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昨夜見た『WEEKEND ウィークエンド』、相手が「特定のひとり」じゃない状態、まだ他人同士のときじゃないと言えない本当のことってあるよね、って話なのがなんかよかった。特に身体的に結びついた親密な一夜を過ごしたからの気安さで、それでも「他人」だから、近い人には言えない感情をぶつけられる。差別されればブチ切れるし堂々と自由に振る舞っている風のグレンは「友達といると窒息しそうになる」状態で本当はいっぱいいっぱいなのを明かせるし、物腰柔らかなラッセルでも「結婚だって反抗だよ!」と言い返せる。そういう「始まる前」だから(そして同時に「始まらない」のもわかっている)関係の気安さと、でも、だから…な感じで揺れるとこがすごく丁寧に映し出されているのね。週末だけでも刻々と変わっていくのよ。最初のセックスは映されてなくて、2回めの行為、3回目の行為で温度というより「湿度」が変わっていく感じの見せ方も好きだったな。

繰り返される「何かに映る」自分(たち)の姿というモチーフとか、編集の切れ味とか(90分台で収める美徳。アンドリュー・ヘイも編集自分でやる人なんだな←好きな傾向)被写体との距離の取り方とか(「風景の一部」となっているときと非常に近くからの距離を行き交うことで感情の揺れを映し出す)上手ー!って思いました。

同じく「ささやかで、けれど決定的な」週末の話である『ひかりのまち』よりさらにささやかで、でも共通するとこがあるような。ままならないものはままならないまま、でもその時間がくれたものは永遠になる、あなたの/わたしの、これからの人生へのささやかな祝福。だれといても、だれといなくても、ひとはさみしい。という話は私の好きなやつです。なぜならわたしもいつでもさみしいひとだからです。

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