そういえばヤン・ヨンヒ監督の映画見たことないなと思って『ディア・ピョンヤン』を見てみたらとてもよかった。親の姿を通じて「わからなさ」の向こう側にあるものに手をのばす。しかもユーモアたっぷりに。
基本、ホームビデオである。それゆえに強烈すぎる親密さと懐っこさを感じさせ、圧倒的な輝きを放つ。編集がとてもいい。終盤のマンションの特等席、対話の合間に繰り返される写真の挿入、じっくり撮る部分とさっと切り上げる部分のバランス。
日常は単に事情の複雑さ特異さだけで構成されるわけではなく…という生活の手触りの愛おしさ、暮らしの温度みたいなものがそれゆえに「しかしなー、祖国なー、うーん」という監督のモノローグの距離感と結びつく。熱くなりすぎず、でも当然ながら冷たくなれるはずもない。
絶対に相容れないんだよな…状況考えると価値観の否定もできんが…うーむ、というもどかしい気持ちと、それはそれとして仲良しで情に厚い両親が大好きで大事に思う感覚というのは普通に共存するんだよな。こういう親子関係というのは割と身に覚えがある人多いのでは、自分も含め(なんとなくこれ、東アジアで顕著なんじゃないかと想像)。
エッセイ的だけど、この撮影者と被撮影者の相互作用感はやはり映像でしか存在しえないと思う。いいドキュメンタリーでした。
ちゃんとした猫飼いの人はちょっと違和感持つかもしれない(外飼許容するというか「飼い猫になれる資質のある子は飼い主を見つけてもらわれていくのもあり」何だけど、それを優先しているというわけではない。「なるべく手術だけはして、そのまま安全なところに群れごと移動させる」ということに重きを置いている…というのをあんまり解説しないので「そうなの?」ってなった)。のだけど、これも一つの考え方なのかなと思う。
私は多少社会(というか行政)が入っていったん地域猫として守れる仕組みを作るほうが現状を一気に変えられない以上最低限のラインは守れると思うが、地域猫の取り組みもやるもんじゃねえ外飼厳禁やぞ責任持って家見つけたれよ派もいるはずだし、でも多分この映画で撮られている団体ははそういう価値観じゃないのね。みたいなことが伺われた。そしてそのあたりで意見が割れているのもそうなんだろうなと思った。
そしてそんなことには全然関係なく、家にいようが外にいようが、猫は人間に所有できる領域にはいないのである。猫は猫なのである…何なんだホントあの生き物。ねこー
『猫たちのアパートメント』を見ていました。昔から住んでた人たちがどんどん退去していく巨大な団地群に住み着いて、なんとなく「団地猫」になっている猫たちを取り壊しの前に移住させねば…となった住民プラス住民じゃない(けど何かしら縁がある)人たちによるプロジェクトを追うドキュメンタリー。とにかく野良猫の野良猫と思えない福福しさがすごくて(みんながエサやりしてるから毛並みもよくまんまるくなっている子が多い、人にも慣れてる)そののびやかな姿態を見ているだけでほうううとため息が漏れる。猫、それはやわらかい生き物…
ところどころクスッとするような描写が微笑ましい。なんぞ?って顔の目を見開いたカットとおじさんのテントの切り返しとか。しかし微笑ましいと見守っていられない現状が…という点は猫たちの悲劇的には描かれてない(猫はいるだけなので…)
廃墟化していく少しずつの時間の流れのほうがむしろ猫パートより無常観あって好きかも(終盤の空撮の「ああ…」感もなんだが、人がいた痕跡のある場所が映るとこのほうがより哀しいの、あれなんだろうなあ)。「変わりゆく場所」ドキュメンタリーの色彩が濃いところは猫パートがほっこりに引っ張られがちなところでスパイスになってる。いや猫は最高なのだが、猫もの(?)としてはちょっと曖昧な感じかも
実は見てなかった有名な映画を見る部、久々に。『博士の異常な愛情』を見ました。かなりカリカチュアされたキャラクターも多くダークな笑いが過ぎるところを「マトモな人」が混ざることで、終盤の「あー…」「あー…」な展開でなんともいえない気持ちにさせてくるやつだった。マトモな人がいたってこれやってる以上こうなるときはこうなるんやで。
しかしなんというか、陰謀論とか現場の止まらなくなったら止められなさとか、やっとること変わらんよね?ということと、世界の命運をぜーんぶ白人の男が決めてきたんだなあということと。シニシズムの映画に見えてニヒリズム寄りな映画な気がする。無です、無。世界は無。
タイトなときのキューブリック演出はキメキメではあるんだけど、映像のこだわりとやりすぎが面白さに貢献してるので(基地のパート、あんなドキュメンタリスティックに転がる遺体とか撮る必要ある?ある!その方が面白いから!みたいな)その後の「映像はすごいが、よくわからない」がないので良いですね。
@rucochanman あー、そうだったそうだった!なんかロックスターものは特にそうなる傾向ありますやねー。
ショック〜の純粋音楽映画度が高くなったのはbiopicではないらとか、あと監督がミュージシャンというのも大きいのかなー?と思いました。とてもとてもるこさんのコメント聞きたいやつだったので(特に機材周りのこと)感想楽しみ!
BATIさんが褒めてたので『ショック・ドゥ・フューチャー』見てみた、確かによかった!前にるこさん(だったかな?)が言ってた私生活トラブルやらドラッグやらの話がなくてただひたすら音楽の話しかしてないバンド映画(だったかな?)の形にすごく近いのではないか。バンドものではなく宅録映画だからこそというのはあるかもだが、音楽の話しかしてなかった。音楽の話してないとこは音楽以外のこと話すやつ興味ねー!って話で、かつ主人公のアナさんが男女問わず「良い友達ができる」タイプなのがすごく説得力のある子に設定されていて、こういう音楽映画はいいね。名曲が瞬間的にできてるように見えるけど、そうじゃないんだよーってわかるの。
『マイキー&ニッキー』見たんですけど、恋愛関係でなくても「お前っていうやつは本当に最低だ…最低にもほどがある…頼れるの俺くらいしかいないだろ…好きだ…」になってしまう外から見たらなんでだよの心理があますとこなく描かれていて、なんか地獄みがあった。
カサヴェテスのニッキー、マジで最悪最低でtoxicな男なんだけど、離れられないのもわかってしまうような引きずり込みオーラというか色気のあることには説得力抜群なんだよな…揺れる心理というのが裏切るか裏切らないかではなく「この男から逃れられると思えない」という方向の揺らぎの話なのが意外だった。
男同士の絆がロマンティサイズされない、DVの起きがちな状況と似通ったものとして提示されてる。閉じたところに生まれる暴力構造。もちろん女性の扱いも相当酷いんだが。コトは性愛の問題ではないのだ…と見せるような映画だった。あまりにもイヤなものばかり見せられるので、そんなに好きではないけど、興味深く見た。こういう形の男の関係性のイルネスを描いたというのは、あんまり多くはないんではなかろうか。女性が男性主人公の映画を撮るアプローチにはこういうのもあるのだな。
勝手がわからない