子供なんて間違えるものなんだし、その先に未来があるのだから、「よくわかんないけど科学っぽいからすごそう」「若者を応援しよう」で無邪気(無思慮)に大人が賞賛・拡散するのをまずやめたらと思う。ひやっしーに学べ。
“動画の倍速視聴についての研究報道、疑問があったので高校に問い合わせたところ回答なし→研究倫理に関しての議論が” https://togetter.com/li/2471926
Happy to announce the pup with no name has found her name, Stella!
It was a long process and clearly required a nap when it was over.
一方で「自分が嫌な思いをしたから」戦争反対、というのは、身をもって辛酸をなめたからこその、戦後生まれはとても持ち得ない強力な根拠でもあったのだよな…… SNSでリアルタイムに流れてくる戦地の様子も、やはり体験に及ぶことはなく…良識を備えた人はそれでも想像力を働かせて反戦を唱え続けているけど、戦争や紛争についての話題はシャットアウトしているか、ニュース程度しか気にかけない多くの人にとっては、同じ想像でもむしろ「戦時中だけど変わらぬ日常が続いている」とか「普段見下している隣国や非西側の国が侵攻してきたのだから反撃もやむを得ない」とかのほうが容易で、それだったら…とすでに受け入れの素地が整っているんじゃないかと思うと暗澹たる気持ちになる……
職場でお年寄りが戦時中や戦後の話をしているのに耳を傾けてみると「戦争は嫌」「絶対にしたらあかん」と異口同音に言っているけど、その根っこは自分や家族が大変な/怖い/ひもじい思いをしたから二度と同じ目に遭いたくないというところにあって、国家権力に人殺しを許してはならないし、その蛮行の片棒を担がされるのも断固拒否する、といったような、加害者意識と反省に立脚したものじゃないように感じられるのが危ういなぁといつも思う 戦争を自分たちが引き起こしたものじゃなく向こうからやってきた大きな災難のように捉えているの、国民が主権者じゃなかった時代の限界とも言えるし、時代に翻弄された犠牲者という一面も確かにあるだろうけど、とはいえあまりにも自分たちを免罪しすぎでは…?大変な目に遭ったからもう嫌、という文脈でだけ厭戦を伝えていたら、じゃあ今度はもっとうまいこと戦争すりゃいいんじゃん?のほうに転ぶ可能性を摘みきれないやん…?という気持ちが拭えない
問題点の議論についてはBBCがわりと詳しい。
“Australian social media ban on under-16s approved by Senate” https://www.bbc.com/news/articles/c89vjj0lxx9o
しばらくなしで暮らしたけど、ううーん。やっぱり、ロボット掃除機、買おっかなー。手動で掃除機かけるのはやはり疲れるので、掃除機をかける回数が減る。当たり前だが、掃除の間隔があくと、家のほこりっぽさが増すし、ほこりは溜まると大掃除しないと取れにくく、結局、適当であっても頻度高くロボット掃除機を走らせるほうがいいんじゃないかと思い始めた。
【NHKニュース速報 21:57】
16歳未満の子どもSNS利用禁止法案
オーストラリア議会上院で可決
#ニュース #NHKニュース速報
「帰還兵はなぜ自殺するのか」を読んでいる。戦争がそれを引き起こすんだから、戦争をなくせばいい、と思う。現に敵がいる世界で、軍人は私みたいなものの考えを、お花畑の楽観主義、と言うのだろう。それでも、戦争をしなければいい、と思う。どうかんがえても、何もかも、見合わない。
Twitterという青い鳥で、毎晩子が「寝ません」とつぶやく限界育児垢をやっていたが、青い鳥は死に、ここ新天地で豆乳ヨーグルを「練ります」とつぶやくだけの初老になった