関連して思い出した私の好きなエピソードがありまして。
記憶が曖昧であれなんですけど。
明治か大正のころ、鎌倉かどこかの、禅宗かどこかの寺に立ち寄ったキリスト教の宣教師が「仏教とはなんぞや」と質問したと。
これこれこういうもので、と説明すると、宣教師は「いやそれは違う。それは間違っている」と批判ばかりする。
そこで住職は「とりあえずお茶にしましょう」と、お盆に急須と湯呑を持ってくる。
茶は湯呑になみなみと注がれるが、住職はそのまま注ぎ続け、ついには湯呑から溢れてしまう。
宣教師が驚いて「何をしているんですか」と問うと、「これがあなたです。私に教わりに来たのに、あなたは既に注がれたお茶で満たされている」と言うと、宣教師も理解した、というエピソード。
って書きながら思い出したんですけど、ウヨっぽい道にハマった友人にこのエピソードを話したことがあって。
そのレスポンスが「左翼のお前がまず偏見を捨てろよ」的なアレだったな、というオチ。
あれかなー、差別主義者のフリしてマイノリティに罵声を浴びせるフリをして人権教育するとか、極右がやってることの反対の事しなきゃダメなのかなー。
あーダメだ、例を考えるだけで気持ち悪くてダメだ。