合う範囲内で)実践を手探りながら始める動きが出てきているように見えますが、ことにマンガ・アニメ・ゲームはステークホルダーが多いこともあってこういった動きが全くと言っていいほど進んでおらず、麻生内閣のときのアーカイブ構想がごく小規模であっても実現していれば、もう少しマシだったんでしょうけど……
いずれにしてもこの展覧会が、民主党(当時)や共産党のせいで国営アーカイブ構想がポシャったことでもたらされたマンガ・アニメ・ゲームにとっての「失われた十数年」から出発し直すきっかけになればいいんですが……
高階秀爾氏インタビュー。新設の大原芸術研究所が目指すもの、「闘う人文主義者」エラスムスの時代と現代の相似性とは? https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/shuji-takashina-interview-202405
今年5月のインタビュー記事。結果的にこれがラストメッセージということになるんでしょうか…… [参照]
美術史家・美術評論家の高階秀爾さん死去 92歳、「美の季想」連載:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASSBS0HB1SBSUCVL040M.html
高階秀爾(1932〜2024)。当方、20年ほど前に京都の某ギャラリーで目撃したことがありまして、話しかけるなんて恐れ多いので軽く会釈しただけですが、著書や国立西洋美術館の館長を長く務めていたイメージが強すぎて、ぇ高階御大って現代美術も見はるん!? と驚くことしばし。ともあれ、ご冥福を……
総選挙が近い昨今ですが、そういう時期に本棚の奥から出して読み返すのが原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(中公新書、2000)。タイトルから一見即解なように、戦後日本政治のもう一方の雄だった日本社会党についての通史です。著者の原彬久(1939〜)氏はハンス・モーゲンソー『国際政治』やE・H・カー『危機の二十年』の訳者としても知られています。このことからも見えてくるように、同書においては、国際政治学におけるリアリズムの立場から国内政治史と政党史を見るという視線で一貫していると言えるでしょう。
刊行された時期が時期だけに、ゼロ年代以降の民主党→民進党→立憲民主党の変遷と消長については触れられていませんが、読み進めるにつけ、これ今の立憲民主党が全然克服できてないやつやなぁ……と、特に同党の支持者ではない者的にも微苦笑したくなる箇所が多いわけで。特に党内にありながら左派と右派の分裂が恒常化していることと、議会政治自体への根本的な不同意が党自体のアイデンティティとなっていることとかに、それは顕著です──以下の引用における「社会党」を「立憲民主党」と置き換えても、そのまま成立するんじゃなかろうか
日本社会党は結党後わずか三年にして二度の小分裂を体験し、この体験を通して奇(く)しくも党内最右翼と最左翼をそれぞれ切り落としたことになる。一般的には、これによって社会党が党内イデオロギーの振幅を縮小し、したがって党内コンセンサスを得ることもまた、それまで以上に容易になったとみられても不思議ではない。しかし実態は何ら変わらなかった。いやむしろイデオロギーと感情の確執からくる党内抗争は、ますます先鋭化していく。(p61)
社会党にとって、議会はここで占めるべき「絶対多数」の恒久化によって社会主義革命を果たす一つの手段であった。しかし実際には、「絶対多数」どころか「比較多数」さえも獲得できない社会党にとって、勢い議会外の権力すなわち「大衆闘争」はきわめて有用な戦力となる。院外闘争にロマンを求め、暴力革命の道をさえ閉さなかった。いま一つの「理想主義」がここにある。(略)憲法擁護を叫ぶ社会党が、その憲法の根幹ともいうべき議会主義を擁護しえないという自己矛盾は、ほかならぬ社会党自身のこの「理想主義」のなかにある。(p343)
戦後西ドイツのグラフィックデザイン展 モダニズム再発見 https://artexhibition.jp/exhibitions/20241012-AEJ2423803/
2024.10.26〜2025.2.24、西宮市大谷記念美術館。ドイツのデザインというと、ヴァイマル共和国期のバウハウスが鉄板ですが、バウハウスが培ったイズムがより応用可能な形でデザイナーに共有されるようになったのはおそらく戦後になってからでしょうから、「戦後西ドイツ」にフォーカスを当てるというのは、なかなかクリーンヒットですね。
かのう氏はこれまで、
器や壺に特殊な砂などを詰めて焼き、それを剥き出しにする──つまり器や壺の形相的な外延と、それが内包する空間との関係が反転しているのである──作品を多く手がけてきておりまして、だから陶土を紐状に成形して陶器の輪郭をドローイングのように描いてみせるという陶作品は、氏の陶芸における、器が外延と内包の双方にわたる存在であることから出発した考察に新たなマイルストーンを置いてみせたことになるわけで、これはコンセプト的に強烈な仕事やなぁと唸らされるばかりでしたが、かかる仕事を通して、陶芸をめぐる「見込み」や「気色」といった伝統的・なんでも鑑定団的言語がしっかりと唯物的にモノ化されていることに注目すべきでしょう。かつて北大路魯山人(1883〜1959)は気に入った器を石膏で型取りしてコピーし陶芸界隈で顰蹙を買いまくっていたそうですが、「見込み」や「気色」をコピー可能なモノと見る視線は今日から見てもなかなかに痛快ではあり、この魯山人ほどダイレクトかつ乱暴ではないにしても、かのう氏の仕事にもまたこの種の痛快さが見出せるのではないでしょうか。明日まで
木屋町三条にあるギャラリー中井にて開催中のかのうたかお「●○」展。
大阪のギャラリー白での個展やグループ展への出展が多いかのうたかお(1973〜)氏ですが、京都では数年ごとにこのギャラリー中井で個展を開催しております。
そんなかのう氏、現代陶芸家として既に長いキャリアを重ねておりますが、今春のギャラリー白kuroでの個展で陶土を紐状に成形して陶器の輪郭をドローイングのように描いてみせるという陶作品を出展して新生面を見せたもの。で、今回はその続編といった趣の作品を何点か出展しています。前回は壁や天井、床に至るまで全て真っ黒に塗られたギャラリースペースという特殊な空間で、突飛な発想に基づくフォルムを見せることに全振りしていたのですが、今回は白く明るい空間で見る形となり、同傾向の作品でも見え方が全く異なっていた──今回の場合、それぞれの陶ドローイング(陶ドローイング?)の焼き方が異なっており、これは土器、あれは磁器といった具合に焼き分けがされていたのでした。展示空間的にそうした細部にもわたって見ることを使嗾するものとなっていたわけで、前回の個展で度肝を抜かれた者から見ても、思ったよりも芸が細かいなぁと分からされることしきり。前回に続いて今回も陶ドローイングは自立できるように作られており、それによって二次元/三次元に対して斜めから介入するものとなっていたことにも注目すべきでしょう(かような「介入」という側面は、展示台の辺々が黒くマーキングされいていたことで、さらに強調されています)。もし自立できなかったら、一挙に台無しになっていたのではないだろうか。
【関西】「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」兵庫県立美術館で12月21日から 阪神・淡路大震災30周年を記念したグループ展 https://artexhibition.jp/topics/news/20241011-AEJ2420212/
2024.12.21〜2025.3.9、出展作家はリンク先参照。阪神・淡路大震災から30年も経つと、さすがに当時あのあたりに住んでた美術家の作品を並べる──それはおそらく常設展フロアで行なわれるんでしょう──というのとは違ったアプローチも求められ、とりわけ「震災の記憶」を属人的なものからアーカイブ的なものへと開いていくことが必須の作業になりますが、それがしっかりとできそうな出展作家たちと、さしあたっては言えるかもしれません。さて……
直島新美術館、2025年オープン記念展示は村上隆・蔡國強・ソ・ドホら11組 https://www.timeout.jp/tokyo/ja/news/naoshima-new-museum-of-art-101724
相変わらず直島周りは景気がいいみたいですね。
しかしそれにしても、大阪市此花区が近年川を埋め立てて新設した公園に謎のパブリックアートを置くことで大阪版直島を目指していると仄聞したときには、それ正気ですか?((C)ケンドーコバヤシ)&どんなタチの悪い冗談やねんと思ったものですが、先日実際に現地を訪れてみて、やっぱりタチの悪い冗談やないかぃというか、上方は行政もオモロおますなぁ〜と、当方の心の中のエセ京都人が
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪