『マイキー&ニッキー』見たんですけど、恋愛関係でなくても「お前っていうやつは本当に最低だ…最低にもほどがある…頼れるの俺くらいしかいないだろ…好きだ…」になってしまう外から見たらなんでだよの心理があますとこなく描かれていて、なんか地獄みがあった。
カサヴェテスのニッキー、マジで最悪最低でtoxicな男なんだけど、離れられないのもわかってしまうような引きずり込みオーラというか色気のあることには説得力抜群なんだよな…揺れる心理というのが裏切るか裏切らないかではなく「この男から逃れられると思えない」という方向の揺らぎの話なのが意外だった。
男同士の絆がロマンティサイズされない、DVの起きがちな状況と似通ったものとして提示されてる。閉じたところに生まれる暴力構造。もちろん女性の扱いも相当酷いんだが。コトは性愛の問題ではないのだ…と見せるような映画だった。あまりにもイヤなものばかり見せられるので、そんなに好きではないけど、興味深く見た。こういう形の男の関係性のイルネスを描いたというのは、あんまり多くはないんではなかろうか。女性が男性主人公の映画を撮るアプローチにはこういうのもあるのだな。
思い返してみると、これ序盤からほぼすべて、扉の開け閉めによって物語を進行しているのね。バスのとこや墓場のシーンもそのバリエーションだ。だからラストはあの形でなくてはならなかったのだなあ。よく考えられてるなー。