民放でもNHKでも、お笑い芸人を進行役にして、真面目な話を「彼らの身内のノリ」で混ぜ返すのをあたかも「おもしろい」進行であるかのように演出することが横行していて気分が悪い。
例えば、一般の人へのインタビュー映像を流した際、その人の発言が真剣に語られ、問題の核心を衝くものであっても、スタジオのお笑い芸人が「あのリボンに目が釘付けになって話が入ってきませんでしたねえ」「アハハ、○○さん(芸人仲間)かと思いました」みたいな感じで発言内容とはまったく関係のないことに焦点を当てて、あの手この手で「真面目さ」を潰そうとしてくるような、あれ。
「そんな番組見るな」ではあるけれど、「そんな番組」を見ている人は大勢いる。その人々が少しも影響を受けないとはとても思えない。
真面目に考えることから目をそらし、テレビに出ている芸人がしているように「目の前の『笑いもの』にできる(と思った)対象に飛びつく」ことでその場の「受け」を狙う人、明らかに増えているのではないだろうか。
C.R.A.C.氏:
≪支持者の人に話を聞いて特徴的だったのは、「斎藤さんのどういう政策がいいんですか」と聞くとほとんどの人が口ごもること。しかし、絶対に当選させなければいけないという信念だけはものすごい。たぶん斎藤さんのことも、何らかの目的のための道具としか思ってなさそうです。≫
多分、社会の当たり前の倫理に従えない内面を抱えていて、民主主義で人権が守られる世の中になって以来、表と裏の使い分けを長らく強いられてきた人たちが一定数いて(特に男たちに)、その人たちが「本音を叫べ!」ってなってるんだと思う。
つまり、嘘をついていたのは自分たちなだけなのに、「その世界は嘘ばかりだ!」みたいな、反転した理屈をそうでない人間にまで強要しようとしている。
From: @chino_eureka
https://fedibird.com/@chino_eureka/113474223982147355 [参照]
ここのところ、露悪的であることを、リアリストであると捉えているのではないか?と思うことが続いている。
それぞれ独立概念なんだけど。
でもここを感情的に繋げて、トランプ的な「理想ばかり言ってるやつをねじ伏せる力」に与して行くことには一種の快感があるのではないか。