【プレビュー】「生誕130年 没後60年を越えて 須田国太郎の芸術――三つのまなざし」世田谷美術館で7月13日から
https://artexhibition.jp/topics/news/20240627-AEJ2153812/
「須田国太郎の芸術」展、明日から世田谷美術館に巡回するんですね。2024.7.13〜9.8。
同展、当方は今春に西宮市大谷記念美術館に巡回したときに見ました。須田国太郎の息子(で、JR東海元会長な)須田寛氏が創設した公益財団法人きょうと視覚文化振興財団が全面協力していることもあって、最新の研究も反映された現時点での決定版というべき展示となっております。
須田国太郎(1891〜1961)といいますと、京都帝大で西洋美術史を修め、研究者としてスペインに留学し、「東西絵画の融合」を掲げて画家となり、実作を通じて終生模索していったことで知られていますが、この展覧会では、代表作に加えて、(これまであまり紹介されてこなかった)滞欧時に撮影した写真や、(幼少時からの趣味だった)能楽鑑賞時に描いたクロッキーといった資料群も多く紹介されており、彼の画業をより立体的に紹介していると言えるでしょう。須田が掲げた「東西絵画の融合」という巨大テーマが彼の絵画において十全に実現しえているかというと正直「???」となるところですし、現在の視点からするとそのようなテーマ設定自体が前時代的で、そもそも(あとから近代化を図った国々特有の)夜郎自大な問題設定であることは否定できないのですが、しかし「東西絵画の融合」=「「東洋」と「西洋」という二分法の(日本/アジア側からの)超克」を掲げることで、前時代〜同時代(〜現代)の多くの洋画家が無意識に陥ってきた/いるエセコスモポリタニズムを撃つ強度を獲得しえたのもまた、事実といえば事実でしょう。
先ほど述べたように須田は(ブルボン朝末期の)スペインに留学していますが、他の多くの洋画家のようにパリを選ばなかった時点で、実はかなり慧眼なのかもしれない。そのあたりに、須田の学者としての確かな眼力が存在するのかもしれません。「西洋画」という、それ自体日本でしかありえないジャンルと実践──欧米の画家たちは自分たちを「西洋」という地理的限定性を負ったネーミングでアイデンティファイすることはないから──がそのアクチュアリティをまだまだ持っていた時代から「現代アート」という名のもとに消滅した(ように表層的には見えている)時代へ移行したように見える中、私たちはあの頃の須田の眼力にどこまで追いつけているかというと、実はけっこう心もとないんじゃないだろうか。
須田によるエル・グレコの模写や、アトリエでは常にスーツ&ネクタイ姿で絵を描いていた──彼のポートレート写真を撮ろうとした土門拳がドン引きしたという──というエピソードに接するにつけ、ついつい背を正してしまうのでした。
しかしそれにしても会場の「さかい利晶の杜」って、初めて知ったときにはさかいとしあきって誰やねん!? と思ったものですが、堺出身の偉人のツートップ(?)な千利休と与謝野晶子から取っているそうで、なんとも的な [参照]
そのKEN FINE ARTの階上にある福住画廊では
難波田史男(1941〜74)の個展が開催中。関西では父親の難波田龍起(1905〜97)ともども作品に接する機会がほとんどないので、なにげに貴重な機会となっています。若くして不慮の死に見舞われてしまったこともあってか、どうしても詩的・日本的ロマンティークのもとに受容されることが多いっぽい難波田史男ですが、細い描線やパステル調の色使いなどは、同時代の日本現代美術における絵画や版画の動向に対してなかなかアンビバレントな関係にあるように見え、その意味では決して同時代の潮流から孤立/隔絶していたわけではないことを改めて確認することができる。木下佳通代展(大阪中之島美術館)や「70年代再考 版画・写真表現の波紋」展(galerie 16)が開催されているさなか、わずか7点とささやかながら、タイミング的に非常にクリティカルであると言えるでしょう。
KEN FINE ARTでは
「SUMMER SHOW」展が開催中。萩野真輝、谷野真吾、五百蔵(いおろい)由季の三氏によるグループ展となっています。萩野氏は複数の視線・複数の志向性の流れが相互にハメ込まれた構図の絵画を、谷野氏は対象をそれと認知されうるであろう最小限の絵具&塗りにまで還元しつつしかし抽象にならないギリギリを描いた絵画を、(今回初出展の)五百蔵氏は複雑に切り刻まれたワードアートが出展されていました。
ことに五百蔵氏の作品は言葉が書かれた平面を短冊状に切って折ることで蝶やローレンツ曲線(←カオス理論の入門書によく出てくるアレ)といった様々な形態をレリーフ状に浮き出しており、こういうのって日本の中からは発想自体が意外と出てこないのではないだろうかと思うことしきり。実際、五百蔵氏はアメリカやオランダで美術家としてのキャリアを重ねてきたそうで、(コン)テクストとシニフィアンとシニフィエとがワードアートの中において同時にかつ立体的に処理されることで形態を具現化していくという手腕の確かさを堪能できる佳作となっていたのでした。20日まで
大阪市立美術館のリニューアルオープン記念特別展 - 上村松園や佐伯祐三など、選りすぐりの名品約200件 https://www.fashion-press.net/news/120880
2025.3.1〜30。一昨年からずっと工事中だった大阪市立美術館ですが、ようやく再オープンするんですね。大阪中之島美術館との役割分担をどうするのか&どう変わるのかは少し気になるところですが
もちろん、今回は
百貨店での個展ですから、そのような位相からだけではない良さのある作品も多かったことも、特筆すべきでしょう。近年の松平女史は、明治時代に作られた制度としての「日本画」に包括される以前の諸流派にも通じたマルチリンガル(?)的な相貌も見せておりますが、その成果は例えば《ニュー・オランピア》連作にけっこういい感じに現われていたように見えます(←誰目線やねん)。個人的に気になったのは、ミニサイズの粘土板に雑に引っ掻いて山水画を描いた《山水粘土》連作でして、彼女における画の探究と突き合わせて見ると、さらにさまざまな超展開を予感させるものとなっていたように思われるのでした。ケンタウロスの絵を見て、ぁ今某新時代の扉が公開中だからなぁと思ったのは内緒だ
かつて松平女史は
「悪報をみる ─『日本霊異記』を絵画化する─」(2018、KAHO GALLERY(京都市))展において日本初の仏教説話集『日本霊異記』(9世紀ごろ)内の説話をモティーフにした絵を出展していましたが、『日本霊異記』自体、日本に仏教が伝わって間もない時代の伝承からなっており、そこでは(来世や浄土、輪廻転生といった)いかにも仏教的なニュアンスは薄めだという──言い換えるなら、仏教がまだギリギリ外来思想だった時代の物語に着目することで、彼女は「古層」((C)丸山眞男)を描こうとしていたと言えるでしょう。してみると、今回のこの「天使・花輪・ケンタウロス」展においてシンクレティズム的な天使を描いた作品が多く出ていたことで、文脈的にはあの「悪報をみる」展の続編でもあると位置づけることができるかもしれません。この間、松平女史は、江戸時代の隠れキリシタンたちが信仰していた「マリア観音」を描いた仏画《聖母子》を描くなど、日本の風土における宗教性(特にキリスト教とのかかわりが痙攣的に主題となるだろう)に繰り返し立ち返っているのですが、その最新版が今回の展覧会だったのではないでしょうか。
髙島屋京都店美術画廊で7.3〜8に開催された松平莉奈「天使・花輪・ケンタウロス」展。
関西や東京で個展に限らず精力的かつ多角的に活動を繰り広げている日本画家の松平莉奈(1989〜)女史ですが、意外にも百貨店での個展は今回が初めてとなるそうです。やっぱり日本画家は百貨店で個展を開いてナンボなところがありますから(←ド偏見)、松平女史もついにその閾に到達したかと、以前から何度か個展やグループ展で作品に接してきた者的には思うところ。
それはさておき、今回は「天使・花輪・ケンタウロス」という展覧会タイトルそのままに、これらを主題として描いた新作絵画が主に展示されていました。日本画を基礎にしつつ、そのメチエ自体の歴史性(いわゆる「日本画の制度性」と雑に呼ばれることになるアレ)を現実の歴史と積極的に交錯させていく──近世におけるキリシタンや戦前における図画工作教育などが俎上に乗せられることになる──ところに松平女史の独自性があるのですが、迎えた今回の個展では天使をモティーフにした作品にそれを見出すことができます。そこでは天使はキリスト教における宗教画のというより、どことなく古代オリエント文明の、ことによってはシンクレティズム的な風土から生まれたようなテイストを見る側に抱かせるものとなっている。かかる天使の絵柄(絵柄?)がペルシアからシルクロードを経て奈良時代の日本に至ったことを勘案すると、松平女史がここでかような絵柄の天使を描くことで何を射程に入れようとしているかについて、一定の見通しを得ることができるでしょう。
祖父は福永武彦、父は池澤夏樹「『池澤』の名で出す以上、きちんとした作品を…」“3代目”の汗と涙が凝縮した初のSF小説集(文春オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/53106623e125aa4e33141c8bec38a4cb03207e01?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240707&ctg=ent&bt=tw_up
知らん間に池澤春菜女史が小説家デビューしはったんですか。同じ早川書房から発売されているエッセイ集『SFのSは、ステキのS』は読んだことがありますが……
記事でも触れられているように、池澤女史の祖父は福永武彦(1918〜79)なのですが、ところで当方、その福永(と中村真一郎(1918〜97))とともに「マチネ・ポエティック」を結成していた加藤周一(1919〜2008)の授業を学生時代に受講したことがあり、授業が終わった後の飲み会にも一度同席したことがありまして、その折にそう言えば福永武彦のお孫さんって今アニメの声優をしてはるんですよと言上したときに、加藤がなんとも形容し難い表情をしたのがひどく印象的でした
エイベックスの歴史|松浦勝人オフィシャルブログ「仕事が遊びで遊びが仕事」 https://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10518384040.html
ユーロビートとか小室哲哉とか浜崎あゆみとか、そういう系(そういう系?)の音楽を日本に紹介し広めまくったavexグループ。その社史『avex way 1988~2005』(非売)が創業者氏のブログで全公開されてるんですね。今知った(爆)。まだ創業者の松浦氏たちが横浜市内でレンタル店を始めたところまでしか目を通せてませんが 、2004年に勃発したお家騒動の直後までのことが記述されているようです。
avex、ユーロビートの勃興期と会社の創業期が一致し、音楽自体が変革期を迎える中で急拡大した結果陽キャをガッチリ掴んだことで現在まで隆盛を誇っているわけですから、この社史は「陰キャならロックをやれ!」というキャッチフレーズでおなじみの(?)『ぼっち・ざ・ろっく!』の副読本でもある説
時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーニャさん https://roshidere.com/
そういうタイトルのラノベがあり、アニメ化されるらしいことは以前仄聞したことがありますが、今クールの新番組だったんですね。昨今の情勢に配慮(配慮?)して、『時々ボソッとウクライナ語でデレる隣のアーニャさん』に改題されるかも? とチト心配してましたが #などと意味不明な供述をしており
吉本隆明詩集 - 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/book/b648018.html
岩波文庫から吉本隆明詩集が出るんですね。編:蜂飼耳。7月13日発売予定なので、関西には連休明けの16〜17日に並ぶ感じ?
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪