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【本日お救いした文物】はまじあき(原案)くみちょう(作画)『ぼっち・ざ・ろっく!外伝 廣井きくりの深酒日記』第2巻、ちうね『紡ぐ乙女と大正の月』第4巻(以上芳文社)、松井優征『逃げ上手の若君』第15巻(集英社)

展覧会めぐり、本日は京都。染・清流館→galerie 16→KUNST ARZT→ギャラリーモーニング→同時代ギャラリーと見て回りました [添付: 6 枚の画像]

三菱一号館美術館で「オーブリー・ビアズリー展」(仮称)開催へ。V&Aが全面協力 bijutsutecho.com/magazine/news

2025.2.15〜5.11。オスカー・ワイルド『サロメ』の挿絵でおなじみ(?)のオーブリー・ビアズリー(1872〜98)ですが、来年原画展(←原画展とか言うな)があるそうで。当方は岩波文庫でしか知らないので、例の『サロメ』の原画が実際どのくらいの大きさなのか全く知らず、その点は気になりますね。

そして某サロメ嬢がアンバサダー(アンバサダー?)に就任ワンチャン? :blobcatnervous2: :sonnakotonaiyo:

:sticker_dangerous_items: 

中島みゆき展 「時代」2024 めぐるめぐるよ時代は巡る kadcul.com/event/185

2024.4.20〜6.23、角川武蔵野ミュージアム(埼玉県所沢市)。中島みゆき御大、当方はファンとかアンチとか以前に、有名どころの楽曲はテレビやラジオで流れてたのを聞いたことあるなぁという程度なのでアレですが、知人にもファンがなかなかおりまして。この前まで開催されてた永野護展に続き、また来場者の年齢層が高くなりそうな :blobcatnervous2:

リンク先のサイトを見るに、あの手この手で「様々な魅力に満ちた中島みゆきを鑑賞者が体験できる」空間作りが目指されるようですが、でも彼女の詞の世界を取り上げるなら、彼女が信者だというあの新宗教のことにも触れないと片手落ちになってしまいそうで? :sticker_dangerous_items:

リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」 artexhibition.jp/exhibitions/2

一昨年くらいから大規模に改装工事中だった大阪市立東洋陶磁美術館ですが、ついに再オープンするんですね。2024.4.12〜9.29と、なかなかな長丁場。今回はコレクション展ですが──「シン・東洋陶磁」というタイトルについてはさておき :blobcatnervous2: ──、またいい意味でクセモノな企画展を連発してほしいものです

【本日お救いした文物】月刊アートコレクターズ4月号(生活の友社)、ジュリア・ブライアン=ウィルソン(高橋沙也葉+長谷川新+松本理沙+武澤里映(訳))『アートワーカーズ 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践』(フィルムアート社)

『機動戦士ガンダム』アニメーター安彦良和の大規模回顧展が兵庫県立美術館で、約1,400点の資料集結 fashion-press.net/news/116892

2024.6.8〜9.1。兵庫県立美術館、数年前に各地の美術館学芸員有志の企画による「富野由悠季の世界」展を開催してましたから、それもあっての安彦良和展ということでしょうか。島根県立石見美術館にも巡回するとのことですから、きっとそうかもしれない。でもこれ(御大の出身地な)北海道にも巡回しないとマズいですね :blobcatnervous2:

あとは、まぁ、出展される原画や資料の中にトニーたけざきのを混ぜて…… :ablobcatgooglymlem: ←←

展覧会めぐり、本日は京都。京都市立芸術大学を見て回りました

(この時期の日曜の京都は長居するものでもないので、早々に退散…… :blobcatnervous2:

あたしか さんがブースト

そのLADS GALLERY、 

今週は別室で田中美穂植物店「魔法の部屋」展も並行して開催中。アーティスト活動の傍ら、京都市内で実際に植物店を経営しているという田中美穂植物店、当方はギャラリーモーニング(京都市東山区)でのグループ展で二、三度接したことがありますが、個展は初めて。今回は造花や針金、その辺の小物などを使って空間にドローイングしてみせたといった趣の作品が出ていました──そろそろ桜のシーズンなので桜色のオブジェが多かったのはご愛嬌。上記の断片的な材料を組み合わせて軽やかな立体をスッと作ってみせるところに、この方やっぱりタダモノではないなと、改めて刮目する良い機会となりました。こちらも明日まで。

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あたしか さんがブースト

LADS GALLERYで開催中の藤原博子展。 

プライマリーな形を切り出して組み合わせた切り絵が大小数十点出ていましたが、通りすがりに瞥見してマ、マジか…… と震撼してしまう。一見して直ちに連想できるように、最晩年のマティスや全盛期のモンドリアン、具体解散後の元永定正の仕事を連想させるものとなっていたのですが、造形的には手作業のアバウトさを全く隠してない点においてほとんど図画工作のレベルであり、ところがそんなレベルであることが逆に功を奏していたわけでして。図画工作という平面において彼らの仕事を悪魔合体させて再演してみせるというコンセプト上の力技に、こんなんズルいわー(←褒め言葉)となるばかり。まったく知らない作家さんだったのですが(LADS GALLERYの常として、彼女もまたかなりのベテランなのかもしれませんが)、これは今まで知らなかった己の不明を恥じることしきり。このギャラリー、たまにとんでもない隠し球を見せつけてくるから、意外と油断ならないんですよね。明日まで。

あたしか さんがブースト

彫刻家の舟越桂さん死去 72歳 半身像に大理石の目、本の表紙にも | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20240329/k00/00m/040/382000c

舟越桂(1951〜2024)。謹んで、ご冥福をお祈りします。

舟越氏といいますと、四半世紀ほど前に木彫作品が天童荒太(1960〜)氏の小説『永遠の仔』の表紙に使われたことで一挙に知名度を上げたように見えますが(当方もそうでした(爆))、それ以前から
──舟越保武(1912〜2002)の息子ということもあって──彫刻界隈では気鋭の彫刻家だったであろうことは想像に難くない。現在から振り返ると、舟越氏の活動は、(欧米でも同時多発的に起こった)絵画における「具象の復権」の彫刻版としてあったと、さしあたっては言えるかもしれませんが、かかる同時代性にのみ還元されることを拒絶するような作品であることも、また事実。

ところで、以前大阪の某ギャラリーで舟越氏のドローイングに接する機会があったのですが、ひょっとしたら彫刻作品以上に対象を執拗に存在させようとしており、なかなか震撼させられました。一般論として彫刻家のドローイングは画家のそれとは違った美質を持っているものですが(ex.ジャコメッティ)、舟越氏のドローイングもまた、彫刻家のドローイングにおける系譜をキッチリと受け継いでいたのでした。

【そう言えば昨日お救いしていた文物】まんがタイムきららCarat5月号(芳文社)

「大カプコン展」,2025年3月20日から大阪中之島美術館で開催。数々の名作を生み出してきたカプコンのゲームクリエイションに注目した展覧会 4gamer.net/games/999/G999905/2

2025.3.20〜6.22、大阪中之島美術館。東京では大吉原展が開催前に炎上してましたが、同じ大でも大阪の方は大カプコン展ときましたか :ablobcatgooglymlem:  

確かにカプコンって依然として松屋町筋沿いに本社を構えてますから、それなりの解像度で社史とコンテンツをリサーチ&キュレーションすれば、中之島美術館は会場としてうってつけかもしれませんが、こちらはこちらで、会期が始まったら限定DLCをめぐっていらん混乱を引き起こして炎上しそう? :blobcatnervous2: ←←

あたしか さんがブースト

ところで今回は 

絵画に加えて、興梠氏にとっては初挑戦となるというガラス造形の作品も出展されていました。興梠氏は先だって、香水メーカーであるメゾンレクシア株式会社の商品ラベルのアートワークを手がけたそうですが(今回の「Balm」展も、同社との協働の一環として企画されている)、ガラス造形の作品も同社とのコラボレーションという形を取っており、香水瓶として作られているとのこと。ガラス作品としての出来については何も言えませんが、先述した物=肉=corpsとしての身体を主題としている興梠氏の関心がストレートに反映された造形物であることは疑いなく、ここでも氏の探求の粘り強さをまざまざと感得することができる。

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あたしか さんがブースト

Yoshimi Artsで開催中の興梠優護「Balm」展。 

同ギャラリーで定期的に個展を開催してきている興梠優護(1982〜)氏、今回は二年ぶりの個展となります。

興梠氏といいますと、人間をモティーフとしつつ、人間=人物の「物」の部分にフォーカスを当て直した絵画──ある位相において、それはフランシス・ベーコン(1909〜92)の絵画的探求の続編という性格も色濃く帯びることになるだろう──を継続的・精力的に発表し続けていますが、迎えた今回の「Balm」展もまた人物の「物」の部分、さらに言えば身体=肉体の「肉」(corps)の部分に焦点を当てた絵画作品が多く出展されており、氏の絵画的探求が着実に新たな地歩を築いていることが理解できるものとなっていました。

物=肉=corpsが主題としてせり出してくることで、興梠氏の絵画における人物像は流動性を帯びてくることになるわけですが、それが絵画的身体の描写という点において、単純に退行的なものではないことに注意する必要があるでしょう。

意味の身体とは、いかなる点においても「意味」の理念性〔観念性〕の受肉化ではない。反対に、それはこうした理念性の終焉、それゆえに意味の終焉である。なぜなら、意味の身体は自己を自己へと(その身体を「意味」に変える理念性へと)送り返し関係づけることを止めるからであり、その身体の最も固有の「意味」をなすこの限界において、またその身体をそういうものとして露呈するこの限界において、自己を中断するからだ。(ジャン=リュック・ナンシー(大西雅一郎(訳))『共同-体(コルプス)』(松籟社、1996)、p21、強調原文)
──興梠氏の絵画について考える上で、このジャン=リュック・ナンシーの議論を参照することは有益であると考えられます。ナンシーにおける「意味の身体」は「その身体の最も固有の「意味」をなすこの限界において」「自己を中断する」ものとしてあるのですが、興梠氏の描く物=肉=corpsもまた同一性の中断としてあり、それはたとえ顔が描かれていても、それは特定の誰かというよりも、顔そのもの=顔貌性として提示されているほどに、徹底している。ここでのナンシーの言葉に沿うなら、自己を自己へと(その身体を「意味」に変える理念性へと)送り返し関係づけることを止めた身体として興梠氏の物=肉=corpsはあり、それは身体性の崩壊を描きつつもどこかでアイデンティティの回復へとつながるように描かれる絵画(そういうの、最近の若手〜中堅に多いですね)とは真逆である。

そういう点において、興梠氏の絵画を見ることは、常にスリリングな経験であると言えるでしょう。明日まで。

展覧会めぐり後場その2。福住画廊→KEN FINE ART→LADS GALLERY→Yoshimi Artsと見て回りました

展覧会めぐり後場その1。大阪市に移動し、Gallery H.O.T→ギャラリー白&白3&白kuro→天野画廊→gekilin.→Oギャラリーeyesと見て回りました [添付: 7 枚の画像]

展覧会めぐり、前場は西宮市大谷記念美術館を見て回りました

開館以来初、国立西洋美術館で開催されている現代アートの展覧会は「成功」と言えるのか?(JBpress) news.yahoo.co.jp/articles/3095

少し前の記事ですが、さっき見つけた(爆)。あとで読む

(なかなか日程とカネがfixできないので、見逃すことになりそうではあり…… :blobcatfearful:

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