ブラックエクスプロイテーションの延長でカルチュラルエクスプロイテーションの枠が整備された方がいいんだろうな。
私はアプロプリエーションによるスカスカ化やハイブリッド化は大好きかつ推進派なので、たとえばこのサムライコスプレにMV(スティーブン・シャヴィロも好んで著作で取り上げた)には「パチモン変容のポテンシャル」がある、とみなす。これが文化の真正性に奉仕などしないナイスコスプレというやつだ。https://www.youtube.com/watch?v=GNCd_ERZvZM
私は明石書店の世界の教科書シリーズ読むかー、とイギリス編(イギリス中等教育で使われる本の翻訳)を買ったりしてた。
台湾マンガがグラフックノベル翻訳コースで普及する決定打がきたか。今後続くだろうな。
"6月22日(木)発売予定の台湾漫画
『#葬送のコンチェルト』、書影初公開!
著者:#韋蘺若明 @rimuinoming
翻訳:#串山大 @dkushiyama
第14回日本国際漫画賞最優秀賞受賞作、
完全新規描きおろしのカバーで日本上陸、是非お楽しみください!
#台湾漫画 "
https://twitter.com/kd_globalcomic/status/1664104487533903872?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
「カルチュラルアプロプリエーション批判」への不満勢の立場にも一定の筋があり、アプロプリエーションへの批判が「異種混交性を排除して文化の真正性」を保持しようとする傾向と混じってしまうからだろう。
たとえば、アメリカなり中国なりで変な着物や武士コスプレなんかをやっていて、そのコードや作法無視に日本人が怒る場合に、そこにナショナリストが大量に含まれることが容易に想像される。
あるいは、ドレッドヘアにする日本人を戒めて「それは黒人への侮辱になるから日本人らしい髪型にせよ」と叱責するときにも同じ構図が出る。抗議の際に、その声がエスノセントリストのようになってしまう。おのおのが「適切で真正な文化」のもとで生きれば良いのだ、というふうに。ここで各集団における権威主義多数派が絡んでしまう。
それを回避するためには、むしろ市場や文化の(財の)交換の側面を推進する、というふうになるのだが、ここで混交か伝統保持かの二者択一にしないロジックが必要になるのだろう。
インスタでこんな広告見たが、写真チョイスが全部まがいもので、「これ古書店の写真だろ」「これ図書館閉架訪問じゃん」「適当なフォトジェニックな本棚遊びの写真か…」となるんだが、まあ個人特定されないための技か。文面も共感狙いがわざとらしくて臭みがきついなーと思うが、広告だから仕方ないんだろうな。
しかしセックスファンタジー批判をするのに、思考がポルノイマジネーションと変わらないというのは、普通に考えると「筋が悪い」判定になる。ファロス幻想を倒すミッションはやらないのか?と。「責任ある男性」というマチズモ喚起狙いか?とか。ポピュラー受けを狙うと通念秩序に乗っかる例かな。
『射精責任』のタイトルにピンとこない理由わかった。「無責任な射精」がそもそもエロ漫画ワードだからだ。とりあえず食いつかせるための擬似餌タイトルなのか、推して知るべき水準なのかは知らないが…。
あまり書き物ができてない。