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先日が頭痛がヒドいのなんの…… :kao_oyo:

あたしか さんがブースト

やはり今回はドローイング(ドローイング?)作品のインパクトがなかなかありまして、なるほど確かに輪郭を線描した風味の陶作品というのは、これまで陶器の外延と内包との関係を一貫して主題としてきたかのう氏らしい展開なのですが、そのように思弁的には納得できても、実際にやってしまうこととの間には天と地ほどの差があり、そこに唸らされるばかり。しかも(壁掛け式だった一点を除いて)ちゃんと自立して展示されており、そこもきわめてポイント高。線描のように見えつつ立体として自立できるようになっていたことで、氏がこれまで主題としてきた外延と内包との関係性が、さらに違和感をともなった形で具現化されていたと言えるでしょう。

三次元空間の中に平面性に全振りした何かが混ざると一挙に違和感が増し、その違和感自体を主題とする作品は主に絵画や写真においてしばしば見られますが、それを(現代)陶芸の文脈の中で、その文脈を大きく逸脱せずに提示しているところが、実にクール。16日まで。

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西天満にあるギャラリー白kuroで開催中のかのうたかお「在ルコト」展。関西を中心に活動しているかのうたかお氏ですが、近年はだいたいこの時期にギャラリー白で個展を開催し続けています。

これまで器や壺に特殊な砂などを詰めて焼き、それを剥き出しにする──つまり器や壺の外延とそれが内包する空間(某なんでも鑑定団における「見込み」というアレ)との関係が反転しているのである──作品を多く手がけてきたかのう氏ですが、迎えた今回は紐状に延ばした陶土を使って器や壺の輪郭をドローイング(ドローイング?)した作品や、器の形をした陶板が出展されていました。いずれもこれまでの個展では見られなかった作風だったので、そう来たかと驚くことしきり。

戦後関西の美術家・木下佳通代の個展が大阪中之島美術館で、“存在とは何か”抽象画などの代表作が一堂に fashion-press.net/news/115344

2024.5.25〜8.18、中之島美術館。以前に第一報に接したときは、木下佳通代(1939〜94)の個展というあまりのシブさによくこの企画通ったなぁと唸ったものですが、詳細に少し踏み込んだ記事が出てますね。兵庫県立美術館やギャラリー島田などで、長年のパートナーだった奥田善巳(1930〜2011)との二人展という形で紹介されることが多い木下ですが、1970年代の版画作品はもちろん、80年代以降晩年に至るまで描き続けた抽象画もまとまって紹介されるようで、今から超期待。

ひさしぶりに訪ねた梅田の某書店(売場がシャッフルされ過ぎてて、アレでした :blobcatnervous2: )で見かけたこの本、片山恭一ってまさかあの……? と思ってたら、そのまさかでした(驚)。かつて『世界の中心で、愛をさけぶ』が凄まじい勢いで売れてた片山氏の新著は、九州派の画家オチ・オサム(1936〜2015)について──って、世界の中心で(ryから四半世紀ほど(?)経って、エラいところに落ち着いたなぁ感がすごい :blobcatfearful:

kankanbou.com/books/culture/06

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そう言えば件の記事の中で「ブルーライト文芸」の先行例として住野よる『君の膵臓をたべたい』が紹介されてましたが、それが(先日休刊した)月刊アクション誌でコミカライズされていたとき、同誌上で『桐谷さん、ちょっそれ食うんすか!?』が連載されていたの、編集部もいい意味でなかなか意地が悪いなぁと笑うやらなんやらだったもので​:blobcatnervous2:https://bookwalker.jp/series/85023/ [参照]

あたしか  
青くてエモい「ブルーライト文芸」大ブームの理由|東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/737591 最近は小説には割とご無沙汰気味な当方ですが、大型書店の文庫本コーナーをじわじわ侵食してきている感のあるあの手のジャンル小説群を「ブルーライト...
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青くてエモい「ブルーライト文芸」大ブームの理由|東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/737591

最近は小説には割とご無沙汰気味な当方ですが、大型書店の文庫本コーナーをじわじわ侵食してきている感のあるあの手のジャンル小説群を「ブルーライト文芸」と名づけているのは、あの手のをいい意味でバカにしていると思いたいところですが……
:blobcatnervous2:

ブルーライト文芸には典型的な話のパターンがあります。ヒロイン(や恋人、想い人)と出会い、最後に消失するということです。また、最近の作品ではそこまで露骨ではありませんが、『田舎』や『郊外』の『夏』を舞台にしがちであるという共通点もありました
記事中で触れらている「ブルーライト文芸」の特徴は以上のようなものらしいのですが(←実作に接してないのでアレですが)、「ブルーライト」と言ってるのに横浜が舞台じゃないんかぃという半畳を入れたくなりつつ、これってつまりはデウスエクスマキナする系統の小説のことなんだなぁと納得し、それなら確かについ最近発生した現象というより、昔からある物語のパティーンではあるよなぁと思うことしきり。ということは──死んだはずの恋人が最後の最後に何の脈絡もなしに復活して主人公の前に現われる──中上健次『軽蔑』は究極のブルーライト文芸ということに?←←

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ところで会場の一角で池垣氏のインタビュー映像が流されていました(撮影&インタビュアー:髙橋耕平氏)が、過去から現在にわたる自作のセルフプレゼンに加えて、氏がデビューした頃の関西アートシーンや京都精華大での教員としての思い出話などが高密度かつ脱線気味に語られていて、見応えありすぎ。「なんでリトグラフは(あのやり方で)刷れるのか未だに分からない」という超発言は、聞かなかったことにしておきましょうwww

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池垣氏は 

高校卒業後の1974年にメキシコに渡り、3年間にわたって中南米を旅していたのですが、そのことを念頭に置きつつドローイングに接してみると、中南米のテイストが確かに横溢しているように見える。昨年国立民族学博物館で「ラテンアメリカの民衆芸術」展に接したときに見た、向こうの社会運動のただなかで生み出された絵画と、雰囲気が明らかに連続しているわけですね。

そしてそれは表層的なテイスト云々ではなく、氏の仕事に通底する本質をなしていると言わなければならないでしょう。清水穣氏は池垣氏のドローイングについて、2017年にGallery Nomart(大阪市城東区)で開催された個展に際して寄せた文章──今回の「リボンと角柱」という展覧会タイトルはこの清水氏の論考から取られている──において、(父親が中国人、母親がアフリカ系キューバ人という)キューバの美術家ウィフレド・ラム(1902〜82)を参照しつつ、次のように述べている

池垣のドローイングでは、具象は、舞台の上でリボンと角柱に分解され、その極限(その例は少ないが)で文様の海に溶け去っていく。(略)リボン化にはキュビスムやシュールレアリスムの影響が顕著であるが、その先にあるカリカチュアは、まさにラムの人種的・文化的背景を反映して、何ともアイデンティファイできないハイブリッドなものである。これは非ヨーロッパ圏の作家が、モダニズムを受容した一例であるが、ドローイングの随所でラテンアメリカ的なモチーフを登場させる池垣タダヒコにも同じことが言えるだろう。つまり「リボン」と「角柱」には「非ヨーロッパ」と「モダニズム」という意味も重ねられているのだ。若き日の池垣は、非ヨーロッパとヨーロッパがハイブリッド的に混淆して存在する環境としてメキシコを選んだのだった。
(清水穣「リボンと角柱 池垣タダヒコのドローイング」)
池垣氏のドローイングは単一の描線によってというよりも、二重化された描線によるホース状の構造(リボン)と、描かれた四角形による構成(角柱)とによって構成され、そしてそれらによる「ドローイングの随所でラテンアメリカ的なモチーフを登場させる」描画には「「非ヨーロッパ」と「モダニズム」という意味も重ねられている」わけで、そこから「何ともアイデンティファイできないハイブリッドなもの」を召喚させるのが氏のドローイングのビジョンであると清水氏は述べているわけですが、これは池垣氏がデビューしたのがいわゆる「関西ニューウェーブ」が日本現代美術を席巻していた時期であったことと重ねて見ていくと、非常に示唆的であると言えるでしょう。「関西ニューウェーブ」は特殊日本的な現象であるとともに、同時代の欧米における「絵画の復権」現象と共鳴していたし、さらに言うとそれは単一のモダニズムに対する複数の横断的な動きの総称でもあった──イタリアにおいては「トランスアヴァンガルディア」と呼ばれていたことが、事態を正確に言い表わしているのではないだろうか──わけですが、してみると池垣氏はかかる横断性をメキシコにおいて文字通り全身で経験した上で日本の1980年代を迎え撃ったことになるし、さらにその横断性をドローイングという形で持続することで現在に至るまで独特の位置を占めてきた/いることになる。で、ここに、関西・現代・版画において(今のところ最後の)大規模な運動体となっている、木村秀樹氏が率いていた「マキシグラフィカ」(1988〜2008)との対質において氏の仕事を見直す必要性があるのですが、それはもはや当方の手を余りまくっているわけでしてェ……

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先述したように、今回は 

版画(や、それを組み立てたりコラージュしたりした立体)や銅による立体(多くは銅板を細長く切って角柱状にしたものを組み立てて造形されている)が多く出展されていましたが、とりわけ個人的には本や手帳、スケッチブックなどに手当たり次第に描かれたドローイングに瞠目しきり。池垣氏は研究室にいるときでも暇さえあればドローイングしまくっていて、だから版画専攻以外の学生も出入りすることが多かったという証言がありますが、そういうところにも名伯楽とされる所以があるのかもしれない。実際──特に2010年代に上田良(やや)女史や迫鉄平氏、松元悠女史etcを輩出したことに顕著だったのですが──池垣氏が教鞭を取っていた京都精華大学の版画専攻は、関西・現代・版画界において(現代版画界の沈滞感をよそに)あらゆるメディア/メディウムを包含しうる超版画を思考・志向した作家を陸続と出すことで、一種の梁山泊状態を呈していたのでした。

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京都精華大学ギャラリーTerra-Sで開催中の池垣タダヒコ「リボンと角柱」展。 

いわゆる「関西ニューウェーブ」のひとりとして1980年代にデビューし、1995年以降、長年にわたって京都精華大の版画専攻で教鞭を取り続けてきた池垣タダヒコ(1955〜)氏が今年度で退任するとのことで、その記念展として企画された展覧会となっています。

さておき今回はその関西ニューウェーブ時代から昨年まで、版画から銅による立体から折に触れて描かれ続けたドローイングまで一挙に展示されており、池垣氏の創作の版画に限らない広大無辺さの一角をそれなりの規模に一望できるものとなっていました。個人的には池垣氏といいますと、「ニュー・ウェーブ 現代美術の80年代」展(国立国際美術館、2018〜19)や「関西の80年代」展(兵庫県立美術館、2022)といった大規模なアンソロジー展において銅による立体作品に接する程度だったので、氏の個展に接すること自体初めてでしたし(爆)、これほどまでに多数の多様な作品が出展されるとは端的に予想外でした。眼福。明日まで。

【訃報】漫画家の鳥山明さん死去 ドラゴンボールなど世界的な大ヒット fnn.jp/articles/-/668344

各所が速報してますが、やはりここは長年にわたって『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のアニメを放送してきたフジテレビのニュースサイトのリンクを貼るのがスジでしょうか。ジャンプでドラゴンボールを読んでいた世代としては寂しいところ。R.I.P.……

展覧会めぐり、本日は京都。京都精華大学ギャラリーTerra-Sを見て回りました

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伊藤若冲の新発見。絵巻《果蔬図巻》を福田美術館が公開 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28580

伊藤若冲(1716〜1800)が1791年に描いた《果蔬図巻》なる絵巻物がこのたび真筆と確定したそうで。福田美術館のコレクションに加わるそうですが、もともと京都を創業地とする消費者金融機関なアイフルの創業者のコレクションを展示するための美術館として開館したのが、着実に地歩を固めていっているようで、なかなか良き。

今年10月12日に開幕する企画展「開館5周年記念特別展 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」展にて一般公開される。
しかしそれにしても、若冲の真筆が見つかったという一報もさることながら、それが一般公開される展覧会名が「開館5周年記念特別展 京都の嵐山に舞い降りた奇跡!伊藤若冲の激レアな巻物が世界初公開されるってマジ?!」展って、エラいノリノリですな​:blobcatnervous2:​ まぁ今開催中の展覧会(竹内栖鳳と弟子たちがフィーチャーされているようで)も「進撃の巨匠」展だったりするので、またこのノリで行くんかぃと思うところではあるのですが、さすがに「(略)初公開されるってマ!?」と、巷(巷?)で言われるギャル構文をそのまま流用するのは避けたようで?​:ablobcatgooglymlem:

というかギャル構文っぽさに乗っかるんなら、同じ福田つながりで福田晋一『その
着せ替え人形(ビスクドール)は恋をする』とムリヤリコラボして←←​:yattare:

この手のArtistically Engaged Sociology(?)な学科として既に存在している追手門学院大学社会学部の社会文化デザインコースの卒展というのが1月に(同大学のある)大阪府茨木市で開催されており、知人が同コースの教授をしている縁で拝見したものですが、カリキュラム的に「ちゃんと伝える」手段を身につけさせることに全振りしているのか、(自分自身も含む)当事者たちの具体的な語りをメディア化することに意識が向いた映像作品やパネル展示が多くて、美大芸大のそれとはひと味違うものとなっていました。

まぁ「推し活」を俎上に乗せた作品が多様なメディアで展開されていたのは、仕方ないとはいえ、今の学生にとって身近でリアルでアクチュアルなテーマってそれぐらいしかないんかなぁと思わされたのも、事実ではあるのですが :blobcatnervous2: (このテーマ、ジャニーズが爆発四散した来年度以降は取り上げ方がけっこうムズいお題になりますからねぇ…… :blobcatthink: [参照]

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デザイン・アート学部、大学院デザイン・アート学研究科(仮称)の開設を構想 ritsumei.ac.jp/news/detail/?id

2026年の開設を目指すらしい。近年、関西でも──ゴリゴリの美大という訳ではないものの──「デザイン思考」や「アート思考」を軸に社会や文化を学び直す学科が新設される例がまま見られますが(近畿大学文芸学部や追手門学院大学社会学部など)、そこに立命館大学も参入するという構図でしょうか。京都市内、美大芸大の類は多いけど、かようなSocially Engaged ArtというかArtistically Engaged Sociologyな学部学科はないので、京都市内ではなかなか異色な学部・学科になりそうではあり。卒展とかどんな感じになるのやら……

今年もまぁどうにかこうにか確定を申告しました。自営業じゃないのでまだマシな方なんでしょうけど(インボイスとか、ホンマなんなん? と対象外な者としても思うばかり……)

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