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リズ・アーメッドのコラムで文章うまっ!となることでおなじみの(おなじみの?)(いろんな書き手によるエッセイ集)『よい移民』のなかで「アジア系担当以外の役がこないんだよねーという役者のぼやきの中で「ベネディクト・ウォンいるじゃん」「あの人はね、あの人は本当に特別なので…」という話がでてきてから(大意、細かいとこは違うかも)このあたり結構意識するようになった。

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モンキーマン当地でもやるの嬉しいんだがシネコンの大きいスクリーンで見たいやつだったのも事実….でも嬉しい。行けたらいいな。最近予定が読めんのよ。

デヴ・パテルは(残念ながら今の映画界ではまだ決して多くない)ルーツにかかわりなく古典から現代劇まで主演級の役をできるポジションにある俳優さんだと思うんだけど(これくらいトークンにされない、特に「意味」を問われない人って英国組ではベネディクト・ウォン以来?と思う。ウォンさんは脇が多いけど昔から良いポジションなんだよね)同居人氏にその話をしたら「普通さ」があるからなのでは、と言っていた。たぶんこの「普通さ」って落ち込んだり怒ったりもするし時に何考えてるかわかんないけど「やさしい」が根底にある雰囲気からくるのかなーと思う(モンキーマンはそういうレベルでもなさそうだが)

もちろんハンサムでお芝居上手な人だからというのもあると思うけど、得難い個性だよね。エブリマン性。

野外バーベキュー感覚で参加したキッズの一人だった子も、親にちょっと嘘をついてイケてるイベントに参加したかったティーンも、どれほどかけがえのない「視界」を得られたことか。それはステージに立った人としても同様に観客に同胞が圧倒的多数という新たな視界に「うおおお」となってる、その相互作用みたいなのが見えるのいいなーと思った。

ちなみに私は1969年舞台の映画だとアポロ10号1/2が同じくバランス感覚に優れていて好きです。ワンハリよりホテル・エルロワイヤルのほうが好き。フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンは見逃しちゃったな…

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昨日見た『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』、音楽史的に貴重な資料であることはもちろんなのだけど、社会的な背景にもステージにもインタビューにも偏りすぎない編集のバランス感覚のよさがいいなーと思った。結果「みんなでこの美しい時間をつくった」ことの喜びと誇りとレガシー大事にしようぜー!いうのが伝わってくるのね。米国のこういうとこの「みんな」でやってこそ自由になれるんよマインドの強さやっぱりすごいよなーと思う。

「青い目のソウルブラザー」として共和党だけどリベラルな市長を招き入れて一緒に行動する政治的なタフさ、プエルトリカンにとっても重要なレプリゼンテーションの場であったこと(ニューヨークにおいてプエルトリカンコミュニティが「最下層」認識されている感覚は有吉佐和子先生の『非色』や『ぷえるとりこ日記』にも出てきた)。あとごくわずかなんだけど「白人」っぽい風貌(アイデンティティの断定はできないから注意したい)の参加者がいること。

フィフス・ディメンションのアクエリアスとスライ&ザ・ファミリー・ストーンのエブリデイピープルにやたら胸を打たれてしまったのって結局そこなんだよな。どうやったって世界は変わる 愛し合えなくてもみんなで一緒に生きていく それがアメリカってこと みたいな

キッズ接待ミッションコンプリート。ちっちゃい子どもさんのいるおうちの方で本や映画や音楽も日常的に楽しんでる方は本当にすごいわね…と改めて思うます…

海水浴にいってきたのですが(すんごい疲れた)今どんな音楽がキッズも知ってるレベルで流行ってるのか本当に知らない私は「おお流行ってるのだねえ」感を大人目線でやっと把握する感じ、いやこういうとこでも行かないと聞かないもんだよな…こっちにきて観光地行くこと多いけど古い曲流してるとこのほうが多いからね

今年の夏休みはひたすらキッズ接待に明け暮れるわよー

ちょっとずつ映画のカンを戻せてる感じがしてて、やはり「よき…」となるものに出会えるとスイッチ切り替わりますね。先週のコットから何見ても楽しめるモード

昨日は『いつかの君にもわかること』(すごい良いです)を見てしんみりし、今日は『ファイアー・アイランド』でハッピーでかわいいロマコメバイブスを浴びまくって、やはり評判の良いものはそれだけのことがあるな…という気持ちになっています。

見終えてすぐバーって書くとすぐミスる、規模って2回書いてる…進路とかいうべきだったな

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ツイスターズ楽しかったよー。大雑把には大雑把の美学があるのを足腰がしっかりしたやたら(インディ的に)豪華なキャストとスタッフがちゃんとやってるのがわかる感じ。ストーリーにかなりの比重でロマコメ(未満だが)の要素入ってるし。なんせアンソニー・ラモスとグレン・パウエルだからね、嬉しい。あと音楽でも明確に示したけど、これもカントリー・リバイバルと同じ流れにあるのよね。だからいろんな人種のいろんな世代のチームになる。

とても楽しかったー!の前提で。ディザスターの見せ場と見せ場の繋ぎにはロマコメ(未満だが)パートほど丁寧さがないのはやや残念。「今年の竜巻の規模と出没エリアと規模が例年より全然読めない」とかで軽い台詞でも触れておけば唐突感減った気がするんだがなー 竜巻さんが話に都合よく追ってきてくれちゃう感が

あとデイジー・エドガー=ジョーンズの無色透明美少女性はやたら濃い面子のなかでちょっと損してる気がしたかな。侮られる若い娘としてのキャスティングはわからんでもないが、もう少し強めでチャキチャキ感あるほうが過去と現在のギャップが出せたような…とはいえ1人ぐらい濃くない人をメインに置かないと胃もたれするか。なんせアンソニー・ラモスとグレン・パウエルがいてブランドン・ペレアやサッシャ・レインまでいる画面、強すぎ

『このろくでもない世界で』はみゃーさんが絶賛してたので見に行ったんだけど、本当に懐かしかった。1996-2000年くらいの繊細で暴力的な犯罪映画(近い印象なのは日本黒社会 LEY LINESかなー、というところでやるせなさの感じがわかると思う)と比較してみれば性暴力や児童虐待は露骨じゃないし、世紀末の邦画はもっと厭世的だったと思うんだが、それでもヤクザ者が「近い」場所で育ったハグレ少年の逃れられなさとか飛び級的に気に入られる弟分に対して明確に嫉妬する先輩とかもだけど、センチメントの形や切実さの捉え方が似ているのだ。

捌かれるまな板の上の魚。そのアラ煮(おいしそうなんだあれ)を手づかみで食べる。魚の食べ方で目をつけられる。やがて釣人と釣り針のエピソードへ。と魚の使い方がよかったな。裁かれるではなく捌かれる日がくるまでまだ死んでないだけ。

ソン・ジュンギがこの役をやるにはやや整った風貌すぎる(&幼く見える瞬間があるけど実年齢は30代後半)なのも「劇映画」にする上では効果的だったのではないだろうか。と思ったら18歳設定のヨンギュ役だったホン・サビンも今27歳なのか。義妹のキム・ヒョンソ(生身の人間として描かれた妹像、とてもよかった。「行け」の言い方素晴らしい)も、そのひとつ下くらい!へー!皆さん若々しい

『コット、はじまりの夏』は原題どおりに本当に静かな女の子の話なんだけど、普通ならわかってくれる人に胸の中にあるものについて吐き出せてよかったね、となるところを最初から最後までずーっと「受け止めている」静かな子のままなのがすごくよいと思った。声どころか表情でも心の動きが伝わりづらいぶん、ほどけていくすべてが生活のアクションの中で示されていく。嘘のない身体の映画だ。

じっとしているようでこどもさんなので、自分だけを撫でてくれる手や役に立ってる実感が嬉しいし、走り出したら楽しい、のは伝わってくるんだよね。でもこどもさんなので(意外なほどよくわかっている一方で)誰もが気づきそうなことはわからない。通夜のあくび。ひとりでできるもん。

井戸から掬う水で木漏れ日を掬うようなショットだとか100回のブラッシングの窓辺とか、海の向こうの明かりとか、生活の風景の中の光がただただ美しい。

彼女は常に見ているし、聞いている、「本当のこと」を語ろうとしている。「本当のこと」をちゃんと受け止めるまでは言葉にしない。だからありがとうとかごめんなさいとかもそんなに言わない。「秘密」についてもしっかり距離を考えている。最後だって彼女は「本当のこと」しか言葉にしていない。でもそれが奇跡の瞬間になる。新鮮で、とても美しい作品だった。

『コット、はじまりの夏』見てこられました。夏休みの話なのに感覚が涼しい映画でとてもよかったのですが、映画館までの日差しがすごすぎて倒れそうに…

『13回の新月のある年に』見たよ。異様!鬼のようなフレーム内フレーム内フレーム!解体!2時間ひたすら投げつけられ続ける果てしなさを感じる長さの個別人物のモノローグ!突如始まるミュージカル!ワンショットでいけるとこまで!暗闇!語られることの歪さに対してすべてが真実でしかないという説得力!全部がとんでもない映画だということはわかる。好きかどうかと言われると、特に好きではない。けどこれだけ凄いとクラクラはする。

本当の惨めさを見せてあげる、みたいな映画なんだけど、絶望感以上にとんでもなさのほうに目がいくの仕方なくないか。いやそれでいて普遍的な生きるのがつらい話なんですけど。演出も台詞も構造もどこまでも精緻に目的を達成していて、冷静に全部異様なんですけど。怖いんですけど。みんながものすごい喋ってるんだけどほぼ「対話」が存在しなくて音声を聞き続けるだけになってることにあのフレーム地獄で息が詰まる…

噛み合わなかったら噛み合わない人としてしか生きられません、あなたは無です無、を体感させるような。熱心に好きな人がいるのもわかるが、しかし私は好きではない、かな…TVで流れるチリクーデターとか時代性も多分に影響してそうな。あとで調べてみよ

『銀座の猛者』も見たのだが、こんな姿三四郎が医者だったら×酔いどれ天使の真田先生がその先輩だったらの二次創作みたいなやつだったんかい(としか言いようがない)(どういう顔して見るのがいいんだか)。話はつまらないやつなのでどうということもないですが、1949年の映画として興味深くはあります。25の「オールドメス」ヒロインの扱いー!なんだけど親が「とはいえ好きな人と添わせてやりたい」の一心だったりするのは戦後の風もあるのであろうか。あろうな。

しかし市川崑の市川崑モードを感じられるのはやっぱ和田夏十ありきなんだよなーと(いや脚本入っててもつまんないときはつまんないけど)。形の人なので粋でタフな人がついてないと野暮な話も無理くり野暮じゃなくしようとする演出が入るからウーン?それ意味ある?むしろ野暮を丁寧にするほうが傷浅くない?となっちゃうんだ私は) ドイツ表現主義風の精神病院(でやるのはやっぱ柔道なんだけど…)のとことか浮きまくりで笑う。大真面目なんだけどね…暁の追跡とかもフィルムノワールごっこしてるだけではもってなかったもんな…

60分そこらの縮尺版でも、一生懸命軽やかに現代的にしようとした痕跡はあっても、なー。

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『盗まれた恋』を見てました。お金がなさすぎてお腹空いたあまりに結婚大作戦に打って出る踊り子が貧乏絵描きを巻き込んだら予想よりおおごとになってさあ大変!なお話。コメディ路線にも好きなほうの市川崑とピンとこない市川崑があるんだけど、これは前者で、すっとんきょうになりすぎてなくて割とよかった。演者が観客にアイラブユーを語りかけるオープニングからチャーミング。音声と画質は良くないが(特に音質はかなり聞き取りにくい)まあ雰囲気でわかるのでOKOK

前半のサッパリした豪快なスピードに比べて後半がドラマになってシリアスまではいかないけどモタモタしてしまうのがもったいない…その割に恋が生まれる描写はいまいち。これハリウッドロマコメでもときどき起きる現象なんだよなー。そこ飛ばさないでー!

私はこの種の話はおかしいだろというスピードで最後まで突き進んでナンボだと思っているので『穴』とか『足にさわった女』とかが好きなんですよね。ロマンティックにいくなら『恋人』くらいせつないのが好きだし。久慈あさみのチャキチャキしてるようで全然割り切れてなくてあっさり翻意する純情はとても似合いと思うので綺麗にまとまってはいたけど、近頃には与太者にも教養ってのが必要なんさ!カムイン!の姉御とかやたら楽しいとこをもっと見たかったわけよー。

割と好みがあってて倫理的にも言語感覚にも近しいとこは感じるアカウントなんだけど、向こうが決定的にあわないものが私は好きで、私が興味ないとこが向こうの呟きのいちばんのボリュームゾーンだから…みたいに思ってて、たぶん相互認識はしていて、お互いフォローしあわない関係性を保ってはや10年くらいは経ってる…みたいなのが割と嫌いじゃない

盛り上がってたの去年だっけかと検索したらさらに1年前のことで、時間の流れが年々早くなってるのを実感する中年

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フジロックの配信見てロックバンドっていいもんだなあとしみじみしたのち、なぜかBloodywoodを聴いて元気になっていたyoutube.com/watch?v=a65A626Ed2
これめちゃくちゃ好きなんよ

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