毎年恒例のART OSAKA、今年も7月末に開催されることが発表され、昨年から新たに始まったExpanded部門──インスタレーションやミュージアムピースサイズの作品などを(販売するかどうかはともかく)展示する別部門──も予定されているようですが、そっち側の出展作家の中に中島一平(1947〜)氏の名前があって何度見。近年は初夏あたりの時期にギャラリー白で小規模な個展を開くくらいでしかその活動に接する機会がなかったこともさることながら、息子の中島麦(1978〜)氏が長年所属しているGALLERY OUT of PLACE(奈良市)から出展するというところに、おやおや、おやおやおやおや……!? と、当方の心の中のボ卿が ←←
折しも今日から京都国立近代美術館で「Re: スタートライン 1963-1970/2023」展が始まりましたが、同美術館が開館した1963年から1970まで開催されていた「現代美術の動向」展に光が当てられており、1960年代初期〜中期の〈反芸術〉と〈68年革命〉との間の架橋が図られている様子。もし〈反芸術〉〜〈68年革命〉〜「関西ニューウェーブ」という歴史過程がありうるとしたら、中島一平氏の存在こそがその証明になるのかもしれないわけでして、このタイミングでART OSAKAにおいて中島一平氏がフィーチャーされることのヤバさたるや!!!!!!!!(←宇川直宏/dommune的表現)
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2023/453.html
中島一平氏、いわゆる68年革命の際に京都市立芸術大学でも起こった学生運動の中心にいたそうで、ここでは学生運動側が提示したカリキュラム案を大学側が概ね受け入れて改革が行なわれるという超展開が起こり、その結果、メディウム固有性に囚われない形で「造形」を学ぶ授業が導入されたり、メディウム/メディア横断的な専攻(構想設計専攻)が新設されたりするのですが、こういった状況が一定の定着をみた1980年代に、今日「関西ニューウェーブ」と称される動きが起こっており、その意味で1980年代のアートについて語る上で実は超重要人物である(でもこれまでの80年代を回顧する展覧会では光が当たっているとは言い難いので、学芸員ェ……となるわけですが)。先ほど述べたように、近年はギャラリー白で小規模な新作展を開催する程度なのですが、再評価が最も求められていることは疑いない。