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最近はそうでもないが、かつては怪談ソムリエとしてそこそこ語ってた丸

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ふつうにおもろいのでおすすめですよ。ライターの書く本の中では上澄みと言えそう。いろんな人に勧めた。こんなノリで「ふむ…」とリアクションされた

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私はTwitterでの主体性の発露は、イキりだろうがネタだろうが、すべてなろう主人公に関連付けて見てしまう。

今回の7万字怪対談を書きながら気づいたけど、エロゲの達成と見られがちな主人公の消滅とか無化みたいな要素って、00年代ネットの匿名と主体の希薄化・集合性となにかしら結びついていて、この消滅の美みたいなものってどうにもTwitter以後とマッチしないよなというものだった。

コラージュといえばそうだけど、前に紹介した『ジャパン・ホラーの現在地』はわりとネットの文化としての怪談に意識的で、リライトやリミックスの契機を重く見ているのが面白かったな。ネット怪談ファンにはない視点。

2ch〜ふたば〜アフィブログが包囲していた2010年前後の環境、決していいもんじゃなかったよ。

まあ、Twitterの腐敗君臨も、2ch/5chの浸透を潰せたと思えば、悪いことだけでもなかった

RSSからTwitterへの移行で起きたことは、「人間は、自分が関与しないニュースよりも自分が関与する界隈、所属感、コミュニケーションの方に吸引されるよね」っていうことで、その秩序ごとYouTuberとかVtuberとかパフォーマー一般に転用されていって、人が人に向ける・人から人に触発される情動が全面化してたという感じでは。
いまは、そろそろ俯瞰的な記述も必要だよな…と焼け野原から再出発かなと。

そういえばそんなノリで新しい原稿(7万字ぐらいのキメラ)で情動論を入れておいたわ。

ちょうどこの画像が流れてきたので。

白江幸司 さんがブースト

Twitter、それは猫が王位に着いた世界です。こんなことはそれまでにはなかった。

ただ、その頃の滅びる・衰退する、はイメージがちょっと違って、「アーカイブすら残らんとは聞いてなかったぞ」がその後待ち受けていた。2011年ぐらいにそういう変動が起きたよね。

あと、そもそも08年ぐらいまで、「あらゆるサービスは5年ぐらいで消えるのじゃ…2ちゃんはなぜか滅びそうにないが…」みたいな新陳代謝感覚ってあったので、Twitterとfbが残ったのはわりとマジで異様だった。あらゆるサービスは消えるんじゃなかったっけ〜みたいな。

Teacup BBSもジオシティーズも消えたしmixiは墓場、ニコ動も順調に衰退、5chも高齢団地と変わらず、Google+も消えたが、Twitterが恐竜みたいなのが残存してる感じ。YouTubeの覇権も何なの感ある。

Twitterのよさは内部検索できることかな。特定キーワードを放り込んでいろいろ探る。mastodonは検索できないから気楽だともいえる。

「情報収集のためのSNS」というよりも、私は「界隈観察のためのSNS」かなあ、ゆえにゴミ意見でひたすら汚染されようとも「日本社会はもともとこんなもんだろ」という認識で粛々とゴミのようなTwitterおすすめ欄を見てるよ。

とはいえ00年代中盤〜後半の私はRSSを自分では運用してなくて「ブラウザのブックマークでよくね?」というもっと原始的な何かだったな…

00年ごろにPCを買ったり大学のPCルームで無限にPC使ったりしてたころの感覚だと、ネットというのは「自分で『ぴあ』を作れる、やったぜ」みたいなもんだった。RSSはその生理からは理解しやすい。
植田さんの「人文ウォッチ」はその頃の路線の再開に近いよね。
webgenron.com/articles/jinbunw

RSSは「ウェブリングの後、Twitter以前」の巨大覇権じゃろ。巨大サービスの記事やコンテンツのレコメンなんか誰も期待してなかった。「そんなもん自分でやれ」の世界。

私はTwitterやりはじめのころに「わいはブログやBBSよりチャット派だったからこのサービスわかるぞガハハ」とか吹いてるキャラでしたわ。

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