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鈴木牛後 さんがブースト

Twitterを開くと今日もプロ野球ファンどうしによる「ファンの民度が低い」合戦がおこなわれており、SNSという暴力装置と、その根本にある貧困社会を見せつけられてしまう。

今日は一度行ってみたかった、国立歴史民俗博物館に行ってきた。あまりに展示が充実していたので、一日中いて半分くらいしか見られなかった。また行こう。

帰りは上野駅周辺ですごい雨で、電車は遅れたものの無事帰って来られた。もしかしたら帰れなくなってたのかも…。
こういうのを「帰宅難民」と呼んでいるが、たくさんの人が言っているように、安易に「難民」というのはどうなのか。少なくともメディアは使うべきではないよね。

パソコンを新しくして、とても快適になった(設定にはかなり苦労したけれど…)。windows11のロック画面に天気とか株価といっしょに、国別のメダル数が表示されるのがいやでしょうがなかったのですが、消す方法があったのでした。よかった。ナショナリズムの押しつけはいらない。

オリンピックをナショナリズムに利用する人(娯楽として消費する人を含めて)がいる限り、良いものとはとても思えない。
news.yahoo.co.jp/articles/7279

野内良三「レトリックと認識」という本をぼちぼち読んでいるのだが、イメージが文化によって違うという例として、ヨーロッパと比べて日本では《化け猫ではないがネコの陰湿なイメージに比べてネズミは愛嬌があり、好感度も高い》と書いている。

いや、これはかなり特殊な意見でしょ、と思うが、1944年生まれの著者にとっては当たり前なのだろうか?

電気が来た。結局2時間くらいの停電。それでもエアコンは使えないし、スマホの充電は心細いしで、なかなかつらい。天候が不安定になれば、こういうことも増えるのだろうな。

鈴木牛後 さんがブースト

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篠原梵(伊予市出身)の句の魅力味わって 松山の俳人・岡田さんが鑑賞本執筆
2024年7月27日(土)(愛媛新聞)
ehime-np.co.jp/article/news202

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停電でパソコンが落ちてしまった。作業中でなかったのが幸い。かなり広範囲に停電しているということで、なかなか復旧しないのかなあ? 凄まじい雷の音…

朝日新聞の劣化は確かにひどいですが、朝日や毎日がなくなったらどうなるんだろう? と思ったらそれはかなり恐ろしいので、朝日へは課金してます。

たぶんろくでもない人ばかりが出世する仕組みになっているんだろうなあ…と思うと、暗澹たる気持ちになりますが。

今日は猛暑日初体験。さすがに暑い…。駅前でティッシュ配りとかしてたけど、暑いだろうな…。

雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《満天星の花や一番星さがす 西川良子》「満天星」(どうだん)と漢字で書かれる花と「一番星さがす」という童心のような措辞との詩的交流でしょうか。どこか懐かしさも感じます。

散文置き場には、仁平勝「デルボーの人」評(五十嵐秀彦)、五十嵐秀彦「暗渠の雪」評(鈴木牛後)をアップしました。

yukihana-haiku.com/

我が家ではスマホのテザリングでPCを使っているのですが、突然それがつながらなくなって、いろいろ調べてもわからず…。でもUSBのケーブルでつないでもネットにつながることがわかって、一件落着。結局原因はわからずじまいだけど…。

私などでも「文章を書けていいですねえ」などと言われることがある。そんなときは「いや、書いてみれば誰でもある程度のものは書けますよ」と言ってみたりするのだが、「いやぜったい無理です」などと言われてしまう。人によっては、いや、謙遜しすぎでしょうと思ったりもする。謙遜は美徳かもしれないけれど、必要以上の謙遜は相手の気を悪くさせますよ、と言ってあげたい(言わないけど)。

ここまできちんと言語化できるというのは素晴らしい。さすが若い時から文学に親しんでいる人は違うなあ、などとつい言いたくなってしまうのは悪い癖。これからも私は私の書けるものをぼちぼち書いていく、と言っておきます。

weekly-haiku.blogspot.com/2024

「俳壇」の虚子特集の鼎談、「久女は嫌い」と言ってしまって、すべての話がそれを前提に進んでいるように思えて、それが気になりました。最初から虚子を礼讃する意図があって、久女はそのツマに使われているようで。虚子と久女の関係はそれが当然視されているけれど、その議論を拡大再生産するだけなら、あそこで話す必要はなかったのでは、と思いました。

岡田一実さんの「醒睡」のことを、少しだけ加筆してブログに載せました。ブログに記事をアップしたのは半年ぶり…。miyukibare.exblog.jp/242235752

真ん中の下の方 
ならではないか→なのではないか  の誤りでした。

岡田一実さんの句集「醒睡」のこと 

タイトルが示すように、「醒めている俳句」と「睡っている俳句」と、それぞれ解釈できそうな句群が交互に現れる。そう、それで「醒睡」なのね、と分かったつもりになっていると、最後のページに向けて、はてどっちなんだろう?という俳句が続く。

これはたぶん、読者をいったん「理解した」と思わせておいて、「そんなに簡単に他人のことを理解できると思うなよ」という作者からのメッセージを聞きとらせる仕掛けなのではないかと思った。理解できるところは理解し、そして理解できないところを残しつつ関係を持つのが、人間社会だということなのかもしれない。

造語と思われる言葉の多用もチャレンジングで、これはたぶん句会という共通理解を確認する場を経ていない俳句ならではないか。他人の評価にもたれかかかることもなく、まっすぐ遠い地平をまなざすような感覚が清々しく感じられる。

景としては、わかりやすい句はかなりわかりやすく、しかし言葉は一筋縄ではいかないという俳句が多いという印象。緻密な写生と言葉のフロンティアは両立するということを、改めて感じた。

「十勝」の名称が入ったのはごり押しの結果。観光と国立公園は別に考えるべきで、日高山脈という固有名詞でいいのではないか。

日高山脈は学生のときに2度、一週間くらいの縦走をしたことがある。山脈の中南部は登山道も満足になく、ひたすらハイマツの被さる稜線を歩くという過酷なものだった。そのような、人を寄せ付けない場所が日本に残っているということが貴重と思う。私の行ったのはもう40年前だが、今はどうなっているのだろうか。

あまりに奥深くて「名の無い名山」も多く、1839m峰(イッパーサンキュウと呼んでいた)などは忘れられない。

>BT

鈴木牛後 さんがブースト

<社説>日高山脈が国立公園に 原生の自然 後世に継承を:北海道新聞デジタル hokkaido-np.co.jp/article/1029

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