やんツーインタビュー「アートは資本主義に抗うための唯一の方法」:Why Art? https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/why-art-yang02-202304
「栗木義夫 CULTIVATION-耕す彫刻」展|開催中〜6.25|清須市はるひ美術館(愛知県清須市) http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/kurikiyoshio/
──長年、中京圏で平面/立体にまたがって活動してきているという栗木義夫(1950〜)氏の個展。先日加藤巧氏にお会いした際にオススメされ、全く存じ上げない美術家なのではるひ美術館のサイトなどを瞥見しましたが、制作活動のかたわら、長らく名古屋の河合塾で講師を務めていたそうです。
サイトでの作家紹介では「長年、美術予備校で講師を務める」とサラッと触れられてますが、「絵画王国」と呼ばれ、実際、奈良美智(1959〜)氏を筆頭に多くの画家を輩出していた70年代後半〜90年代前半の名古屋のアートシーンにおいて、かかる状況を教育者として下支えしていたことになるわけで、同展においてその側面にどの程度光が当てられるかは定かではないですが、かような美術家の業績を今取り上げる意義は大きいと言わなければならないでしょう。うまく日程をfixできれば、見に行きたいところ。
pixivが規約改定へ 特定クリエイターの画風・作風模倣した作品に規制 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2305/02/news142.html
──「画風・作風」について、第三者が模倣を云々するというのもたいがいなのに、さらにプラットフォーム側が規制という形で介入するのって、いかがなものか度が高いですな。「柳の下にドジョウは三匹はいる」とは某現代美術家氏の名言ですが、逆に言うと三匹はドジョウを許容しないと美術史に名を残せないということでもあり
出版業界事情:評論誌『レコード芸術』休刊へ 寄稿者が存続求め署名活動も 永江朗 | 週刊エコノミスト Online https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230516/se1/00m/020/015000c
《クラシック音楽において、良い/悪い、優れている/劣っている、新しい/古い、など芸術的価値判断の基準を提示してきた。それは一方で権威主義や広告クライアントとの力関係など微妙な問題をはらみながらも、ひとつの価値観を形成する知の共有圏でもあったといっていいだろう》《しかし、情報の交通整理や評価、価値基準の提示という役割はまだ残っている》
──まぁクラシック音楽は「クラシック」という言葉が如実に示しているように、「芸術的価値判断の基準」が(権威主義的にではあれ)今なお存続しているんですが、美術はどうなんでしょうね(^_^; 仮に『美術手帖』誌が休刊するとなったとき、執筆者がここまで臆面もなく「情報の交通整理や評価、価値基準の提示という役割はまだ残っている」と言えるかどうか……
【artscape 2023年03月15日号(キュレーターズノート)】絵画について考える──椿昇、李禹煥、佐川晃司の作品から|中井康之 https://artscape.jp/report/curator/10183822_1634.html
改修を機に再評価がなされる、ポストモダニズムとしてのバブル建築 by 平塚桂 https://link.medium.com/TxL1nUD7qzb
武田悠太氏へのインタビュー記事(後編)
アートを「目的」とせず「媒体」と考えると、何が起こるか? | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン) https://forbesjapan.com/articles/detail/62694
《アパレルのOEM/ODMを中心とした事業を展開するLOGS(ログズ)の代表を務めながら、アートギャラリー「PARCEL」、10代のためのクリエイティブ教室「GAKU」のファウンダーでもある武田悠太》氏へのインタビュー記事(前編)
今じゃなかったらいつやるの? 赤字覚悟の一大アート事業の狙い | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン) https://forbesjapan.com/articles/detail/62689
折しも今日から京都国立近代美術館で「Re: スタートライン 1963-1970/2023」展が始まりましたが、同美術館が開館した1963年から1970まで開催されていた「現代美術の動向」展に光が当てられており、1960年代初期〜中期の〈反芸術〉と〈68年革命〉との間の架橋が図られている様子。もし〈反芸術〉〜〈68年革命〉〜「関西ニューウェーブ」という歴史過程がありうるとしたら、中島一平氏の存在こそがその証明になるのかもしれないわけでして、このタイミングでART OSAKAにおいて中島一平氏がフィーチャーされることのヤバさたるや!!!!!!!!(←宇川直宏/dommune的表現)
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2023/453.html
中島一平氏、いわゆる68年革命の際に京都市立芸術大学でも起こった学生運動の中心にいたそうで、ここでは学生運動側が提示したカリキュラム案を大学側が概ね受け入れて改革が行なわれるという超展開が起こり、その結果、メディウム固有性に囚われない形で「造形」を学ぶ授業が導入されたり、メディウム/メディア横断的な専攻(構想設計専攻)が新設されたりするのですが、こういった状況が一定の定着をみた1980年代に、今日「関西ニューウェーブ」と称される動きが起こっており、その意味で1980年代のアートについて語る上で実は超重要人物である(でもこれまでの80年代を回顧する展覧会では光が当たっているとは言い難いので、学芸員ェ……となるわけですが)。先ほど述べたように、近年はギャラリー白で小規模な新作展を開催する程度なのですが、再評価が最も求められていることは疑いない。
毎年恒例のART OSAKA、今年も7月末に開催されることが発表され、昨年から新たに始まったExpanded部門──インスタレーションやミュージアムピースサイズの作品などを(販売するかどうかはともかく)展示する別部門──も予定されているようですが、そっち側の出展作家の中に中島一平(1947〜)氏の名前があって何度見。近年は初夏あたりの時期にギャラリー白で小規模な個展を開くくらいでしかその活動に接する機会がなかったこともさることながら、息子の中島麦(1978〜)氏が長年所属しているGALLERY OUT of PLACE(奈良市)から出展するというところに、おやおや、おやおやおやおや……!? と、当方の心の中のボ卿が ←←
福岡アジア美術館がウェブサイト「アジア美術資料室」を新設 https://www.art-it.asia/top/admin_ed_news/235326/
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪