「山田太一からの手紙」見て思ったんだけど、今って山田太一ゾーンにあるのって、もしや韓国文学なのではないか(ドラマや映画ではないように思う)
悪魔と夜ふかし見てきた。ちょっと展開に触れる
きちんと撮ってるなあという印象と、楽しかったー!という印象と。みんなが見るということ/みんなに見られるということの奇妙な関係。カメラ目線という「よく考えると奇妙なもの」への眼差しが面白い。リリーちゃんの「じー」が実に良い味、ただ見てるだけなんだけど。なんかこうなるとオカルトではあってもおもしろすぎてホラーではないような気がするけど、キング先生的な意味ではホラーエンタメど真ん中ともいえそうだ。ゴースト映画ではないけど監督とはゴーストの解釈も一致してそう。
この番組はご覧のスポンサーの提供でお送りしました、みたいな最後の完勝宣言に笑った。これは「TV番組」というフォーマットの使い方としてかなりワザあり、終盤に「あれ?TV番組のマスターテープって前提を逸脱してないか?」と思ったのだが、それならまあ仕方がありませんね!みんながビジョンを共有するものとしての映像という前振りがきいている。一方でそこまではリアルタイム進行のTV番組性に強く執着しているのも面白い。大暴れパートがガサツなのも楽しい
この時代より少し後、私が育った80年代にもまだかなり残っていた「未知なるもの」へのTVの野蛮な手つきを思い出しつつ。でもまあ正直やっぱワクワク感もあるよね、よく企まれた映画だ
「ふたりの女、ひとつの宿命」が素晴らしくて(凄絶な地獄のメロドラマなので体力は使うが)メーサーロシュ・マールタこんなによいのか…(2ヶ月ぶり2回め) そして若いときから国境を超えまくって素晴らしいお仕事をしている頑なに唇を引き結んだユペール様の完璧さたるや凄いわね。声は割とはっきりみんなアフレコなんだけどユペール様はフランスだしアーコシュ役の方もポーランドのアクター、マカロニウエスタン形式だ!
青空娘、オープニングクレジット段階では青空に叫ぶノリか…これは面白くなるんかね…という感じがしてたが、めきめき面白くなっていくのがすごかったな、白坂脚本の極端な手際の良さとけたたましさが母恋娘のシンデレラストーリーを陳腐にしない、というか急がば回れも含めた最短距離で勝ちに行くあやや様最強伝説みたいな話になってて笑った 芝を払わせるのとかもう!プリンスチャーミングが1人では足りないのもあの娘さんなら当然だよ
こんな話でもとるかとられるかの気迫の「愛についての闘争劇」になるのすごいやね、あんな娘さんにちょっとしたブルジョアジーが勝てるわけがないのでラストの父ちゃんのアレに泣き伏すアレは全然和解ではなく「負けた」の号泣なのだと思われる、父ちゃんは全然わかってないまんまであろうけども
やたら豪華メンツの中高年女性のバリエーションが嬉しい ビビデバビデブーのかわりはキャバレーの豪傑ママさんの了解🙋♀️ってのがね。ああいう気持ちの良い女が出てくる映画はいいもんだよね。
ペトラ・フォン・カントの苦い涙見たんだけど、やっぱり私はファスビンダーわからん側のままかもしれん…不安は魂を食いつくすはすっごい好きだったんだが、あれはそもそも元ネタが好きだからな…もう少し見てみないことにはわからんのだが、うーん…すごいとは思うんだが…
資本主義と愛と社会圧はどういう比率でかけようとも無様で惨めな計算式になる、みたいなとこは興味深いんだけどさ。やっぱりわたしは演劇的空間が苦手なんかな、カット割っててもワンシーンワンショットに見えて狭さを強調しつつもかなり意図を持って動かしてあるカメラワークそのものは素晴らしいと思うんだが、それでもなお…
第一幕のひたすらベッドで喋ってるペトラさんでかなり疲弊してしまい、二幕の口説きでもまだしっくりこなくて、女性だけの密室ドラマとして支配と被支配の捩れがみっともない方向にグイグイいく第三幕でようやく「入れた」感があったし、あのパートのわかりやすい酷さがいちばん好きだった。とびきりかわいい赤ちゃんみたいな顔のハンナ・シグラだからよいのよね、無邪気に傷つけるんではなく相手が傷つくように傷つくように振る舞う、その意味をわかってさらに縋り付かれることまで予測してて、それでいて何も考えてないような不思議な顔をしててね
パミョ、アイデアは面白いし、俳優さんみんな素敵だし(オンニがあの方とは!)儀式とか風水とかルール全般「そ、そうなの?」みたいなのが常識!みたいな顔でポンポン出てくるのは最高だったという前提で(特に序盤から前半のそれらしさが良かった、後半でも鬼遊びとかはすごく好き)これってシネマティックゲームだよなあ(私は後ろで見てる側なので乗り切れないのかなー)という印象が強かった。キャラクターのモノローグと章立てもそんな印象で、でも同じ感じでも「映画だー!」って思うこともあるので、この差はどこなんだろうな…
どうもこのキャストにこの世界観にしてはいちいち整い過ぎているのを感じ、「考察」ありきの余白さえきっちりした線なのがあんまり。これはプリーストでも思ったが、こういう題材にはグラグラしたもの、よくわからないものがもっとほしくなる。それは多分今求められてるものではないんだろうけど。プリーストも好きじゃなかったので(脚本の「時間回廊の殺人」は好き!ベネズエラ映画のリメイクだけど絶対原典にないネタがあり、そこはパミョと直接繋がってるよ)たぶん監督と映画として何を魅力に感じるかの勘所が違うんだろなと
地形を見せる空撮は韓国映画とスペイン映画に多い気がする。ぐねぐねした山をゆく車。
『ディア・ピョンヤン』がとてもよかったヤン・ヨンヒ監督の家族ドキュメンタリー三部作(という認識でいいのかな?)の続き『愛しきソナ』(こどもたちが本当にかわいい、90年代~2000年代の映像資料としてもかなり貴重な情報が詰まっているのではないか)を見てから『スープとイデオロギー』を見たので今とても感慨深く、その奥行を噛み締めている。これは再び『ディア・ピョンヤン』から見返したくなるね…もはやよく知っている親戚とか近所の家族の話を聞いている感覚になっているので…
老いゆく親となかったことにしたいほどの記憶を記録することの困難さ、語られなかった言葉が飛び出すタイミング。
スクリーンを飛び越えて家の匂いまで伝わってくるような「実家の感じ」を自分の姿を含めて撮ってきた監督の集大成。もっとも劇映画的な撮影・演出がなされている(点滅する階段上のライトとうろうろするオモニ!スコアはチョ・ヨンウク!)。そしてそれがとてもうまくいっている。一方でダーリンの謎Tシャツセンスとかギョッとするような電話で声を荒げるシーンとかドキュメンタリーでしか撮れない感じも。
家族の記録を撮り続けることってこういうことでもあるのよね。「つらすぎたことは忘れるのもいいのかもね…悪いことしたほうは忘れちゃだめだけど」
勝手がわからない