句集の原稿を作った。どの句を入れて、どの句を外すか、とか考えるとまったくキリがない。一週間くらい考えたので、これでいいことにする。
去年までの5年分、北海道時代に作った句ということをまとめておくという意図は、これで達成できそう。句集はもう作らなくてもいいかも。
「痴漢のすすめ」みたいな記事が90年代によく雑誌に載っていたということは記憶にないが(雑誌を読むということがたぶんなかったらと思う)、私が大学生だったころには、「スカートの中が覗けるスポット」として、デパートのエスカレーターなどが挙げられていたことがあった。私の住んでいる街のデパートもあったら、そんなところで上を見上げるような度胸はなかった。でもそれが、成人向けでもない、若者向けの雑誌に載っていたのだから、今から思えばひどい話。正直に言えば、当時はそれほどの認識はなかったけれど。
https://president.jp/articles/-/31474
「雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《でで虫の死してそのまま殯(かりもがり) 星出航太郎》殯とは風葬のこと。古代では天皇などの貴人も風葬によって弔われていた。蝸牛の「本体」を死体に、殻を棺に喩えて、人間と動物の別や時間の差異を超えて豊かな世界を描く
散文置き場には、髙田正子『黒田杏子俳句コレクション1 螢」評(五十嵐秀彦)、岡田由季『中くらゐの町』評(鈴木牛後)をアップしました。
私は埼玉県民ということもあり、とても良いニュースと思う。これが当たり前にならなければ。
大野元裕埼玉県知事が朝鮮人虐殺を巡り追悼文を初めて送付 4日さいたま市内で開く式典に 関東大震災101年:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/351786
連句の話のつづき。
俳句の集まりだと、周囲の人たちによって高いところに据えられていくようなことがあるのですが、慣れない場所に行くと教えてもらう立場になれるので、それが良いです。
句の姿は、肩の力を抜くのも大切なのらしいですが、それがなかなか難しい…。
俳句甲子園から無事帰還。若い人たちとたくさん話したけど、昔から若い人と話すのはどうも苦手。先輩だとまあ相手に合わせておけばOKだけど、後輩だとよほど人懐こい人でなければどうしたらいいかわからない。慣れなのだろうけど。
つい「審査員の立場」で見てしまって、それも疲れた。自分にはとても、地方大会と言えども審査員を務める資格があるとは思えないが、そんなことは言えない立場でもあるということも再確認した。それはともかく大街道の審査員はほんとうに大変そうだった。お疲れさまでした。
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)。俳句のことなど。ブログ「本日も深雪晴」https://miyukibare.exblog.jp/