新しいものを表示

今日は引っ越し。長年住んだ農場を離れるにあたっての感慨は、あとから来るのかもしれない。とりあえず天気がよくて何より。

今回の最高裁決定はよかった。いろいろあるけれど、少しずついろいろなことが前に進んでいると信じたい。Xとか見ていると、後戻りしているのではないかと感じることもあるが、あれが一般的な意見ではないということだと思う。

鈴木牛後 さんがブースト

【オンライン署名にご協力ください】イスラエル・パレスチナでの「無差別攻撃の即時停止」と「医療の保護」、「人道性の回復を」 | 事務局からのお知らせ | 国境なき医師団
msf.or.jp/about/information/de

“言葉が常に人命を救えるわけではありません。しかし、沈黙は確かに人を殺しえます。

——1999年ノーベル平和賞受賞スピーチにて 国境なき医師団会長(当時)ジェイムズ・オルビンスキ

国境なき医師団は、紛争により多くの民間人が犠牲となり、患者や医療従事者、および医療施設が繰り返し攻撃を受ける状況を世界各地の活動地で目撃しています。また、全ての紛争当事者に対し、国際人道法を順守し、医療従事者や医療を必要とする人びとが攻撃の標的とならないよう強く求めてきました。

今、パレスチナ・ガザ地区における無差別攻撃の即時停止、医療の保護、人道性の回復を求めます。皆さまと一緒に声を上げるため、署名という形で力を貸してください。そして、この署名活動を、SNSなどを通じて広く拡散することにもご協力ください。” 

国境なき医師団から署名のお願いが届きました。日本政府に提出するそうです。シェアします。

引っ越しに際して、妻は実に思いきりよく物を捨てていったので2トン車で間に合いそう。それに引き換え私はそうとうな量の本を持って行くことにしたので、どうも分が悪い。

たしかにもう読まない本もあるだろうが、本が手元にある安心感というのは、どうしてもわかってはもらえなさそう。まあ、夫婦そろって本好きだったら、たいへんなことになりそうだから、ちょうどいいのかも。

今朝は初雪だった。当地としては平年並みだと思うけれど、最後だと思うとそれなりに感慨深い。

足の方はきのう病院に行ってきたが、湿布と痛み止めが出ただけだった。まあ、そんなものか。室内で履くための靴と中敷きを買ってきたので、日常生活はこれで大丈夫。

名残惜しいという感情はそれほどないのだが、自分では気付かないところに何かはありそうな気がしている。生まれてから62年、短くはないから。

歩くと右足が痛い。足の裏に瘤状の出っ張りがあって、それが地面に当たって痛むようだ。ネットで調べて見ると、足底線維腫というもので、足底の腱の使いすぎと老化によって起こるものらしい。

仕事もあと10日余りだが、これでは仕事にならないので、防寒用の中敷きにそこだけ穴を空けたら、まあまあこれでいけそう。自然に治ることはなさそうで、そのうち整形外科に行かないとダメかな?

差別的な言説を含むリンクがある 

何この人…。ひどすぎますね。

引っ越しの準備で本をダンボールに詰めているが、持って行くべきかどうか迷うものも多い。迷ったら、とりあえずダンボールに入れるが、そうするとけっこうな量になってしまう。本棚にあるときはさほどではないような気がしていたが、いざ運ぶとなると急に増えたような気がする。本のマジック?

今日、東川町図書館に行ったら、山岳雑紙「岩と雪」のバックナンバーが揃っていた。たしか学生時代の登攀のことが小さく載っていたはず、と思って探したらあった。

芦別山系の崕山(きりぎしやま)の崕大壁のフリークライミング。朝日が200メートルの岩壁を、上からだんだん赤く照らしていく光景を思い出した。

北海道も今日の月はきれい。今日は小望月か。満月は完璧すぎるので、これくらいがいい感じかも。

自室の窓は、木製の一重窓で隙間があるので、夏は網戸を貼っている。窓の開閉は網戸越しに無理矢理。そろそろ網戸を外してビニールに替えなくては。これがなかなか面倒。これも最後だけれど。

今日は地元の句会だった。地元の句会は、結社に入っている人はひとりだけで、あとの4人は無所属。それでもずいぶんとみんな上手になった。こういう句会もいいなあと毎回思う。

転居で面と向かってのリアル句会はなかなか出来なくなるが、ビデオ通話を使ってこれからも句会をする予定。5人はリアルで私ひとりだけがオンラインってどういう感じなんだろう?

PCを再起動すればいいのかな?再起動してみます。

結社誌の校正が終わった。もちろん無償の労働だけど、勉強になるからいいかと思ってやっている。最後に見出しだけもう一度見たら、書評で取り上げた(私の文章ではないが)本のタイトルが間違っていて、見直して良かった。見直しもキリがないのでこれくらいで。身内の雑紙でもこれなのだから、プロの校正者はたいへんなんだろうな。

長年の疑問が氷解した。私はずっと左胸がちくちくと痛むことを気にしていたのだが、その原因がわかったのだ。私はいつも左胸にポケットのあるTシャツを着ているのだが、そのポケットに乾草(干草)の屑が入っていて、それが胸側に突き出ていた。そんなこと、ちょっと調べればわかりそうなことなのに。リタイアまであと一ヶ月だけど、これからは快適に過ごせそう。

昨日の「黒田杏子さんを偲ぶ会」に出席して、東京より帰宅。家を出るときは背広にネクタイだったが、羽田空港に着いたらあまりに暑いので、上着とネクタイは荷物にしまった。初めから着てこなければよかった。

旅行の疲れか、暑さのせいか、たくさんの人に酔ったのか、会場ではいくらも飲んでいないのに、終了後は目の前が暗くなって、立ったらふらついて転んだりした。しばらく休んでいたら治ったので、そのままホテルへ。

それでも久しぶりの人、初めての人、ご挨拶できてよかった。偲ぶ会でのみなさんのスピーチも心に沁みた。電話魔、手紙魔、FAX魔と多くの人が言ってたけど、人づきあいにマメというのは大事だと改めて思った。せめてメールは書こう。

明日は「黒田杏子さんを偲ぶ会」のために東京へ。「藍生」に入会して12年、黒田先生を絶対的な存在とみなす大多数の会員の中で、私は不肖の弟子だった。もちろん表だって異論を唱えたことはなかったが、自分につねにブレーキをかけていたように思う。

もともと私は「絶対」ということにとても懐疑的で、そういう意味では結社には向いていなかった。藍生は会員の活動はまったく自由だったので、その点ではよかったが、絶対者の重石はやはり感じていたので。

それはともかく、黒田先生のことを尊敬していたのは確かなので、お別れを言ってこようと思う。私の最後の師ということで。

いかにも古い偉いさんが良いそうな台詞ですね。現代俳句協会の「現代」の意味を考えてほしいものです。

今日は一日こもって原稿を2つ書いた。黒田先生は、俳句や文章は手書きが一番と言っていて(パソコンは使ったことがなかったはず)、それに影響されて、試しに文章を手書きしてみたことがあるが、私にはできなかった。

私は、俳句の文章を書き始めたときからパソコンを使っているので、少し書いては表現を直し、また続きを書く、という書き方が癖になってしまっている。というより、文章力がないので、一発で思い通りの文章を書けない。

でも大事なのは出来上がりなのだから、これでいいと思っている。パソコン楽だ~。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。