YMOファンもガッカリ…坂本龍一さん追悼報道に「ライディーン」を流すテレビ局のずさん|日刊ゲンダイDIGITAL

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今回、死去関連のテレビの報道は全く見ておらず、訃報のBGMについては自分の中であらかじめ予想を立てていた。

1:戦メリ
2:ラストエンペラー
3:『12』の曲
4:レヴェナントのメインテーマ
5:SAYONARA
6:クロニック・ラヴ/バレエ・メカニック

千歩譲って「戦メリ」だらけだろうと思って最初から見ないことにしたのだが、世の中は自分の想像の千歩以上先を進んでいた…。

話題になっていたので。

伊集院光と大江健三郎 その1
sawaki-book-diary.net/伊集院光と大江健

伊集院光と大江健三郎 その2
sawaki-book-diary.net/伊集院光と大江健

(続・サワキの読書日記)

筆者の記憶を通して紐解かれるラジオの中の出来事。素敵な文章。

余談だけど、大江健三郎の小説は『治療塔』というのを昔、一冊読んだことがあっただけ。SF小説だと思って。いまWikipedia見たらけっこう現代に通じる話だった。

ひとの "欠点" 的な特徴(太いとか声が変だとか)を第三者がツッコんで笑いに落とし込む文化が嫌で、リアルでもネットでもそういう場に出会った時は距離を置くことにしている。自分も以前同じことをされて嫌な思いをしたから。

上京した頃、ある集団でぼくのささいな失敗や特徴を、過度にツッコんで笑いにする人々がいた(80年代の欽ちゃん的笑いに近い)。あとから聞いた話を総合すると、それは仲間にとって異質な存在(ぼく)を集団の側にわかりやすくして迎え入れるための「翻訳」であり「注釈」だったらしい。いわば「愛情としてのツッコミ」で悪意は全くないのだと。

身体的特徴やある種の欠損・過剰を笑うことで、均質的な集団の側に馴らして取り込む。当人にその意図があろうとなかろうと、それは集団のためのノーマライズ(標準化)にほかならない。プロのお笑いの世界でも、その種の笑いや芸が無効になって随分経つというのに、今日久々にそんなしぐさを某所で見てしまい、その頃のことをふと思い出した。そんなお笑いの劣化コピー的な文化が残る限り、今日見たその世界(業界)はいつまでも古い場所であり続けるだけだと思う。

youtu.be/LYwKm8nKRwk

——内容とは無関係に今の気分が晴れる、好きな曲を選びました

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