私はさ、知性には色々な形があると思っててさ、
語彙が豊かな者や、幅広いまたは深い知識を持つ者、計算の速い者、抽象思考が得意な者、とかが"より知性がある"とされがちだけど、実際はそうじゃなくて、
身体の操作に長けた者や、感覚が鋭い者、他者に配慮する者、分からない事を分らないまま己のうちに入れることができる者、伝える事ができる者、仲立ちになる者、とりあえず行動する者、忘れない者、繰り返しをできる者、冒険をする者とか、色々、本当に色々な形の知性があると思う。
それぞれの存在にそれぞれの知性がある。
私はそういう事を信じているからさ、「差別は知性のない者がする」っていう言説はさ、真っ向から否定したいんだ。
だってこんなにたくさんの者に知性があるのに、差別はこんなに溢れてる。
私から言わせれば、「差別は知性のある者がする」んだよね。
ま、本当のところはこの社会に差別構造が組み込まれているから、この社会に存在する限り、差別の片棒を担いでいない者なんて存在しないんだけど。
筑摩書房・李琴峰氏に対し
・無断改変/無断使用という手続き不備及び協力の前提条件が満たされないため『言霊の幸う国で』における祝詞等の使用停止を求めました。
・個人のSOGIや犯罪被害等の情報の同意を得ない共有について、改めて筑摩書房側からの説明を求めました。
下記にその要望書を掲載いたします。
なお、内容につきまして、取り扱いに注意を要すると判断した部分に関しては、この場での公開は控えさせて頂きます。
shintolgbtq.com/20240914-2/ [添付: 5 枚の画像]
令和6年度千葉県人権啓発指導者養成講座の開催について/千葉県 https://www.pref.chiba.lg.jp/kenfuku/keihatsu/youseikouza-r6.html
おいおいおいおい千葉県!!!!!
森奈津子を「人権啓発指導者養成講座」の講師に呼ぶんかい!!!!!!!
しかもド直球に「体ではなく心の性で性別を決めようとするLGBT思想、トランスジェンダリズムを法制化しようとする動きから、女子トイレ、女湯、更衣室、などの「女性のスペース」を守る活動についてお話いただきます。」って書いちゃってるんだが!?!???!?
お便りしました。
(Twitter上で、誰か何かが"宗教右派"という語句の言葉狩りをしているみたいな印象操作として機能してる投稿があるな…。と思っての投稿です。)
少なくとも私は"宗教右派"という言葉だけをとってダメだと言っているわけではなくて、文脈を考慮して、問題のある言説について指摘してる。
本当にその文脈で、"宗教右派"として宗教と関連付ける必要はあるんですか?単に"右派"とするのは不適切な文脈なんでしょうか?それじゃ説明できない何かがあるんですか?ないなら不必要な紐付けをしているんじゃないですか?って話をしてる。
大きな括りの「宗教」に安易に紐付ける前に、その紐付けが本当に必要なものなのか一考してもらえませんか?という話。
それは個別の宗教団体の問題として語る事は不可能なのか。抽象化は優れた思考法だけれど、安易な、または不適切な抽象化は、物事の解像度を下げ、物事の適切な理解を阻むので危険ではないかという話をしてる。
宗教、信仰はそれに関わる者のアイデンティティ、生活、習慣、一生に関わる事であるので、それを雑に踏み荒らす事は、人権侵害になりかねないという話。
"悪い事""都合の悪い事"をすべて、何らかの宗教または「宗教」という大きすぎる括りに結びつける言説は、日本・日本語圏においては、"日本的無宗教"ではない何らかの信仰をもつ者を、言論の空間ひいては社会から排除し、その者がその者として何かを語る事を妨げ、抑圧する効果があります。
私はそうした"主流ではない""一般的でない"者達(マイノリティ)を排除・抑圧する構造、およびその構造を維持・強化・再生産する仕組みと言動を差別であると認識しています。
宗教は現地の文化・社会と相互に影響し合いながら発展してきています。
そこにある差別や暴力について、日本の文化・社会の構造の問題に言及せずに、宗教だけに原因があるように言い切るような態度には、合理性も正当性もないでしょう。
その態度は、「自分は無宗教(または異なる宗教・信仰)だから、自分とは関係のない悪い奴らが差別や暴力をするんだ」と社会にある問題を自分と切り離し、外部化する態度です。
私にはそうした態度が、この社会にある差別や暴力をなくしたり、その害を減らしたりする事に資するとは思えません。
同時に仮に問題のある宗教団体にまつわる信仰だとしても、その信仰を持つという理由だけで、個々の者の信仰を軽視したり侮辱したりする事はひどく暴力的で咎められるべき行いです。
(Twitterに投稿した内容なんだけど、こっちでも念の為投稿しとく。まんまなので文脈的には変だと思う。)
ここのところの投稿で私を見つけた方からすると、「お前は誰なんだよ。」
というところかと思うので、ここらで明確にしておきますね。
私は神道LGBTQ+連絡会の一員ではありません。
私の信仰について触れておくと、
日本または日本語圏におけるマジョリティである"日本的無宗教"と表現するのが一番近いと思います。
初詣に行ったり、お盆で親族・先祖代々の仏式のお墓参りに行ったり、思い立った時に縁のある神社やお寺にお参りしたりします。
八百万の神々の存在をふんわり信じているし、
それぞれの存在には、それぞれ踏み入ってはいけない領域(概念的、物理的)、してはいけない振る舞いがあるという感覚や、自分のした事はいずれ自分に返ってくるという感覚等々があります。
日本で一般的な方の感覚でいうと、少々"信心深い"部類でしょう。
私がしている事はすべて、私が私の責任の範囲において、私が実行に移す事を決めてやっている事です。
ほかの誰に責任が及ぶような事ではありません。
誤解のないよう、よろしくお願いいたします。
ちなみに❝排除されがちな属性を持った者へもなるべく対等に接する様❞ってのは、今の私の反差別のスタンスとはまた少し違いがあって、
とにかく「おかしい事にはおかしいと言う」「ほかの子への対応と同じようにする」っていう程度のもので、
そうやって接する私自身の特権性への無自覚さとか、私の中にある能力主義・知性主義の無自覚な発露とか、「大人や親から褒められたい・認められたい」という願望が行動の根源にあるとか、擁護・ケアされた相手へのアフターケアの不十分さとか、内心で攻撃してくる相手への人格否定をしていた(それを隠せていない)とかの落ち度は私にももちろんあった。(今も完全にないとは言えない)
当時の私には、社会の構造、権力勾配というものへの視点はなかったし、その構造に取り込まれた者達("加害者"も"被害者"も"傍観者"も"私"も)がどういった状況におかれるのか、どういう介入・ふるまいが多角的な視点から鑑みて適切なのか、どうしたら奪われたものを回復できるのかという事にも無頓着だった。
そういう私の落ち度への批判も中にはあったし、そういう批判を受け取れた事は本当に私にとってありがたい事だった。
補足すると、今の私の行動の根源にあるのは、「私だって生きたい」「私のために」だ。
私はノンバイナリー(私の場合は基本、女性でも男性でもある)でジェンダーフルイド、パンセクシャル。法的な既婚者でパートナーはシスヘテロ男性。本来的にはポリアモリーだが、現在はモノガミーとして生活している。
反戦、反貧困、反差別、野良のフェミニスト。ベーシックインカム推し。
IT系の会社員。(福祉系大学卒、接客系・工場系勤務経験あり)
定型発達とは少しズレがあり、周期的に心身の調子を崩している(電車・人ごみ苦手)。元ひきこもりで、現在四分の一ひきこもり。
主にマンガのオタク(浅く広く)。
政治・社会・科学技術などのトピックスへの関心が高め。
祭り好き(祭祀ではなくイベントとしての)。
信じているもの・ことはたくさんあるけど、まだまとめて言語化できてない。
ヘッダーのALT、道端に咲いていた福寿草の花の写真
アイコンのALT、ハナミズキの花の写真