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最近の私、「ここからここまで」を断片にしてスキップする巧妙さが好きで、時間が引き伸ばされるときには引き伸ばしの意図を「孤独」や「退屈」じゃないところに感じたい、という傾向がある気がする。おはなしおはなしはいおしまい、で切り上げるタイミングをわかってるなあ!と思えるの大事なんよね。『イヌとイタリア人、お断り!』が良かったのも家族史であれば普通なら相当語りたくなるところでもバッサバッサ切ってあるぶん無常観が強まってとこなんだよな。そしてそのスキップに実写とストップモーションアニメの組み合わせがものすごい効果をあげてるの。技術~

myFFFの『北極星』は仏とグリーンランドの合作なのね。私はネイチャードキュメンタリー的な要素はそんなにピンとこないのでそっちに結構時間が割かれている点ではドンピシャ好みなわけではない…んだけど何あの流氷?氷塊?メビウスの画集とかルネ・ラルーの世界じゃない?宇宙を行くみたいな船のショットはちょっと狙いすぎだけど美しくて悪くなかった。

母親から愛されなかったという苦しみを抱え、まだ珍しい女性船長として日常的にイヤな思いをさせられ…な35歳のアヤットさんの妹にこどもが生まれてからの2年の断片的を連鎖させずにすくい上げ、淡々と語って、フツリと終わる。「うちの家の呪いを断ち切りたい」も含め、インタビューではない形でときに乱れる音声(外での通話の声なんだと思う)が多用されていて、その声によそゆきじゃなく本当に撮影クルーと一緒に過ごした時間が長かったんだなと伺われ、撮影者と被写体の間で相互にしっかりした結びつきがあるのがわかる(「撮って」を手招きする、姉ほど深刻にならないタイプの妹)のがよかったな。

やっぱ今年のmyFFF、良さげだなと思ったの見れば大外しはなさそうな気配を感じる。

90年代の陰気なところが前面に出た映画をみてみると、やはり平成初期ってどこの国も暗かったよなあと実感するね…これは内容もなんだけど、物理的に暗いという意味でもあり(都市でも今ほど夜が明るくない)。いつからここまで夜の暗さの色が変わったんだろ。

『戦いとは終わりである』本当によかったんよ。これと『イヌとイタリア人、お断り!』を早々に見てしまった結果、今年のmyFFFの他見てもここまではいかんよな…的にハードルがあがりまくってしまったので90’s MOVIE TIME MACHINE案件落穂拾い?的な感じで『ネイキッド』と『愛情萬歳』をみていたのだった。

vertigo さんがブースト

今年のmyFFF1本目、『戦いとは終わりである』観たぞ。ダンスでも演劇でもいいけど、でもボクシングでなきゃ。喧嘩の仕方を教わり、相手を見て、パンチが言葉を与え、ファイターはいざ社会というリングに立つ。やったれ!
27分の中に必要で大事なことしか出てこない。バシバシビシビシ刻む小気味好い音。壁のポスターとグラフィティのフォントが同調して、外へと繋がるショットが最高だった。
(ちょっと掴みにくい不思議な邦題訳だけど、英題The Struggle Is the Endだとしっくりくる)

最初のキネッタだけ見られる機会なかった気がするのでどっかで配信やってくれないかなー。アルプスも面白かったんだよ。いつもと同じ話だけど。note.com/knightofodessa/n/n966

ランティモスは籠の中の乙女でやってたことをずっとやってるので、シグニチャの謎ダンスさえあればいいくらいの気持ちで哀れなるものたちにのぞみたいきもちー

『ネイキッド』をやっと見たのですが、これがなんかリアクションに困るというか、リアリティ皆無の禅問答は悪い方の90年代の頭でっかちさが前に来てて厳しいものがあった。こいつはやく死なねーかな、な男は本当は…みたいなのがなくてずーっとそのままです!というとこはむしろホッとしたんだけど、なんか世紀末の若者の刹那性とか逃避性とかをやるのにこういう賢しらなとこがあると割とイラっとくる。しかも見た目のいいデヴィッド・シューリスなのでそこもまたイライラする。もうひとりの金持ち男のほうらわかりやすくクズなんだが、シューリス演じるジョニーには何かしら非倫理的な行動に背景あるんじゃないかと思わせるような単なるしょうもなさに見せてない含みが不快なんだよな。なんだかよくわからない魅力にまでは突き抜けないし。モゾモゾする。

しかしソフィとルイーズのキャラクターには謎なまでにリアリティがある気がした。依存的な関係しか結べない、誰かと結ばれることを望む女がせっせと世話を焼くことの甘美。に唯一気づき一気に叩き出したカフェの娘さんはひかりのまちのジーナ・マッキーで、ここでも「なにやってんだ私」の涙を見せていた。

『戦いとは終わりである』(短編ドキュメンタリー、27分)と『イヌとイタリア人、お断り!』(長編アニメーション、長編とはいえ70分)どちらも「ありがとう」という気持ちになる映画だった。myFFFは毎年当たり外れかなりあるんだけど、今年はこの2本で既に充分以上だと思ったな。経験則からして実写長編は好みドンピシャとはまた違ってきそうだけど。

『哀れなるものたち』は多分だいぶ口当たり良くなってるんだろうけど、でもやっぱり同じ話をしていてほしい気持ちがある。

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わたしはランティモスは聖なる鹿殺し以外は全部好き(全部見てるわけじゃないけど)。同じ話しかしない監督が好きなのですが、よりによって同じ話がなんでそれなんだよって思う。好き。

誰にも見られてないと思って伸びそうなことを言ってしまうと伸びるし、届いてほしいものは届かない。ままならぬ

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今年は見たらすぐにTwitterに書いてしまうようにしてるんですが、やはり書き方変えると思考の流れ変わりますね

今週はずーっとせっせと資料の文章を考えてたので疲れた

@spnminaco 完走お疲れ様でしたっ!なんかしみじみしちゃう話でしたよね…人事の人のカラオケの選曲にまんまと泣かされちゃいました…

昔の映画見てると男の子たちがしょっちゅう「ちぇっ」ていう。あんまり聞かなくなった気がする。え、がはっきり発音されるちぇっ。

今でも面白い90年代映画のタグ見たら「今でも」はあんまり関係なさそうだった、意外と「今」らしさを気にする勢は少ないのかもしれない。

おじさんの鰹節とたくあんのつまみ食いとか、義太夫うなり始めてヒロインが笑いをこらえてるとこにつがいのことりのカットが挟まれるのとか、文化的おかあさん(最近でもなかなか描かれにくいタイプの良いキャラだと思う、彼女はまったく悪妻ではないが平凡な男からすると実に困る女なのだ、まったくおとうさんときたらしょうもない…)の大真面目な「今インスピレーションが!」とか、劇伴の調子が変わってギターの音色が…が下宿の2階からだったとわかるとことか、「紅茶もあるよ」の反復とか、てくてくてくてく歩いていくリズムとか、なんかこう全部があるべきところにあるゆるっとしたとこがない気持ちよさ。

東京のお嬢さんに丁寧に丁寧にふるまう田舎の方の妻の忍ぶ女としての理想化された立派さなんぞ普通の映画ならドン引きレベルなんだけど、あの人も自己の幸福を貫いてるだけでそのためなら何だってやったるでな人なだけよな(娘さんたまったもんじゃねーだろとも思うが、まあそれしか知らなければそれも幸せなんかもねえ)と思わせてくれるのが成瀬の映画の好きな感じ。

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なんかもう成瀬だけ見てれば概ね満足な映画ライフができるんではないかという気がしてきました。『妻よ薔薇のやうに』はちゃっかりしっかりな娘さんも文化的おかあさんも「情つえええ」の女の前には何もできんな…という話なんだけど、しょうもないことこのうえない父ちゃんよりだいぶ良いものを手にしてると思うので、まあ痛み分けっすな(父ちゃんは無傷)。という話なのであった。金と情の一貫性ー!ということもないんだろうけど。筋からすればもっと湿気が強くなりそうなんだけど、モダンなユーモアのほうが前に来ていてしれっとおかしい。ヒロインと恋人との関係もかわいい。

しかしこのときからこれしかないショットにこれしかない音の感覚の完璧さにびっくりする。PCL時代の成瀬もっと見たいー。

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