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オゾンの「ホームドラマ」見た感想。結末に触れます。 

うまくいえないのだが「悪趣味」が露悪というより「悪趣味のパロディ」として機能しているように感じたのよね。

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オゾンの「ホームドラマ」見た感想。結末に触れます。 

何度か書いてるとおりオゾンは結構好きな監督。『スイミング・プール』で「わかったモーメント」がきてからも相変わらず「素晴らしいオゾン」と「どうでもいいオゾン」があるのだが、仕事量が多くて説明が上手でなんとなくソダーバーグみたいだと思っている。面白くなくたってやることやりゃ映画になる、みたいな。

でも初期は短編『サマードレス』を数年前に見て最高では?と思ったもののどうせわかんないほうだろうと思ってた『ホームドラマ』、キャンピーなんだけど端々が手堅くて面白かったですね。同性愛が重要な要素、という意味だけではなく「慣れろ、おちょくれ、踏み外せ」なクィアなんですよ。同性愛、階級、人種、障害、近親相姦というのは60年代くらいからの「謎の来訪者(無)による上流階級破壊劇」においてもお約束なわけだけど、そこに過剰さの笑いを取り込みあのオチを加えることでさらに捻った「クィアが勝つ」に書き換えているのね。

ケージの内側からの視線で立場を逆転させるカメラワーク。本当の欲望を実現すれば首に枷が加わる。あのネズミは何なのか。ファーストシーンからの予想を覆す終盤(大笑い)で「やっと殺せた」のは何か。最後に墓石の前にどういうカップルが並ぶのか。

今見てよかったと思う。

旧作見る見る勢として音声データがある程度の過去を舞台にしてるものの話し方、というか発声はすごく気になる(母語が日本語なので特に日本語だけど英語でも多少ある)謎のこだわりがあるので、現朝ドラはあまり旧作邦画に寄せない方向にしてるの良いと思う。やりすぎるとダメだけど時代劇って「その時代のトーン」にしちゃったほうが窮屈にならないのを感じる。

今月はみたいものが結構多いのでどうやってやりくりすっかなー

すごく期待して『12日の殺人』、やや期待しすぎて肩透かしくらった感はあったが、良い作品なのは間違いないので、気になる人は見ておくと良いと思います。

フェミサイドに対して男性側からの理解のしにくさ、理解があっても「体感として掴めない」ことに向き合っていて、とても良心的な映画だった。若い女性が残酷に殺されることを創作がどう扱ってきたかについての散文にも思える。ゾディアックや殺人の追憶と重なる部分も当然あるが(実話ベースの未解決事件)印象としてはかなり異なる、男性の作り手が男性としてフェミニズムに向き合っている感じが私にはとても好ましく映った。

オッペンハイマーすごく良かった。これだけエモエモのエモにしていいのか?ということを思いながら「おもしれー」に引き裂かれるとこまで含めて私は面白かった。

ノーラン映画の嫌われ方と好かれ方の変遷をインターネットの人として四半世紀見てきて、人間ってやつはよー!という気持ちでいるのだが、なんとなくその感覚と共鳴しそうな話になってそつなので、結構期待して今夜見てきますよ。

旧作邦画見て面白いの、価値観こそむちゃくちゃだな?と思うことが頻繁にありながらも非道なことは非道なこととして言い訳しない非道やってる認識の潔さがある部分もそうかもしれないなー、と「あなた買います」を見ながら思いました。

試写で見たことを「試写した」っていうの一般的なんかな?劇場側のひと以外が「試写した」という言葉を使うのってなんとなく私は引っかかるんだけど、気になって検索したら使う人がそこそこ結構多いように見受けられるので(好きなライターさんも使ってた)私が知らないだけで昔から結構使われてるのかもしれぬ…この種の「自分はそう感じる」ということを一般化しないよう注意しておきたい…

みんなもっとこっちで長い文章書いてくれたらいいのにな

とかこういうのはTwitterでしか拾えないのが問題なんよねー。どうやってもインフラはとったもんがち

この本よさそうだなと思いました。他の人がこのタイトルの本を出したらあやうさを感じる気がするが、そこは津田先生だからね hanmoto.com/bd/isbn/9784480684

じゃあ(じゃあ?)Twitterで教えてもらったとても良かった文章をこちらにも貼っておく。というかめちゃくちゃ文章うまい人だな?shinchosha.co.jp/nami/tachiyom

まあまあ良いスクリーンでかかってたからという理由でサイレント映画とすら知らず『あるじ』で初ドライヤー。さすがに家父長制度批判とまではいかないけど、酷い家庭内暴君の夫を無敵のばあちゃん(元乳母)が性根を入れ替えるまで家のことをやらせ続ける…ってなど直球の男性教育映画でこれがなかなかに面白い。「そうそう、そうなんだよ!よく見てるなー!」な家事描写(バターをこそげるとこ、実に素晴らしい)も見えない労働(報酬の発生しないところに敬意が払われない)への目線もしっかりしてて、ニコニコになった。スクリーンでかかるときの古い映画はやっぱ見ようと思った。サイレントは絶対劇場で見るほうが面白いんだよな

『ショーイング・アップ』はケリー・ライカートこんな軽やかなのも撮るのかー(まだ3本しか見てないが)と思った。いや、全体としては薄曇りの明るさレベルなんだけど、寂しさとかやるせなさの気配も確かにあるんだけど音楽の使い方といいアート界の描き方といい、なんか抜けのいい感じがある。よく出てくるイメージのある横の動線もアートがある場所の活力として感じられる、あたたかいムードがあった。

これはホン・チャウ演じるジョーの自然体(をパフォーマンスとしてもやれる、自分を中心に据えられる)胆力の存在感によるところも大きく、彼女が作っているものが作ってる段階ではそんなに魅力的に見えないのに展示されるとおおっとなる雰囲気を持ってるのも、ちまちま作業する間の方が作品が魅力的に見えたリジーのスタイルと対称になってて(このミシェル・ウィリアムズはとかく真面目で他のことに気を取られがちな人でアーティストファミリーにおける異分子なのとても似合っている。服の普通さと皺加減がとてもよく、シャワー入れず髪がペタッとしてくるのもいい)すごくそれらしく感じた。

「ごめんね、外で死んでね」とか静かに笑わせてくるのも新鮮で、その後の展開も含めて楽しいのだが、なんともいえないペーソスもあり。芸術は生活で、鳩はいつでもそこにいる。ぽっぽー。

映画館で映画をみる理由は音と暗闇なんだが、それさえ可能なら🏠鑑賞の方がよかったりはするんだよな。私は何かしながら鑑賞とか途中で止めるのとかは基本家でもやってない。というか私の場合、それは見たとカウントできない…ドラマはなんかしてて見られるように作ってあるのでそれでいいんですが。逆にいうと映画で暗闇でそれだけに集中する前提を無視してやられるのはあんまり…と思いがちです。でも多分もうこれは消えゆく文化圏の人です…

ひと昔まえの、普通の…でも今あんまり普通さ求められてない時代よね、というのもまあ、わかる

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普通の映画評が読みたいんだ私は…私は…

私は「いいかんじのひと(かんじのいい、ではない)」と思われたさが強すぎていい歳して本当めんどくせーな、と自分でも思ってるんだが、しかしこればかりは性格の中心なので…

カード・カウンター、ザ・キラーと対をなす映画だと思うんですが、むしろ古い話であるところのカード・カウンターのほうに「現代」を感じたんですよ。これすごく言語化しにくいものなので、あとでゆっくり考えてみたい

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