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相変わらず話と絵作りがうまいのう・・・

オノ・ナツメ「ザ・ゲームスターズ」00話

x.com/motwoono/status/18265479

山形浩生が松岡正剛と高山宏を腐してるが、山形に馳せ参じたくないな〜

田中純が松岡に敬意を払った追悼だったのは、田中純の取り扱っている対象作家や70年代文化の文脈などを考えると、わりと仕事と立場に整合的に思えた。磯崎新もヴァールブルクもわりとオーガナイザーだろうし。

その上で、松岡正剛の知はそこそこ恣意的なんだろうと思うが、そこを差っ引いてなお残る美点がどこにあるかという問いが重要とみる。

Amazonレヴューのホビーマインドによる叩きはいくつかパタンがあって、
「もっと古い〜が起源。それが書かれてないから無意味。やりなおし」(起源還元論)
「自分の知ってる〜が載ってないから無価値」(自分のフェチが満足できない本は焼く立場)
「議論が恣意的! ダメな本だ」(自分が納得しない場合、あるいは自分が学んでいる規範と異なる議論の場合、相手を恣意的とするラベリングで攻撃)
「本質的なことが書いてない」(同様に「本質」を勝手に想定するか、いくつかある集団規範を自明視し、それに従わないものを蛮族扱いする)
など。

人文学を学ぶ価値は、こういう手口に簡単に引っ掛からなくなることかな・・・。

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この前、「逃げ若をみた。この鎌倉幕府滅亡直後に諏訪湖でワカサギが釣れるのはおかしい(1914年に放流)」云々と2000RTを越えているバズツイをみたが、こういう指摘をしたがるのは鉄も釣りも変わらないし、ホビーの秩序とはつねにそういうものがある。そして学者も人格的にはホビー界隈の人間と変わらないことが多い。

「はい、この時刻表間違ってる、お前無価値」をやりたがる人間なんかどこにでもいるよ

編集やカタログ作成というのは、たとえば雑誌『アイデア』みたいな誌上で美術展ぐらい実行しそうな仕事のこと。
松浦のその仕事の集大成が『情報の歴史21』だったようだし、わりと評判がよいが、けっこう高いので今度図書館で眺めてみるか。

私はさほど松岡正剛に思い入れがないが、腐すほどの反感もないので、松岡正剛リスペクト勢の語り方を見て、なるほどなあ、となってた。

松岡正剛は、編集やカタログ作成などの方面では侮られていないので、学知よりもそっちの方がポテンシャルなんだと思う。そしてアカデミシャンはそんなことに関心のない人が多いし、ビジュアルカルチャーなんか知らねという人も多いだろうから、松岡における侮りがたい側面は無慈悲に叩き潰したがる現れが増える。

白江幸司 さんがブースト

CEDECに「ゲームとセクシュアルマイノリティの表現の過去と未来」というタイトルで応募したら採択していただけたので講演させていただきます。セクシュアルマイノリティの歴史から、インディでの表現や手法や理論、AAAタイトルでの表現、そしてクィア・ゲーム・スタディーズの現実。みたいな内容です。
研究者もCEDECに応募しよう〜!
cedec.cesa.or.jp/2024/session/

ほー。じゃんじゃんやられるといいんじゃね

白江幸司 さんがブースト

女性アーティストたちの功績に光を当てる「AWARE」に日本語セクションが開設! 日本の研究推進に期待
artnewsjapan.com/article/2524

ほんとだー!
awarewomenartists.com/aware_ja

しょうが焼きはなぜこんなに美味しいの…(もぐもぐ)

今年から、夏は人が死ぬ季節になった

わいもヒロヒトパンかぶりつきたい、とか思いながら『家父長制を食べる』(2022年)見てた。

白江幸司 さんがブースト

小学校の頃で聞いた戦争に関する加害体験の記憶(私がしていいか分からないが、私も毎年思い出すほど記憶に残ったので) 

そのお話に来てくれた方が一番記憶に残ってて今も夢に見ると仰ってたのが、2名の中国人男性を上官に銃剣で刺して殺すように命令されて磔にされた同僚と2人で1人1人ずつ刺して殺した、その人達は民間人だった、という話だった。同僚が刺す方の方は泣いて必死で中国語で「何もしていない」と言っていた、と(話者の方は中国語が分かる人)。自分が刺す方の方はじっとただこちらを見て睨むわけでもなく呆然とするわけでもなく「今から自分を殺す私の顔をしっかり覚えていようとしている」と思った、と仰っていた。その後2人とも簀巻きにして川に流し、その遺体が包まれた簀巻きがぷかぷか流れていく様子が目に焼き付いていると、最後の方は涙を押し殺しているような声でお話されてたのを覚えてる。戦争体験を話す機会には必ずこれを絶対に話す、今もきっと彼は私を見ている、私のする事をじっと見ていると思ったら絶対に話さなければいけない、話さずにはいられない、と仰っていた。
私も戦争の被害体験は教科書や資料集、毎年のニュース等で観ていたが、加害体験を話す人に出会ったのは当時初めてだった。夏に限らずよく思い出す。

見間違えでもなんでもなくインプレ86万回のバズツイか〜。たしかにそうだな〜と、距離感に関する話は皆に刺さるんだな

ものすごくバズってる(なんで?)わりにはそれほど凄い意見でもないんだけど、私的空間と公共圏の線引きの動揺からも考えられるんだろうな。

"公で活動している人の名や作者名は敬称をつけないっていう基本ルールが失われて、敬称つけないと失礼と言い出す人がいて、これまでつけなくてよかった敬称をつけないといけなくなってる感。はもう戻れないのかなー。だろうなー。"
twitter.com/yonemitsu/status/1

ツリーの途中にあった、この箇所でなるほどとなった。>「アインシュタインは偉人だがさんづけしない。私的な関係性がないからだ。学校の先生は偉いと思ってなくても先生と呼ぶ。故人や歴史的人物にさんづけしないことが多いのはたいていの場合私的な関係性がないから、つけてない。」

「私的関係がない」と言い切れるバッファが薄弱化した、というふうに整理できそう。

中上論としては、亀有碧「中上健次の〈アジア〉思想」(2023)が久保の議論を引き継ぐものと言えそうだった。
(pdf注意) repository.dl.itc.u-tokyo.ac.j

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