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鋭いとことゆるゆるなとこのバランスが変なんだよな…最初の川で流れてくる死体が矢の刺さってるほうに傾くじゃないですか、ああいうのに鋭さ感じるんだよなあ 

秀吉としては侍の惚れた腫れたはよくわからん、といってはいるものの、私は登場人物全部俺、みたいな監督の心象風景の映画にも見えた。サディスティックに支配したいしマゾヒスティックに支配されたい、平気で騙すししょっちゅう騙されもする、侍も百姓も芸人も女郎たちもみんな俺。でみんな死ぬ、というか死ぬまで別の自分を殺して回らないといけない、みたいな。

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欲望はそれに何と名前をつけたとこで欲望以上でも以下でもない、人間みーんな無!みたいなの、以前は欲望を存在させない形で描いてたのが今回は直接欲望として語られるのね、でも基本は変わってないんだなと思う。無。

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「首」見てきたわよー。どうせリアルなんて存在しないんだよと開き直った時代劇コントにも結構真面目に黒澤に取り組んでるようにも見えて、一貫性があるようなないような。どんな顔して見るのが正解なのか謎ではあるが、楽しく見た。演技トーンも演出トーンも統一されてないんだが、バラバラっとした見え方もこれについては正解に思うな、あらゆることが「まあ死にますけど」の虚無の笑いに接続されてるのでそのあたりなかなか面白いと思う。あとなんか特定ゾーンのオールスターズ!が過ぎてそのあたりも謎の面白さだった。

クィア映画だとは感じなかったんだけどクィアな映画にはなってると思う(わたしのクィア概念が合ってれば…違ったらごめんなさいです)トゥーマッチにパフォーマティブな身体が静にも動にも表現されるあたりはさすがの鋭さ。能舞台のとことかは一切笑わせてこないもんね。

わたしは武映画の「足して引いてゼロになります」みたいなとこが好きなんですが、そういう数学的感性はやや後退気味に思えたかな

適切なパフォーマンスが全方位で求められている感じがしんどいんだよなー、私は正しく怒れないことをジャッジされている気分になる。しかし別に誰もジャッジなどしてないのだ。「そんな気がする」空気を勝手に受け止めてしまう。うっすら罪悪感があるから。そうしてあまりSNSで口を開かない人になったり、逆方向に爆走していく「ふつうのひと」をみると、あーとなる。空気ダメージ目に見えなくてもジワジワ蓄積されるからね…

いや別に感想以外のぼやきとかで良いんですけどね

何も見てなくて何も読んでないとここに書くことがない…

やっぱ一定のとこまで広がると「いやそういうことではない」を言いたがる人たちが出てくる

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最近面白い映画や良い映画を続けて見ているので「まあまあ」くらいの好みの映画だと薄く感じてすぐ忘れてしまいそう。そういう意味での出会うタイミングってのもあるやねー

広がってはいるけどそんなおかしい絡まれ方とかはしてないのでまあいいか

ちょっと広がるかもなと思って書いたことはやっぱり広がるなー

みんなもっと感想文書いてほしいなー

マイフレンチフィルムフェスティバルでみた「そんなの気にしない」でアデル・エグザルホプロスがLCCの添乗員で「このままやっていきたいんすけど」「いやダメ、一定期間やったらチームマネージメントとかやらなきゃ契約切る」「うー、仕方ないやります」な女子をやってて、色々面倒だなーうーん、ってなる話なんですけど、ああいう「個人の売り上げ成績」の世界ですごいちまちましたコストカットでなんとかしてる世界なんだよなーLCC。あれ、彼女の日常パートも悪くないけどお仕事パートもっとみたいなと思った映画だったんよね、あと「英語と仏語の2ヶ国語しかできんとLCCが限界だからなー」という話が出てくるのをロストフライト見ながらもなんとなく思い出してた。どこもかしこも労働者に求められるスキルが増え続ける、しんどー

ロスト・フライト、原題がplaneなんですけど、本当にplaneって映画だったので感心しちゃった。思いのほか真面目に、そっけない映画。あの娘パートがなければジャンル映画に分類しづらくなるくらい「仕事です仕事」って感じの飛行機映画。LCCの現実ー、というとこから始まってるのが妙に生々しいんだよなー。クルーや乗客の出身のバラける理由もそこと繋がってたりしてね。ひたすらに無駄を削ぎながら決して「仕事の流れ」に時間を割くことを厭わない、話運びに魅力のある映画だった。

アジア系の俳優の使い方も雑に理想化されたアジア(そのぶんロマンティックではある)なザ・クリエイターよりもだいぶ面白い気がした。アン・ヨーソンよかったな、責任感の体現者。

武装集団のコテコテさは厳しい一方、じゃあそこにぶつけるのは何かというところ、ジェームズ・ガンがスースカ(他はあんまりだけど、あれだけは好き)でやってたことにも似ているように思う。とはいえわかりやすくジンゴイスティックではないとこがタチが悪いと言えなくもないかな…とも思う。面白かったと面白いから困るんよー、のシーソー。

しかしやはり「圧倒的暴力」で上回ったもんがちの表象のえげつなさ含め、ありえなさをありえさせるプラグマティズムー、って思ってその辺も私は好きです。

同じく「ささやかで、けれど決定的な」週末の話である『ひかりのまち』よりさらにささやかで、でも共通するとこがあるような。ままならないものはままならないまま、でもその時間がくれたものは永遠になる、あなたの/わたしの、これからの人生へのささやかな祝福。だれといても、だれといなくても、ひとはさみしい。という話は私の好きなやつです。なぜならわたしもいつでもさみしいひとだからです。

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昨夜見た『WEEKEND ウィークエンド』、相手が「特定のひとり」じゃない状態、まだ他人同士のときじゃないと言えない本当のことってあるよね、って話なのがなんかよかった。特に身体的に結びついた親密な一夜を過ごしたからの気安さで、それでも「他人」だから、近い人には言えない感情をぶつけられる。差別されればブチ切れるし堂々と自由に振る舞っている風のグレンは「友達といると窒息しそうになる」状態で本当はいっぱいいっぱいなのを明かせるし、物腰柔らかなラッセルでも「結婚だって反抗だよ!」と言い返せる。そういう「始まる前」だから(そして同時に「始まらない」のもわかっている)関係の気安さと、でも、だから…な感じで揺れるとこがすごく丁寧に映し出されているのね。週末だけでも刻々と変わっていくのよ。最初のセックスは映されてなくて、2回めの行為、3回目の行為で温度というより「湿度」が変わっていく感じの見せ方も好きだったな。

繰り返される「何かに映る」自分(たち)の姿というモチーフとか、編集の切れ味とか(90分台で収める美徳。アンドリュー・ヘイも編集自分でやる人なんだな←好きな傾向)被写体との距離の取り方とか(「風景の一部」となっているときと非常に近くからの距離を行き交うことで感情の揺れを映し出す)上手ー!って思いました。

私は彼の見た目も才能も振る舞いも全部を愛してたのだが彼は自分に対してしかそう思ってなかったわね…みたいなのがなんかおかしかった、すげーマーロン・ブランドっぽい。それでも彼女にとって立場を利用して社会を動かすために行動に出る反逆児たる彼との時間がどれほど大事で有意義でその後の人生を切り開くものだったか。と同時に中絶したときのエピソードとかヒィってなる赤裸々さで、カップルの関係ってこういうとこあるのよな…

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昨夜見た「リタ・モレノ: 私は進み続ける」はお茶目で元気いっぱいで87歳の誕生日パーティでピンヒールでガンガン踊って今もスタジオに自分で運転して行くレジェンドのエネルギッシュな人生のドキュメンタリー、なんだけど、彼女がそういう「自分」になるには70年以上がかかった、とも感じさせるものだった。

「与えられた役柄によって自分がそのように扱われても仕方ないと思ってしまう」「常に原住民(どこであろうが同じ訛!)の娘」というハリウッドにおけるラテン系の扱いの話とかに加えて業界人からの性暴力とかマーロン・ブランドの関係とか自殺未遂とかマジでキツい話題も多い。が、今の彼女が本当に輝いていることがすべてをポジティブに向けてくれるので、こうしたドキュメンタリーが作れるくらいレジェンドの皆さんお元気でいてください、そしてたくさん話してください…って気持ちがまた強まるのだった。先人に敬意を。過去があるから今があるのよ。よいこともわるいこともいつだって過去を知らないといけないのよ。人間忘れすぎるから。

マーロン・ブランドとの関係がどう考えてもtoxicなものだったのは間違いないんだけど、彼の影響を受けて政治運動や自己主張をし始めたことをポジティブに伝えてるの好きだったな。男(女)の影響で何が悪いって思ってるよ私は

何かこう「お墨付き」が出たわね…と思うことが割とある。「言っていい」モードになると同じような方向のコメントが連なってくるの、んー、ってなる。しんどい。

これはTwitterで書いても別によい内容だな。どこに何を書くかわからなくなってきた

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お互い「すき…」を認知してる気配はあるんだが、会話に至らない、そういうのもまた美しさではなかろうか…

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