ふと過去の記憶が呼び起こされて、苛立っている。

なんの流れだったかは忘れてしまったんだけど、昔(小中学生くらいの頃)、私の扱い(だったか、他者の扱いだったか)に対して不当だと思って抗議していた時に、
「そんな難しい言葉や抽象的な事ばかり言われても、何に怒っているのか分からないよこっちに分かるように言ってよ。」「難しい言葉ばかり使うのはバカにしてるんでしょ?」とか言われて、
丁寧に前提や、言葉の定義から話している時に、話の腰を折られたり(言葉の定義への揶揄とか)、全くの第三者から話を中断されたり(「こっちで話してるから」で避けられるような中断とか)、
「君の話は長すぎて聞く気にもならない」とか言われて話を一方的に終了されたのを思い出す。
そうやって長くなるから、短く済むように定義済みの言葉を使ってたんだよ!と思ったのも思い出す。

「後から文字に起こしたものを渡す」とこちらが提案すると、「そんなの読んでる時間ないよ」とかね。

(これ書いてて、何人かの顔がイメージされるから、多分何度もこういう事があったんだと思う)

今思い返してて思うけど、相手には端からまともにこちらを相手にする気がなかったし、全くもって対等な相手としてのリスペクトを私に対して持ってなかったのだなと。

当時は子どもだからそういう風に扱われるんだって思ってた(もちろんそういう側面はあったと今でも思う)けど、
それだけじゃなかったんだろうなって今は思う。

私のジェンダー規範にそぐわないふるまいだったり、私の"空気の読めなさ"だったり、人物よりも本や植物への興味が強い様だったり、運動が苦手な様だったり、身体が小さかったり、同年代よりも教師や親世代との交流が多かったり、排除されがちな属性を持った者へもなるべく対等に接する様だったり、そういう"普通"ではない、いや直接的に言えばマジョリティではない私の色々が目について、抑圧したかった(するべき/してもいいと思った)んだろうと思う。

思い浮かぶのは、同級生(男子女子どちらも複数人)、上級生(男子)、兄、姉、母、教師、年上の親戚。

「頭が良いな」「かしこいな」「そういう風に真面目で、授業にも真面目で嬉しいぞ」で、話を強制終了する。
「そんな頭でっかちなことばっか言って」で、私の至らない別件のふるまいを並べ立てて非難する。
「そうやってこっちをバカにしてるんでしょ」で、「あんたのそういうところが嫌い」。
「バーカバーカ」で、少しずつ距離をとって去っていく。
「そうやっていい子ぶりっ子して、先生に取り入ってんでしょ、ヤなやつ。男にも媚びうってさ」で、私が男子のコミュニティにも少し属しているのを責める。

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ちなみに❝排除されがちな属性を持った者へもなるべく対等に接する様❞ってのは、今の私の反差別のスタンスとはまた少し違いがあって、
とにかく「おかしい事にはおかしいと言う」「ほかの子への対応と同じようにする」っていう程度のもので、
そうやって接する私自身の特権性への無自覚さとか、私の中にある能力主義・知性主義の無自覚な発露とか、「大人や親から褒められたい・認められたい」という願望が行動の根源にあるとか、擁護・ケアされた相手へのアフターケアの不十分さとか、内心で攻撃してくる相手への人格否定をしていた(それを隠せていない)とかの落ち度は私にももちろんあった。(今も完全にないとは言えない)

当時の私には、社会の構造、権力勾配というものへの視点はなかったし、その構造に取り込まれた者達("加害者"も"被害者"も"傍観者"も"私"も)がどういった状況におかれるのか、どういう介入・ふるまいが多角的な視点から鑑みて適切なのか、どうしたら奪われたものを回復できるのかという事にも無頓着だった。

そういう私の落ち度への批判も中にはあったし、そういう批判を受け取れた事は本当に私にとってありがたい事だった。

補足すると、今の私の行動の根源にあるのは、「私だって生きたい」「私のために」だ。

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