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エスカンド・ジェシは、暗にダルコ・スーヴィンあたりを経由して「いや、それでも日本社会への批判が、異世界転生ものにも見られる。ノゲノラには日本社会の規範性への懐疑が濃いし…」と注意深く読解してファンの右派言説と距離を取るので、そういう論調と比べるとはるかにまともなんだよな。

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「これは時代劇みたいなもんなんだって」は、その昔、劣等生が褒められるときに信者が使い倒したレトリックだったりする。数ヶ月前、新聞のコメントで大橋崇行が同じ論調で異世界転生ブームを語ってたので、日本文学研究者ってアホなのかなと思った。

白江幸司 さんがブースト

が、SNS見てると、この権威への弱さは日本人マジョリティに多く見られるわな、とかなり冷めた気持ちになるので、なろうがおかしいというより、エンタメ全体の病で、しょせん日本社会の秩序が反映されてるだけだよねとなる

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「権力に擦り寄るのが好きな奴の気持ちは永遠にわからない。」というトゥートを見て、ふと思ったのだが、私はなろう作品を山ほど読んで「気持ち」の推定はできるようになったなあ。

権力に近づいてる側の心理は、「地道にやってたら偉い人が自分を認めてくれた、承認してくれた、そして庇護くれた」とか
「王族からなんかめんどい仕事押し付けられたけど(辺境の領主とか荒れ果てた土地の開拓とかがよくある)、ま〜、そのかわりに、王族の権威とやらを『使ってやる』よ」とかですね。

権力に近づいたのではなく、勝手に向こうからやってきた、と調整してるのがポイント。自分の意思によらない、という操作なんだよな。

なろう作品の最大のガンは、「権威」がアイテムのごとく気軽に使われることで、作中の「権威筋によるお墨付き」で守られる展開などを含む。そして、治安の悪い世界であることがその自衛策を正当化させる。もう一つの「主従関係のフェチ」の強さと合わさって、権威と主従で保守反動化の道が敷かれやすくなる。
ポルノメディア近接性と身分制の威光がセットになってる点がなかなか解体されない。

うわー、渋沢紙幣って朝鮮でかつて発行されたやつなんかよ。実に陰湿な嫌がらせ目的だな。日本政府は執念深いハラッサーか。nikkei.com/article/DGXMZO43545

白江幸司 さんがブースト

第一銀行券、たぶん1902〜1904年くらいに朝鮮で発行されたもの。これの意図的な反復にしか見えない。

ええええ! トーマス・クロウ出るんだ。

いや、私は『The Rise of the Sixties: American and European Art in the Era of Dissent』(New York: Harry N. Abrams, Inc., 1996)『Modern Art in the Common Culture』(New Haven and London: Yale University Press, 1996)とかを読みたいんですが…。

『The Intelligence of Art』(University of North Carolina Press, 1999)の訳かあ。

(林は訳業で後世にまで残る賭けに踏み切ったか…)

x.com/y_ikeuchigate6f/status/1

そうねえ。
まあ昼の私の語り方は、なろうジャンルのイメジャリー(イメージの複合体、編制)でまとめる手口だが、この場合、今度は個々の作品が見えなくなりがちで、その代わりに泡沫作品を含む総体をザクっと論じやすくなるのはある。

なお、奴隷とかハーレム、重婚の要素は近年かなり減っていて、男女ともに「主従関係のフェティッシュ」をカジュアルに活用する作例が目立つ。執事とかメイドとかお嬢様とかね。が、アニメ化によって無職転生の殿堂入り扱いが確立して、KADOKAWAが看板扱いにし続けることで、奴隷や重婚の要素が過去にならないんだよな…。

ほとんど誰も手をつけていないモチーフは、「なろう作品は、良い面も悪い面もゲームエミュレート要素が増幅する」こと。ゲームと小説の複合性こそが重要なんだが、井上明人のなろう論連載ぐらいしか先行議論がないぐらいに進展してない。

白江幸司 さんがブースト

なろうを批判する人が、大抵、なろう小説を読まないでイメージで批判するのは本当に問題。
アニメだけ見て批判するのも大概(アニメ化する作品なんて、氷山の一角でしかない)だし、せめて小説版を三作品は完走した上で批判してほしいと常々思っている。

カルチュラルスタディーズの拠点として著名な、ロンドン大・ゴールドスミスカレッジで人文社会科学系の職員が(最大で半数を超える)大量解雇が起きているらしい。まじか…。

x.com/academicdiary/status/180

今日は33-34度あったのか…暑いわけだ。

そのワンチャン狙い政商は、中抜き狙いのパソナや都知事や自民党の近辺を蠢くコンサルや勝手連的草の根活動家、突然暇空支持を主張する企業経営者、というふうに表れているわけで、なろう作品の秩序というのは「ファンタジーとして安っぽい」とかいうわかったような評言よりも先に「日本社会のイデオロギーそのまんますぎる」を言われないといけない。

だが、そういうのを糊塗したがる右派が多い。

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「なろうとかいうくだらないジャンル」を腐すのは、その意味で片手落ちにすぎず、そのイデオロギーの本体をボコボコに批判しないと無意味じゃね?と考えている。

性産業への露悪的居直りと、ワンチャン政財界につながり作れるっしょの政商マインド、これらの合成がなろうで、というか、KADOKAWAが積極的に推進して強化したなろうの方向性なわけだ(どこも手出ししなかったらもっとマシだったのか?と思いはするが、微細な差異しかなさそうでもある・・・)。

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サバサバ女の政界編がなんだかやたらと注目されているが、日本のマンガにおける政界ものは古くは加治隆介の議や、90年代ならクニミツの政やGTOにあるように、「改革を志向しつつ自民党に吸収されるルート」がやたら多いこと、00−10年代の生徒会ものや実力主義デスゲームものすら「自民党議員」のロールモデルっぽいものでできていることへの吟味がなさすぎると思う。

サバサバ政界編もそれらの女性版じゃねえのの疑念拭えず。

渋沢栄一の生涯とかたくさん妾を囲って婚外子を20人作ったという逸話を知ると、なろうハーレムものって端的に政財界の性幻想とイデオロギーがコンテンツにまで降りてきただけだなあ、と気づくんだよな。

5年前のツイートでも「嫌がらせで新紙幣に採用、嫌がらせの土台を固めるために大河ドラマにまで仕立てる、日本のマスメディアと政財界の植民地主義体質まじでくそだなー」ぐらいの感想だった。

私はむしろこのときの認識にもとづいて「コロンブスのMVがまさかあれほど反対意見の流れが出るとは…」と驚いた。ガザ虐殺への怒りが世界的に広がったことも、(00年代にイスラエルや中東へのアメリカの関与の仕方などへの批判言説から学んでいた立場からすると)まさかこんなにパレスチナへのむごい扱いが急速に共有されるようになるなんて、と驚きではあった。

近年起きた良い成果ではあるんだろうな。

x.com/ttt_cellule/status/11710

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渋沢栄一の新紙幣起用は、植民地主義を意地でも批判したくない、なんなら嫌がらせで嫌韓行為をやりたい政財界の思惑に沿ったものだから、Mrs. GREEN APPLEの問題行動よりよっぽど悪なので、新紙幣案ごと破棄されればいいのに。

あーこれ重要そう。

“発売されたばかりのエマヌエーレ・コッチャ『家の哲学:家空間と幸福』(松葉類訳、勁草書房)は非常に重要な本だと思う。「家」を語るときにトイレと浴室を忘れないところがすごくよい。最後に出てくる台所と食の話もそうだが、いま再生産を考えるならコッチャは必ず参照すべき哲学者ですね。”

x.com/la_flaschenpost/status/1

都民じゃないので投票できない。都知事選の投票権を買い取りたいものだ。

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